甘い生活
第二部、第三話。
あのあと。
リコはなぜか、僕に優しくなった。
「ほら、タクミ。朝ご飯食べよう」
なんでだろう。
「昼ご飯はチャーハンね」
このまま一生過ごせたらいいのに。
「買い出しお願いね。夕飯は天ぷら作ってあげる」
なんで、だろう。
「あのさ、リコ」
「なあに」
「いっしょに食べられるのは嬉しいんだけどさ……」
「うんうん」
「僕、お金ないんだ。生活保護だし」
「あちゃー」
「だからさ、体調良くなったら、働こうかと思う」
「おー! すごい、すごいよタクミ!」
「……あのさ」
「なあに?」
「もしかして、僕がお金ないの分かってて食費使わせてる?」
「ありゃ、ばれちゃった?」
「ありゃじゃないよ……幽霊がごはん食べるなんて変だと思ったんだよ」
「……ばれちゃ仕方ないわね。そうよ。押しても駄目なら食費を引くのよ」
「恐ろしいんですけど」
「やっぱり兵糧攻めって恐ろしいわよね」
「僕は城じゃないし。やってるのリコさんだし」
「やめないわよ。あんたが住むところについて行って一人分の生活保護じゃ生きていけないようにしてやる」
「ひいい……」
「リコさんの親心に感謝しなさい」
「そんなあ」
「ふっふっふ」
働くのはしんどい。まだうつだって治ってない。だけど。
「ほんとに、幸せものなんだね」
「だれがよ」
「僕が」
「やっとわかった?」
「うん」
「やけに素直ね」
「やっと、実感が湧いた」
「そう」
「リコと会えたんだって、実感、湧いた」
「……そう」
「リコの手ぐらいは握れる僕になるよ」
「だめ」
「なんで」
「わたしに触れたら、タクミ、現実から逃げちゃう」
「そんなことないよ」
「ある。『リコと離れたくない』とか言って一生独り言しゃべり続けるでしょ」
「独り言って?」
「いまも」
「え……あそうか」
「そうよ」
「リコの声、僕やカオルさんたちにしか聞こえないのか」
「姿もよ。他人が見たらどう思うでしょうね。物は勝手に動くし、見えない誰かとしゃべってるし」
「怖い、か」
「誰もタクミに寄り付かなくなっちゃう」
「それでもいいよ」
「よくないでしょ」
「生きてるだけで幸せだよ」
「わたしがよくないの。おじさんおばさんとだって仲直りしないとだし」
「まあ、そうだけど」
「それに……」
「それに?」
「生きてるパートナーにだって、出会えるかもしれないし」
「……!」
「べつに、いまどき結婚しなさいとか言ってるわけじゃなくて、一緒に暮らしても大丈夫なくらいの絆がある人が見つかってもいいわけでしょ」
「それは、そうだけど」
「わたしは、そんな人が見つかるまでの中継ぎだと思いなさい」
「リコ……」
「そんな情けない声出さないでよ」
「リコは、いいの? さみしく、ないの?」
「まーたそうやって」
「違うんだ。リコを心配してるだけ」
「馬鹿ね。心配されるのはあんたの方でしょ」
「はぐらかさないで」
「わたし、は……」
「うん」
「わたしも、さみしい、かも」
「なら……」
「もう。泣かせないでよ。いいの。もういいの」
「なんで」
「世の中にはね、もっともーっと急に大事な人をなくした人がいるの。わたしたちばっかりこんないい思いしていいわけない」
「そりゃーそうだけど。でも……」
「でも?」
「ぼくたち、みんなのために頑張ったじゃん」
「それは……」
「リコだって、二週間もずっと起きてたんだよ?」
「まあ……」
「ギネス記録だよ。きっと」
「そういう問題?」
「うん。ある意味で僕たち、世界で一番すごいんだよ」
「いちばんは言いすぎよ」
「ううん。メイさんが言ってた。僕は人類を。リコは結果的に世界全体を、救ったんだよ」
「そう、かしらね」
「こんな甘い生活ができたとしても、きっと許してもらえるよ」
「それならいいんだけど」
「だけど……」
「うん?」
「リコの言うことも分かるよ」
「ほんとに?」
「……ねぇリコ。僕のこと、ずっと、覚えててくれる?」
「えっ?」
「あのとき、あんまり話せなかったからさ」
「そうね……」
「リコがいなくなったあとも、僕はきっとリコの事を忘れないと思う。いや、絶対に、忘れない。だから……」
「努力は、するわ」
「そっか……」
「違うの。あっちの世界はね、特殊なの」
「そうなの?」
「うん。忘れないと先に進めないのよ」
「そう、なんだ」
「でも、メイさまとかに交渉してみるわ」
