死の苦しみ
第二部、第二話。
「で、あんたにまずやってもらいたいことがある」
「なに」
「病気を治しなさい」
「えっ」
「治す気あんの? お酒はしこたま飲むし、生活リズムはぐちゃぐちゃ」
「うっ」
「いくら保護されてるからって何でもしていいとでも思ってんの?」
「うう」
「保護するのがなんのためか知ってる?」
「……自助努力を促すため」
「あんた、それが分かっててこの体たらくって、相当ひどいわよ」
「……」
「堕ちたもんよね。あーあ、あのときはかっこよかったのになぁ」
「どの時」
「聞くまでもない。私に言わせたいだけでしょ」
「ばれたか……」
「つまらないんだけど。冗談じゃなく」
「……」
辛辣だ。
心が砕けそうだ。
「まず、あんたにお酒を飲む資格はない。なんもしてないんだから」
「そんな」
「麻薬と一緒よ。毒にしかならない」
「それは」
「そして起きる時間は統一しなさい。夜に目が覚めたり昼に目が覚めたり、社会人として駄目すぎ」
「僕は」
「自分は特別だとでも思ってんの? あんたが世界を救ったことなんて誰も知らないから」
「そこは認めるんだね」
「認めるからなによ。それが免罪符にはならない。むしろ罪が増すだけ。それだけの事をした人がここまで落ちぶれちゃ、誰にもあわせる顔がない」
「……」
さんざんな言われようだ。
なんか、腹が立ってきた。
「なんだよ」
「文句でもあるの」
「じゃあ、どうすりゃよかったんだよ」
「どうもこうもないわよ」
「だったら滅ぼしときゃよかったんだよ」
「はあっ!?」
「こんなクソみたいな世界、あのとき滅ぼしときゃよかったんだよ!」
「自分で選んだくせになに寝言――」
「うるさい!」
「っ!」
「僕がどんな気持であれを選んだと思ってんだよ。ボタンを押した時。リコの体を見た時。それからの毎日。とっくにおかしくなってたんだよ! いまさら現れておいて偉そうなんだよ!」
「……」
「僕のこと愛せないんだろっ!? だったらほっといてくれよ! 好きでもない男の前に現れるなよ! 迷惑だよ!」
あきらかに言い過ぎてる。僕は、どうかしてる。
「……そう……分かったわ……」
「あ……」
リコの顔が……怒りと悲しみと涙で……。
「……信じるんじゃなかった……」
「リ……」
「信じるんじゃ、なかった」
「ごめ……」
「あのとき、ふたりとも、死んでれば、よかったかもね」
リコが泣きながらほほえむ。胸が酸で焼き尽くされたような感覚がした。
「まっ」
「さようなら」
リコが消える。僕は、その場に座り込む。
「は……はは……は……」
僕ってやつは。
「もう、いいや」
いつもこれだ。
「もう、いい」
いつもいつも。
「死にたい」
リコに見捨てられる僕なんて。
「分かってるよ」
そんな僕が、一番嫌いなのは。
「僕なんだよ」
近くの駅に来ていた。
よくあるやつだ。人身事故。
何万人に影響が出たとか、出なかったとか。
痛いだろうな。
僕の心の痛みとどっちが痛いだろう。
でも、もう耐えられない。
こんな苦しみがずっと続くと思ったら。
気が狂いそうだ。
いや、もう狂ってる。
僕が死んでも、もうリコは会ってくれない。
それだけで、死ぬ理由としては充分だった。
死んだら会えないのに死ぬのか?
もうどうでもいいや。
電車がすごい勢いで来る。通過するやつだ。
体を、傾ける。倒れていく。
タイミングは、これでいいはずだ。
電車の警笛が激しく鳴らされる。
当たる。はずだった。
電車が消える。
空気が変わる。
誰もいないさびれた駅に、変わる。
いったい、なにが起こってる?
