再会
第二部、第七話。
手紙が、届いた。
母さんからだ。
悪い知らせではなかった。
ただ、父さんが心配しているから、そろそろ顔を出してもいい頃合いだと、そう伝えていた。
そう。別に僕は絶縁されたわけでも勘当されたわけでもなかった。ただ喧嘩をして、家出状態にあるだけだったのだ。
二十代にもなって家出というのも恥ずかしいかぎりだけど、現実はそんなもんだった。
「ねえ、これ、どうするの」
「どうするっていってもなあ」
「タクミくん。ちゃんと家族とは仲直りしたほうがいいぞ」
居間にはカオルさんも呼んでいた。
「でもですね。いまさら父さんと会うのも気が引けるというか」
「あんたね。子供じゃないんだから、ちゃんと向き合いなさいよ」
「まあ、それはそうなんだけど」
「リコちゃんの言う通りだな。帰って話をしたほうがいい」
「うーん……」
「なんなら、私がついていってやろうか?」
カオルさんが心配そうな顔で聞いてくれる。
待てよ。
それ、もしかしたら、いけるかも!
「そうですね。カオルさん、ついてきていただけますか」
「はあっ!?」
カオルさんが珍しく驚く。
「……あんた、なんかよからぬことを企んでるでしょ」
「そんなことありませんよリコさんカオルさん。僕はただちょっと演技をしてほしいだけで」
「ははあ。カオルさんをだしに使ってうまい汁を吸おうとしてるのね」
リコが意地悪い顔になる。
おいおい。
「タクミくん……見損なったぞ……」
カオルさんが悲しそうな顔になる。
やめてよ。
「あ、あのですね。リコもそういう言い方しない」
「じゃあなによ」
「どういうことかな」
二人に詰め寄られる。
こわいよ。
「あああの、カオルさんに、同棲してるという設定で仲を取り持ってもらいたくて……」
「下っ衆」
「おいおい」
ふたりして軽蔑した顔になる。
申し訳ありません。
「ごめんなさい」
「あんた、カオルさんを利用して恥ずかしくないわけ」
「……私は、別にいいぞ」
「えっ」
「えっ!?」
僕とリコが同時に声を上げる。
「いや、はは……なんだ? タクミくんの親御さんに紹介してもらえるんだろ? 嬉しいじゃないか」
リコが衝撃で固まる。
なんで固まるんだ。
「えっ、ほんとに、いいんですか!?」
「いいぞ」
「やった! 助かりますカオルさん!」
「……そう」
あれ……? リコさん?
「どうしたのリコ」
「二人ともお幸せに。おじゃま虫は消えます」
「ちょっ!? リコっ!?」
リコの体が透けていく。
「ばいばい、タクミ」
「あああ、待ってリコさんん!」
「なにをしてるんだか」
カオルさんが冷静な顔でツッコミを入れる。リコの体がもとに戻る。
「お、おかえり……」
「おかえり、じゃないのよっ!」
「いででで」
リコに顔面を掴まれて握力で絞め付けられる。怪力だ。アイアンクローだ。
「鼻の下伸ばしちゃってさ! もう私なんて必要ないんでしょ!」
「す、すびまぜん……」
最悪なことにこっちからは触れない。やられ放題だ。
「あー、なんか腹立つ!」
「いだいってばあ……」
今度は腕で頭を絞められる。ヘッドロックだ。柔らかい。いや痛い。
「あはははっ」
カオルさんが珍しい笑い方をしてる。どうしたのかな。
「ほんと、キミたちは面白いよ。リコちゃん。面白いものを見せてもらったお礼に、私はタクミくんに付き合う。それでいいかな」
「えっ、それで、いいんですか?」
「あたっ」
リコに急に放される。支えがなくなってちょっと手をつく。
「もっと大事にしてほしいなあ……」
「カオルさんに大事にしてもらえば」
リコが冷たい顔で吐き捨てる。
「ひどい」
「まあまあ、リコちゃん」
カオルさんが笑いながら間に入る。
「嫉妬しないって言ったじゃないですかリコさん……」
「誰が嫉妬してるって!?」
「ひっ」
リコの、ドスの利いた声が怖い。
「ふっ、ふふ……」
カオルさんはこの状況を楽しんでるみたいだ。鬼だ。
「あんたが私の前でイチャイチャするからでしょ!?」
言ってることがおかしい。
「イチャイチャしていいっていったのはリコだろ!?」
「はあ!? そんなこと言ってないわよ!」
