11 母になりきれなかった「母親」
深呼吸をして意識を集中する。俺にとってはこれだけだ。それでもたぶん交感神経がオンになってドーパミンが出るんだと思う。これから仕事をするという仕事モードに入った時はゾーンに入る。これになると、意識が覚醒する。
「こっちも危害を加えられたら、それなりにやり返してもいいかなって思うんで。言いたかった事、言わせて貰います」
睡眠薬を息子に使っていたのはおそらく本当だ。家にいても距離感があり、夜どこかに出かけるから不安で家にいてほしくてこっそり。気を失うような処方をしたらバレてしまう、自然と眠りに落ちる量に調整していたんだろう。眠ってしまったら疲れてたんでしょうと適当にごまかしていたはずだ。
けどそんなの才華が気づかないはずがない。母親の手料理を食べた時だけ泥のように眠るなんておかしいに決まってる。自分の体は自分で管理コントロールすることに徹していたのは、こういうことが起きたときにわかりやすくするためだったんだ。
「あなたの家庭環境とか生い立ちとか調べてこなかったので完全に想像なんですけど。いいとこ育ちの箱入りのお嬢さんって所でしょう。『娘』としては好きに生きることができても妻や母親として生きたことがなかったあなたは、家庭というものにずっと悩みや不満があった。一人ではどうしていいかわからなかったんですよね」
母親が一歩、ニ歩と後ずさる。まるで化け物を見るような目で俺を見る、もしかしたらこのちょっと投げやりなものの言い方も息子にそっくりなのかもしれない。
そりゃそうだろう、こんな女と話をするんだったら嫌気もさす。
「ずっと思ってたんですけど。あなた、型にはめた考え方が好きでしょ。いやちょっと違うかな、型にはめた考えじゃないと不安で不安でしょうがないのかな」
いわゆるマニュアル通りにしか動けない、他の人と同じじゃないとどうしていいかわからないタイプ。子育てもネットやママ友などの情報を読み漁って「こうあるべきだ」「こうじゃなきゃおかしい」という、信憑性のないものをまるでこの世の真実かのように盲信する。
子供が歩き出すのもしゃべりだすのも個人差があるし、夜泣きをする子もいれば一晩中眠り続ける子供だっている。でも少しでも違うと不安になる、この子は何か病気なんじゃないか。ちゃんと立派に育ったないんじゃないか。自分の子供は普通じゃないんじゃないか、なんて。
「人間は機械じゃない、子育てのハウツーなんて娯楽で読むくらいがちょうどいい。ごちゃごちゃと考えずにできることをやればいいだけです。赤ちゃんの気持ちなど赤ちゃんにしかわかりませんよ。子供の気持ちは子供にしかわからない。才華の気持ちは彼にしかわかりません」
「でも!」
「あなたと会話して、でも、だって、だけど。そんな単語ばかり聞かされて育ったら、誰だって嫌気が差します。何も強制してこなかったって言ってますけど、それはあなたの思い込みだ。自分の思い描いた方向へ誘導することを常にしてきたでしょ」
自由に選ばせているように見えて自分が選んで欲しい選択肢しか出さない。食べ物も、進路も、人間関係も。あの手記を見ればわかる。母親が望んだ息子の偶像を演じ続けなければ、息子を認めることさえしようとしなかった。だから理想の息子像と、ほんの少しの反抗手段を織り交ぜて出来上がったのがこの家での「才華」という人物なのだ。
自分のやりたい事ははっきりしていてそれを完璧に隠していた。他の人と同じことに安心を求めず満足しないタイプ。起業家向きのタイプだと思う、本領発揮すれば人を動かすのが上手くてリーダーや社長になれる人。そうじゃなければ自分の存在を完璧に周囲から隠したり、相手を思う様に操るような言動ができないはずだ。観察力、考察力がずば抜けていた。
そして、それができなかった。こいつのせいで。
「あなたが知りたかったのは息子の本心。俺が思いのほか息子に似てたからこのまま息子を演じてもらって、腹割って話したかったんですか? どうして自分のもとから去ったのか」
「……」