「ありが、とう」
「いいえ……わたしも、タクミのこと、忘れたくないから」
「え、それって」
「黙ってて」
「……」
余計な言葉は、いらないのかも知れなかった。
恥ずかしさを隠すおふざけも、本心を隠す嘘だって、僕たちにはいらないんだ。
そう、思えた。
「……でも、それは先の話よ」
「そうだね」
「まずは治療すること」
「うん」
「それが終わったら、働くことね」
「うん」
「材料がなかったら食事つくってあげないんだから」
「がんばるよ」
「買い出しもね」
「……うん」
「貯金はどのくらいあるの?」
「百万くらい、かな」
「ま、しばらく暮らすには充分ね」
「うん……」
「……どこにあったのよ」
「母さんが、学費に当てるはずだったお金をくれたんだ」
「感謝しなさいよ」
「お金に関してはいつもみんなに感謝してるよ」
「ならいいけど」
「はぁ……ほんとに働かないとダメ?」
「なーに言ってるのよ」
「はぁ……」
「治療すれば前向きになれるって。タクミ」
「そうだね……」
「食事と睡眠の管理してあげるから」
「うん……」
「毎朝起こしてあげるから」
「キスで?」
「ばっ、水でもかけてあげようかしらね!」
「ははは……」
あぁ、もう、死んでもいいかも。
その日から、僕は死ぬ気で治療を頑張った。
といっても、治療なんて一朝一夕で出来るものじゃないから、とにかくお酒をやめて生活リズムを整え、散歩がてら空気にあたって買い出しに行った。
買い出しさえ行けばリコが料理を作ってくれるから、それを食べて幸せな気分になった。
リコの料理の腕はなかなかだった。
いつ覚えたのかはわからないけど、まずい料理なんてぜんぜん作らなかった。
ほんとに、感謝しなきゃ。
そんな生活を続けてれば、必ず前向きになれる。
うつも治る。
そう信じて、頑張った。
もちろん、薬にもすごく感謝してる。
いまや薬がないと不安でしょうがない。
別に依存してるわけじゃないと思うけど、なんだろう、薬が僕を生かしてくれてるとでも言うのかな。
そんな気持ちだった。
病院は近い。
駅のすぐ近くだ。
先生は男の先生で、中国出身らしい。
日本語は綺麗で、真面目だし慎重な性格だ。
僕は、この先生のおかげで生きていると言っても過言じゃない。
前の病院はひどかった。
薬工場とでもいうのかな。
とにかく薬を出すだけの場所だった。
話は聞いてくれないし、なんなら世間話しかしない。
世間話が終わったら診察は終わり。
なんのための病院なんだろう。
いまは、ちゃんと病気の話だけをしてくれる。
この数週間の振り返りと、治療方針を示してくれる。
病気の話をきちんと理解してくれる。
そして、僕の話を正確に聞いてくれる。
人には、恵まれていた。
いつも、恵まれていた。
今日も買い出しから帰ってくると、リコが玄関を開けてくれた。
まるで自動ドアのように開けてくれる。
ありがたかった。
「おかえり」
「ただいま」
こんな日が来るなんて、一年前の僕に教えてやりたいよ。
「順調ね」
「治療が?」
「そうそう」
「なんでそう思ったの?」
「顔が明るいから」
「そう、かな」
「わたしには分かるのよ」
「なんか、うれしいな」
「なにが」
「リコが僕のことを見てくれてるのが」
「……もっと喜びなさい」
「えー」
「なによ、不満でもあるの?」
「ぜんぜん」
「それはよかった」
「リコに触れたら抱きしめるのに」
「やめてよ変態」
「変態じゃないよ、普通だよ」
「変態、じゃない」
「そういう仲でしょ、僕たち」
「……」
「否定しないの?」
「ふん」
ま、控えめに言っても幸せの真っ只中だった。
リコが料理を作ってくれる。
触れないことを除けば新婚生活みたいな気分だった。
「きょうの夕飯は、麻婆豆腐だったっけ」
「そうよ」
「リコって料理うまいよね」
「練習したのよ」
「へえー」
「もっと感謝しなさいよ」
「なんで」
「あんたのために練習したんだから……あっ」
「なになに」
「余計なこと言っちゃった……忘れなさい」
「だから、忘れないって」
「もう」
「あーもー、もどかしいなあ」
「なによいきなり」
「リコに触れたらなあ」
「あんたねえ」
「だめ?」
「だめ」
いや、でも、ほんとに触れるようになったらもう後戻りができないような気がする。
リコの言う通りかもしれない。
そうして、僕らの幸せな生活は、続くのであった。