10 危害
たいした会話もなくそのまま俺は部屋にこもった。一応個人の連絡先は会社を通して聞いているのでメールをしてみる。このまま寝るので明日の朝から引き続き息子を演じますか、という確認だけ。すると「お願いしますと」いう短い返事だった。
さてどう出るかな。予想通りだったら今夜だ、時間がないのだから。
部屋の中で目を閉じて意識を集中する。今まで演じたことのないタイプだったからごく自然に会話をしてきたけど、もう少し冷静に考えてみる必要があるかもしれない。何か見逃してないか、どうして才華は姿を消した?
目立たないように徹していたのは、物心ついた時からこの家を出ると決めていたからだ。家庭環境に大きな不満があった、原因は間違いなく母親だ。父親の事は最初から眼中に入れていない。
卒業アルバムを見て学校名を調べてみるがごく普通の学校だ。本人の性格を考えれば自分の生きたいように生きるという願望が強かった。それならたぶん進学校などもう少しレベルの高い学校に行きたかったに違いない。しかしそれができない理由があった、それをやってしまったらおそらく外野がうるさかったからだ。生きづらくなってしまう。
この外野とは間違いなく母親だ。一枚だけ残っていたという中学入学の時の写真、学校名からも地元の普通の中学であることがわかる。母親は満面の笑顔だが、才華は笑っていない。まだ十二歳だ、表情に出たのだろう。不満だったんだ、この中学が。
ほんの数時間過ごしただけだけどこの家庭環境、才華が何を望んでいたのかは何となく見当がついた。家を出たかった、母親から離れたかった、自分の生きたいように生きたかった。虐待をされていたとか愛されなかったとかではない。そして親が過保護だったわけでもない、逆だ。
まるで少し変わった人間が才華で、いなくなって困ったものだというようなシチュエーションに見えなくはないが。問題があるのは母親の方だ。それを物心ついた時から強制的に一緒に生きなければいけなかった、助けを求める相手もいなかった才華は自然と学んだはずだ。当たり障りのない関係を築いてやんわりと相手が強く言えない立場を確保するしかない。
キャラが立ってしまうと母親は周囲に相談をするはずだ。苛立たせることなく、でもほんの少し不安になるような。誰かに相談するほどでもないしこの程度の事、どの家庭もあるのかもしれないと思わせるギリギリのラインで生きてきた。なぜそこまでする必要があったのか?
そこまで考えて俺の意識が落ちた。
「どうしてなの才華」
そんな声が聞こえた。声が震えていて今にも泣きそうなようにも聞こえる。いや、怒っているのかもな。
「息子のことが何もわからない母親なんて最悪でしょ? だから理解したかったのに、どうしていつも何も言ってくれないの」
どうして、か。本当にわかってないんだな。
「何かをやれって強制したことなんてないでしょ、いつもあなたの自由にさせていたじゃない。嫌いなものを食べろって言ったこともないし、お小遣いもちゃんとあげた。進路だっていくらでも相談に乗るのに」
自分が頼られて当たり前だって信じてるんだなこの人。母親だから? 相手が母親だって、一人の人間として頼りになるかどうかはまた別の話だ。
「どうしていなくなっちゃったの」
「本当にわからないんですか」
「!?」
俺のつぶやくような言葉に彼女はたぶん飛び跳ねて驚いたんだろうな。まだ目を開けていないから確認できないけど。
「世間知らずのあなたにはちゃんと事前に伝えるべきでしたね。派遣会社に依頼して仕事をしている以上契約が成立する。雇われる側は金をもらうからって従属する関係じゃない。依頼者は金を払ってれば何をしてもいいってわけじゃないんです」
「え、あ、ど、どうして」
「人の夕飯に睡眠薬なんて混ぜないでください、普通に犯罪ですよ」
ゆっくりと目を開く。結構強い薬なんだろう、俺にもちゃんと効果が出て俺は一度意識が飛んだ。すぐに起きたけど。
「昔不眠症に悩まされてたことがあって、睡眠薬を処方してもらってたんです。使いすぎて効かなくなりましたけどね」
「そ、そん――」
「あと割と気合と根性で何とかなるんです。たぶん薬を盛られるなって思ったから。起きようっていう意識の覚醒するためのルーティーンみたいなものがあるんです。それをやってたからちゃんと起きられました」