「まあまあ、ふたりとも落ち着いて」
そうやって三人で騒いでいたとき。
『楽しそうですね。私も混ぜてください』
どこからか、十年ぶりの神様が現れた。
「メイさま!?」
「メ、メイさん!?」
「メイさま、どうしたんですか!?」
とうぜん僕達は驚く。
そりゃあ僕なんかメイさまと会ったのは、なにせ十年以上前のことだし、それに夢の中でしかなかったから。
二人は僕より離れてないだろうけど、それでも珍しいことに変わりはないからね。
「あ、あの、メイさま……なにかあったのでしょうか?」
カオルさんがおそるおそる聞く。
いちばん付き合いが長いから、なにか分かるのだろう。
『あら、カオル。なにかがなかったら出てきてはいけないのですか?』
「い、いえ、そういうことでは……」
カオルさんが畏れ多そうにする。
やっぱり神様なんだなあ。
「あの、メイさま。もしかして、もう、時間ですか?」
リコが聞く。
時間?
時間ってなんだろう。
『いえ。まだ時間は残されてますよ。安心してください』
「良かった……」
そのやりとりが、僕にはすごく不吉なものに見えて。
でも、期限があるものなんて、それしかなくて。
「メイさん。僕、やっぱりリコのこと、忘れなきゃいけないんでしょうか」
『忘れたほうが、みんなのためになる、ということだけは言えます』
また、それなんだ。
メイさんもカオルさんも、同じことを言う。
「僕がそれを選ばないということは知っていますよね?」
『はい。ですが、選ばない未来が不幸なものになると知っていても、それが言えますか?』
不幸。
不幸から守る。
カオルさんはそう言っていた。
「僕が不幸になるだけなら、我慢できます」
『本当ですか? あなたが不幸になることが、ひいてはリコさん、カオル、そして私をも不幸にしても、我慢できますか?』
みんなが、不幸になる。
でも、なんでリコまで?
「それは……」
『立ち話もなんですから、みんなでお茶でも飲みながらのんびり話し合いませんか?』
カオルさんが目で「従え」と促している。
リコもこっちを見てアイコンタクトしている。
「……分かりました」
ちっちゃい円卓を囲んで四人が膝を突き合わせる。
正確には三人と……ややこしいからいいか。
とにかく、お茶をリコに用意してもらって、それを飲みながら話をすることになった。
どうしてもメイさんがいると真面目な話になってしまう。
本人もそれを理解しているのか、いないのか、気にしていないのかは分からないけど、なるべく楽にできるように取り計らってくれている気がした。
『カオル。これから、タクミさんに、私の知っていることを可能な範囲で話そうと思います』
「分かり……ました」
カオルさんがつらそうな顔で頷く。
「私のことも、話すんですか?」
リコが悲しそうな顔で聞く。
『はい。このままではいけませんからね。話して理解してもらえるなら、そうします』
「はい……」
リコがうつむく。
ふたりとも、何を知ってるんだよ。
『タクミさん』
「はい」
『このままでは、近いうちにあなたの存在が消えます』
「は、はい?」
え。
僕、が?
リコの記憶が、じゃなかったっけ?
『注意深く聞いて下さい。私はあなたの命を救うためにリコさんを現実世界に送りました。それは、あなたの「リコに会いたい」という願いがあったからです』
「……」
理解が進んでなかった。
頭が追いつかなかった。
『ですが、あなたもご存じの通り、リコさんに会ってもあなたは自殺しかけました。だからカオルがここに来た』
「は、はい」
『どういうことか分かりますか』
「いえ」
『あなたは狙われてるんですよ』
「えっ?」
『あなたの存在が邪魔だと思うものはたくさんいます。幸いなことに、リコさんはすでに亡くなっています』
「さいわい、って」
『私たちの保護下にあるといっていいでしょう。ですが、あなたは野ざらしです。いつ殺されるとも限りません』
「ころ、される?」
『はい。彼らに捕まっては命どころか、存在そのものが消されてしまいます』
「ちょ、ちょっとまって」
『ええ。待ちましょう』
いや、まって、どういうことだ。
落ち着け。
メイさんは何を言ってる?
