18 黒猫は歩き始める
「……世の中透明感があるっていう表現があるけど嘘だと思う。具体的に透明感があるってどういうことって聞いてみると説明できない人がほとんどだ。透き通っている、みずみずしさがある、すっきりしていて気分が良い、そんな感じだろう。
透明であることの失望感と危機感は、本当に無色透明なやつじゃないとわからないものだ。比喩表現で軽々しく透明感があるなんて使わないでほしい。化粧なんて特にそうだ、顔に絵の具のようなものを塗りたくっておいて透明感があるってなんだよ、意味がわからない。
べたべたべたべた、化粧、服、髪の色、アクセサリー、カバン、靴。いろんな色を自分に塗りたくってごちゃごちゃとよくわからない存在になっているのに、透明感があるっていうのを褒め言葉として使っている。何なんだろうな、やめて欲しい。腹の底から苛つく」
かつて自分が書いた内容をそのまま声に出す。あのノートに置いてきた文章は自分に唯一残っていた人間らしさだ。それを言葉にして、形に残すことで置いてきた。「家」に置いて来ることで、「才華」を捨ててきた。最後のページに書いたことは切り取って破いて捨てた。そうすることで完成した、「本当の才華」が。真実の自分が。
「アンタは、ギリギリ自分を選んだ。踏みとどまったんだな」
無色透明に見えた彼。しかし彼は自分とは違う道を選んだ。誰かを演じ続けているのに自分を色濃く残し続ける。自分と同じに思えて正反対を行く人。自分がなっていたかもしれない、別の生き方。
「この仕事を続けていくなら、いつか会えるかもね」
丁度スマホに仕事の指示がきた。
『指定した場所に行って資料通りの人物になること。期限は八カ月』
資料を見るとターゲットを自殺に追い込めるよう、絶妙な距離感を保ちつつ精神的支配をするようにと指示が書かれていた。
「酒造会社三代目、海外輸出に力を入れ始めて売り上げを急激に伸ばしているやり手か。周囲に慕われて取引先からの信頼も集め始めてる、ねえ。俺の嫌いなタイプだ」
ふっと小さく笑うと短く返信をした。
『了解 ボンベイ』