蛍火の誓い
遠く離れた山里の集落、そこには古くから伝わる不思議な習わしがあった。毎年、夏の終わりに訪れる「蛍の夜」。この夜、村人たちは川辺に集まり、蛍の光に包まれながら、先祖の霊を迎え入れるのだという。
その村に、幼い頃から親友だった春子と誠がいた。二人は幼なじみで、いつしか愛し合うようになっていた。しかし、誠は都会で学問を修めるため、村を離れることになった。別れの日、春子と誠は蛍の舞う川辺で再会を誓った。
「必ず戻ってくるよ」誠は春子の手を握りしめながら約束した。
「待っています」春子は涙ながらに答えた。
その時、一匹の蛍が二人の間を舞い、まるで誓いの証人のように光を放った。
五年の歳月が流れた。春子は毎年の「蛍の夜」に川辺に立ち、誠の帰りを待ち続けた。村人たちは彼女の姿を見かけては、哀れみの目を向けた。誠からの便りは途絶え、もう戻ってこないのではないかと噂する者さえいた。
そして六度目の「蛍の夜」。春子はいつものように川辺に佇んでいた。月明かりに照らされた彼女の姿は、まるで幽霊のようだった。その時、一匹の蛍が春子の前に現れた。不思議なことに、その蛍は他の蛍よりも大きく、青白い光を放っていた。
蛍は春子の周りを舞い、やがて川上へと飛んでいった。春子は何か不思議な力に導かれるように、その蛍を追いかけた。暗い山道を登り、鬱蒼とした森を抜けると、そこには小さな滝つぼがあった。
滝つぼの水面に映る月を見て、春子は息を呑んだ。水面に映る顔は、五年前に別れた誠の姿だったのだ。
「誠...?」春子の声は震えていた。
水面から誠の声が聞こえてきた。「春子、ごめん。約束を守れなかった」
誠の霊は、都での生活にのめり込み、春子との約束を忘れてしまったことを告白した。そして、帰郷の途中で事故に遭い、命を落としてしまったのだという。
「でも、君との約束を思い出したんだ。蛍になって、ここまで導いたのは僕なんだ」誠は悲しげに語った。
春子は涙を流しながらも、微笑んだ。「待っていてよかった。あなたに会えて本当に嬉しいわ」
二人は夜明けまで語り合った。そして、東の空が白み始める頃、誠の姿は徐々に薄れていった。
「春子、幸せに生きて」最後に誠はそう言って、一匹の蛍となって空へ飛び立った。
その日から、春子は毎年の「蛍の夜」に、この滝つぼを訪れるようになった。そして、青白い光を放つ一匹の蛍が、いつも彼女の周りを舞っているのだった。
村人たちは、春子が蛍と語り合う姿を見て、彼女が何か大切なものを見出したのだと感じた。それ以来、「蛍の夜」は単なる先祖供養の日ではなく、大切な人との絆を確かめ合う特別な日となったのである。