「殺されるって、誰に? なんの目的で僕を殺すんですか?」
『難しい質問です。例えば、動物がなぜ殺し合うのか。なぜ食物連鎖があるのか。生きるとは殺すことなのか。等々』
「それとなんの関係があるんですか」
『この世の「なにか」があなたを殺害対象とした。邪魔だと思った。捕食対象だと思った。私が分かるのは、それだけです』
寒気がした。
そんな馬鹿なことがあってたまるか。
メイさんにも感知できないなにか?
そんなのあるはずない。
「その、なにか、が、僕を殺して、存在そのものを消そうとしている?」
『はい』
「はは! そんなのありえない! 笑えるよね! ねえリコ! カオルさん!」
ふたりは微塵も笑ってなかった。
「そんな馬鹿なこと……」
僕は恐怖で笑うしかなかった。
『私たちがついています。私たちを信じてください』
「でも、それと、リコを忘れることとなんの関係があるんですか!?」
『考えれば分かるはずです。あなたたちが特別である理由、それが、あなた達の絆にあるということ。本当は、記憶を消した程度では目隠しにしかなりません。「本当に」存在そのものを消してしまわないと駄目なんです。だからこそ、相手は存在を消そうとしている』
「なんで、いつも……」
いつも、いつも、いつも、僕達はこんな。
『十年前はああいう形でしかサポートできませんでしたが、今は違う。こうやってちゃんとみんなで助け合っている。それが大事でしょう?』
「だけど!」
『リコさんは、このまま行くと、もうまもなくタクミさんの元を去ります』
「えっ!?」
『リコさんのことを忘れずに周りから忘れ去られるのか。忘れて生き続けるのか。もしくはカオルと寄り添い死ぬのか。それだけの違いしかないのです』
「そん、な」
いつまでも一緒にいられるわけない。分かっていたんだ。でも、選択肢はこれか? 自分が消えるか、リコを忘れるか、カオルさんと……寄り添って死ぬ?
「待ってください。カオルさんと寄り添ってっていうのはどういうことなんですか」
カオルさんがメイさんを見て首をふる。
言わないでください、というように。
リコも同じようにしている。
『カオル。リコさん。もう隠しても同じことです。タクミさんに選んでもらうしかありません』
ふたりが絶望を含んだ顔をする。
「なにか、なにが、あるんですか」
『最後の選択肢が、カオルと生きることです。ですが、これは、非常に残酷です』
残酷。
リコが、言っていたことだ。
「カオルさんと生きるのが、そんなに残酷なんですか」
『そうですね……記憶のないタクミさんがカオルの姿をしているリコさんをカオルと思い込んで生活をする、というものです』
「は?」
『理解できませんよね。でも、そういう未来があるということです』
まったく理解できない。
どういう状況なんだそれは。
『いまは理解できなくてもいいのです。そういう選択肢もあると、頭に入れておいてくだされば』
どれもわけのわからない選択肢ばかりで腹が立つ。でも、怒りをぶつけても仕方がないことはよく分かっていた。
「……分かりました」
『さて。みなさんと会えて楽しかったです。みなさん、また会いましょう』
そう言って、メイさんは、ふっと、消えてしまった。
けっきょく、勉強のことも、仕事のことも、帰省のことも、ぜんぶそれどころじゃなくなってしまった。
メイさんは、すべて正しかったんだ。
メイさんは、やっぱり神様だったんだ。
僕に残された選択肢は三つ。
自分が消えるか。
記憶を消して生きるか。
わけの分からない状態で生きるか?
どちらにしても、魅力的な選択肢とは、言えなかった。