スローモーションの世界で、驚愕する。
急に首根っこを捕まえられてものすごい力で後ろに吹き飛ばされる。
僕は柱にしたたかに体を打ちつける。
「ぐうっ」
だ、だれだよ。こんなむちゃくちゃな……。
その誰かが、近寄ってくる。僕の首を掴んで持ち上げる。
「がはっ……がっ……」
苦しい。なんて怪力なんだ。意識が薄れる。
「ぐあっ!」
首を絞められたまま、反対の手で思いっきりぶん殴られる。僕は吹き飛んで地面に倒れる。
また近寄ってくる。
「や……やめ……」
痛い。死んじゃう。痛い。苦しい。
「嬉しいだろ?」
嬉しくなんてない。犯罪だ。こんな、むちゃくちゃなことが、許されるはず……。
「キミが望んだのはこれだよな?」
この……話し方……。
「楽に死ねるとでも思ったか?」
まさか……。
「カ……カオル……さん……?」
「ひさしぶり」
カオルさんが、来たのか。僕を殺しに、きたんだ。
カオルさんが僕の首を絞めにかかる。
「ぐあ……」
苦しい……誰か……。
「よかったな。知り合いに殺してもらえて」
よく……ない……なんで……。
「あの世で後悔するんだな」
僕の人生って、なんだったんだろう。
リコに嫌われ。
カオルさんに殺され。
愛した人にそっぽを向かれる苦しみが。
信頼した人に裏切られる悲しさが。
僕の身を焼き尽くしていた。
「タクミッ!」
リ……リコ……? ここは……僕の家……か?
「あとは任せたぞ。半殺しにしておいたから」
カオル……さん……?
「これ……やりすぎですよッ! ほんとに死んじゃうッ!」
痛い。体中が痛い。
「大丈夫だ。メイさまがいる。死ぬ苦しみを教えてやっただけだ」
ほんとに、殺されるかと……。
「タクミ……タクミ……」
リコが、泣いてる。
「……キミは、幸せものだな」
僕が、幸せ?
「みんなキミのことを心配しているんだ。今度は助けないからな」
むしろ痛めつけられてる……。
「カオルさん、ありがとうございます。この馬鹿を救ってくれて」
リコまで……ほんとに、怖かったのに。
「礼には及ばないよ」
カオルさんが怖い……。
「タクミくん。分かって、るよな?」
ひいっ。
「カオルさんは、どこに住んでるんですか?」
……住んでる?
「ああ、ちょっと考え中だ。近くに越してこられるといいんだが」
やめてよ……。
「ま、それはおいおいだな。じゃ、またな」
「はい、お気をつけて」
カオルさんが玄関から出ていく音がする。
「リ……リコ……」
「タクミっ、大丈夫っ? 話せる?」
「ごめん……僕……」
「もういいの」
「……」
「もう、分かったから。あんたの気持ちは、分かってるから」
「うう……」
「私も大人げなかった。ちゃんと言い方を考える」
「リコ……」
「だから、もっと、自分を大切にして」
「え……」
「タクミ、わたしの名前を呼ぶとき、いつも自分を責めてる」
「はは……」
「わたしのことを殺したみたいな目をしてる」
「うん……」
「わたし、ここにいるよ。また、会えたんだよ」
「うん……うん……」
「だから、死なないで」
「ごめん……ごめん……」
「もう。謝ってばっかり」
「は……は……」
「タクミは、なんにも変わってないよ」
「そう……かな……」
「いつも優しくて、賢くて、気を使ってばっかりで」
「……」
「馬鹿で、変態で、腰抜けで、勘違い野郎で」
「ひどい」
「ふふ……」
「ありがとう……」
「ううん。そんなタクミのこと、嫌いじゃ、ない」
「嫌いじゃ、ない、か」
「わたしは、しょせん死人だから。タクミには、別の幸せがある」
「そう、かな」
「しばらくは面倒見てあげるから」
「よかった」
「だから……」
「うん?」
「ちゃんと、生きなさいよ」
「……分かった」
「しょうがないタクミね」
「ごめん」
「ふふふ」
「なんか、疲れたな」
「カオルさんに、感謝しなさいよ」
「殺されかけたのに?」
「私は、ここから離れられないの」
「そうなの?」
「それが約束だから」
「メイさんとの?」
「まあ、そんな感じかしらね」
「感じって」
「とにかく、今回あんたを直接助けたのはカオルさんだから」
「うーん」
「こんど会ったらお礼、言っときなさいよ」
「殴ってくれてありがとうって?」
「そうね」
「首を絞めてくれてありがとうって?」
「……そうよ」
「あなたのおかげで死ぬのが怖くなりましたって?」
「しつこいわね! なんでもいいから感謝するの!」
「えぇ……」
「あっ……そういう感じなら、またいなくなっちゃおうかしら」
「ごめん! 許して!」
「まったく……」
「ははは……」
「ふふ……」
なんとか、僕は生きてる。
それは、リコと、カオルさんと、メイさんのおかげで。
みんなのおかげでしかなくて。
そんなみんなのことを裏切れないなって。
責任、あるなって。
僕に生きる意味ができた、そんな出来事だった。