四万十川の時の守り人
明治時代後期、高知県の四万十川流域に静かな集落があった。そこに、時計職人の老人・時造が住んでいた。彼の作る時計は、ただ時を刻むだけでなく、時間そのものを操る不思議な力を持っていた。
ある日、都から若き民俗学者・河野が訪れた。彼は四万十川流域に伝わる「時を操る妖怪」の伝説を研究するためにやってきたのだ。時造は河野の純粋な探究心に心を開き、自分の作る時計の秘密を明かしていった。
「この時計は、四万十川の流れと共鳴しておる。川の記憶を映し出し、時には過去や未来への扉となることもある」
河野は時造の指導の下、時計作りの技術を学びながら、四万十川の記憶を探索し始めた。時造は、時を操る力は大きな責任を伴い、決して私利私欲のために使ってはならないと厳しく言い聞かせた。
しかしある日、未来を覗き見た河野は、調査の過程で親しくなったある家族の子孫が、川の汚染が原因の病で苦しむ姿を見てしまう。守りたい、という個人的で切実な想いが彼を突き動かした。
時造の忠告を忘れ、河野は密かに時計を使い、過去に戻って川の流れを変えようとした。だが、その行為が引き起こした波紋は、彼の予想をはるかに超えるものだった。現在の四万十川の姿は大きく歪み、美しかった渓谷は姿を消し、豊かな生態系は乱れてしまった。
絶望した河野は、再び時造のもとを訪れ、涙ながらに訴えた。
時造は悲しげに微笑んだ。「時の流れを元に戻すには、大きな代償が必要じゃ。わしが長年の人生をかけて作り上げた全ての時計を川に返さねばならぬ」
その夜、時造と河野は、歪んだ時間の中心へと共に飛んだ。そこで二人は、互いの知識と力を合わせ、複雑に絡み合った時間軸を解きほぐすという困難な作業に挑んだ。
作業の終わりに、時造は最後の力を振り絞り、自らの存在を時の流れに溶け込ませて川に還っていった。それは単なる犠牲ではなく、河野に未来を託すための、能動的な継承の儀式だった。
「河野よ、わしの役目はこれで終わりじゃ。これからは、お前が四万十川の時の守り人となるのだ。決して時を操ろうとせず、ただ川と共に生き、その記憶を守り伝えるのじゃ」
それが、時造の最後の言葉だった。
師と共に戦った経験を通して、河野は真の「時の守り人」としての責任と覚悟を身につけた。彼は時造の遺志を継ぎ、四万十川のほとりに住み、川と人々の暮らしを見守り続けた。彼は時計職人としての技術を活かし、四万十川の流れを模した美しい置き時計を作り、その時計は、見る者の心に四万十川の美しさと大切さを呼び覚ますと評判になった。
今でも、四万十川の岸辺で古い懐中時計が見つかることがあるという。その時計を手に取ると、かすかに時の流れが見えることがあるそうだ。そして、静かな夜に耳を澄ませば、川のせせらぎと共に時を刻む音が聞こえてくるかもしれない。




