5 仕事開始
この母親から会社に提出された資料はA4の紙半分にも満たないような文章しかなかった。なんとも当たり障りないものだ。日中は大学に行っていたし母親も仕事をしているのであまり顔を合わせない毎日だったらしい。何かバイトをしているようだったが成人しているので親の許可など必要ない、バイトの内容は知らない。
そうなると当然交友関係も知らない。といっても二十歳くらいの息子と母親の関係なんて普通はそんものだ、それほど違和感は無いのだが。
「父子関係はどうなんですか。お互い無関心だったらやりやすいんですけど。仲が良いのなら接触を避けるべきです。絶対にボロが出ます」
「そこはご心配なく。あの人はとにかく家庭に無関心だから子育てに参加したことなんてないんです。息子の年齢も覚えてないくらいですよ」
家庭関係が希薄そうだというのは火男さんからもらっている資料にも書いてあった。俺の直感だけど父親と息子の関係は良くも悪くもない、おそらくお互い無関心だっただろう。頭が良い人間同士というのはそれほど仲良しにならないはずだ。こいつとは絶対合わないなと思ったら無駄な労力を避けて徹底的に避ける傾向がある。
その後二人である程度打ち合わせをした。細かくシナリオを考えると嘘や取り繕う時にボロが出てしまうので、あくまで自然に。母子の関係も冷めていてお互い接触しなかったということで、あっさり終わろうということで進めた。
結局それが一番やりやすい。思い出話さえしなければお互い無関心なら何を言っても不自然ではないからだ。要するに他人として振る舞っていれば何も問題ない。
困ったのは息子の写真がなかったことだ。普通の親子関係であればやっていそうな旅行や七五三、運動会など全て父親は不参加なので写真らしい写真がない。そういう写真を撮ろうとしても息子が嫌がって撮らなかったとの事だった。
子供の頃から徹底してたのか。単に写真嫌いだっただけかもしれないけど、自分の証拠となるものを残していない。先ほど知人の男性からもらった写真が奇跡のようなものなのだろう。
(そうなると、失踪は物心ついた時から計画してたってことか。相当根が深いんだな)
もし仮に撮っていたとしても処分してしまったのだろう。臨海学校や修学旅行、休めるものは全て休んで。それでも卒業アルバムなど絶対に写真を残さなければならないものはおそらく家に置いていない。
息子の部屋に案内されていろいろものを見たりする許可をもらった。触らないでくれとか、元に戻してくれという事は言われなかった。演技に入り込んで欲しいので自分のものとして扱っていいと言われた。
といっても部屋はミニマリストかと言いたくなるくらいシンプルだった。飾り気が全くない、本当に必要最低限のものしか置いていない感じだ。趣味は何なのかと聞かれても困るくらい本当に何もない。
人を表す単位というのはたくさんある。強弱、キャラが立っているかという意味での色素、つまり個性を出すということだ。この人はまるで無色透明だ、存在感がなさすぎて特徴らしい特徴がまるでない。パソコンやスマホが当たり前となった昨今、直筆のノートやメモなんて残っていない。別に筆跡を真似る必要はないんだけど、文字ってある程度育った環境や本人の性格が反映されるから何か手がかりになるかと思ったが何もなかった。
クローゼットは冬物の上着と服が数枚だけだ。背格好は同じくらいか。中肉中背、背も高すぎず低すぎず。柄物の服は一つもなく白、黒、紺の単色のみ。見事に当たり障りないものばかり。何もない人ほど演じるのがすごく難しい。
それから数分後、何とか探し出したという中学入学のときの写真だけ預かることができた。服装やある程度のメイクでごまかしはきくが、本質は本人になりきることだ。中学の時の写真と先ほど送ってもらったデータの写真を見てなんとなくこんな感じかなとメイクで陰影をつける。これだけでは不十分だ。
見た目ではなく中身、どんな雰囲気だったのかを知りたい。母親から話を少し聞く必要がある、部屋を出てリビングに降りた。声をかけて振り返った母親は俺を見るなり目を見開いた。どうやらそれなりに似ているらしい。
「ああ、びっくりした。一瞬本人かと思いました」
「一番身近にいたあなたが一瞬そう思うのだったら、父親は間違いなく見た目ではわからないですね。いくつか質問させていただきます」
「はい? えっと、必要なことですか?」
急に困ったように目が泳ぐ。そんなに困る事は言っていないはずだ、という事は質問されるということに何か不都合があるということか。……質問の内容も聞いていないのに困らないか。というか普通質問するだろ、これしか手がかりがないんだから。