7 半井が選ばれた理由
はあ、とため息をついてノートをめくってみる。どうせすごく大切なこととかは書いてないんだろうけど。仕事や金に関することはクラウド、オンラインに保存するはずだ。ノートという現物となると、一般的には価値は無いけどいざという時に価値を発揮するもの。例えばオンライン上では保存できない実際の資産に関する資料とか遺言状とか。
そう思っていたが、意外なことに自分の心情を吐露したようなものだった。まるで詩集かと思ってしまうほど淡々と自分の考えが書かれている。一ページに数行程度、ふと思いついたことをそのまま綴ったような。
『自分が思い描いている自分と、周囲が望む自分の姿、果たしてどちらが本当の意味での自分自身なのだろう。この世に存在していても周りの人間から無いものとして扱われたらそれはこの世に存在していないのと同じだ。相手が望む姿で生きなければ自分という存在が認められないというのなら、俺はこの世に存在している価値も意味もないということになる』
ここからわかるのは一人称が俺、やはり衝動的失踪ではない、自分の強い意志を持っている。おそらく他人から自分の生き方を固定されるのも指定されるのも好きじゃない、ってところか。なるほどなんとなくわかってきた。「才華」という人物が。
その時依頼人が部屋に入ってきた。手持ち無沙汰になったのだろう、そういえば何もお出ししていませんでしたと飲み物とお茶菓子を持ってきてくれた。部屋に入ってくる前にノートはすぐに隠した。本人が亡くなったのではなく、あくまでいなくなってるだけなら俺が余計なことをするべきではないと思ったからだ。
「追加でまた質問させてもらってもいいですか」
「あ、え、はい」
「その前に一つ気になってたんですけど。俺の言動で何か気に障ることがあったら言ってください。さっきも質問した時少し動揺してましたよね」
ほんの少し揺さぶりをかけてみる。本来だったら必要ないかもしれないが、こっちは仕事できているんだし才華の情報はなるべく引き出しておきたい。この人揺さぶりには弱いはずだ。
「あ、ごめんなさいね。あなたの言い方があまりにも息子そっくりで」
「はい?」
「あの子もね、まるで教師に質問するみたいにそういうものの聞き方をしてきたんです。確認したいんだけど、って。なんだかそれが詰問されているみたいでちょっと苦手だったんです」
「なるほど。よくも悪くも今の俺はご子息にだいぶ近づいてるってことですか」
「ええ、かなり。口コミや噂の通りなんですね。とても優秀な人材派遣会社みたいです」
そう言うと彼女はうれしそうにニコニコと笑う。息子に近づくことがそんなに嬉しいのだろうか。詰問されているようで苦手だったということは、要するに息子のことが苦手だったということだ。
よくも悪くも母親というのは息子には逆らえない傾向がある。かわいいから甘やかしてしまうのと同時に、精神的に依存しやすいので相手の言うことを聞いてしまうんだ。そこには嫌われたくないからという心理が働く、昔さんざんやらされた心理学の勉強で身に付けたことだ。
でもどうなんだろうな、この人は息子に嫌われたくないからっていう理由では無いような気がする。あまりにも息子に無関心だ。
この手のタイプには覚えがある。
なるほどな、どうして有栖川さんじゃなくて俺がこの役に適任だったのかがなんとなくわかってきた。特に似せようとしていないのに息子そっくりだという今の状態。たぶん才華と「俺」は本質的に似ているんだ。
「あなたなら、才華の気持ちがわかるかもしれないですね」
「そう、ですか?」
「私は母親として至らなくて。あの子が何を考えていたのかわからないんです」
「……」
「夫が帰ってくるまで時間があります。一つ頼みたいことがあるんですが」
そう言ってくる彼女の目は爛々と輝いているように見えた。なるほど。本来はこっちが目的ということか。夫が帰ってくるから息子を演じてもらうのはついでっぽいな。だって今は一人暮らしをさせているからと適当に言って会わせなければ良いのだから。何がしたいんだ、この人。何がしたくて俺を呼んだ?
「なんでしょう?」
「あの子がいなくなった日の再現をしてもらいたいんです。直前にどんな会話が行われていたのか今から教えますので」
とんでもないアドリブぶっ込んできたなと思うけど、今の言い方だと自ら姿を消したことに納得がいっていないってところか。直前まで何にも変わったところがなかった、いや、気がつかなかっただけなんだろうけど。あと直前のやりとりを覚えてるって事はいなくなったのはそんなに昔じゃないってことか。
「それを再現してもらって、あなたは一体何を感じたのか教えてもらっていいですか」