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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

呪いの大成

作者: 汐風鈴

 私は物心ついた時から奇妙な存在として認識し、ただの人ではいられないと考えていた。

 

 左手首の掌側には三本の縦線が刻まれている。これがミノリサマの巫女である証拠であり、人間の子を孕めない烙印なのだ。

 

 ミノリサマはこの村で祀られている現人神で豊穣を司っている。私と子を成すことで後継を残し、自然に帰るのだ。子、辰、申の年でお祭りが行われており、そこでミノリサマがお見えになり豊穣を祈願なさる。

 

 ミノリサマの後継者を産んだ巫女はなんの役にも立たなくなる。産後はどうやっても子を産むことはできず、ミノリサマと近くなりすぎてしまったからか体表にはミノリサマの特徴である青白い鱗が所々に現れ、さらに数年後には魚のような尾が尾骶骨あたりから生え、手には水掻き、首にエラ、さらには金色の角が二本生えてくる。そうなってしまえば、私は巫女ですらなくなる。

 

 ミノリサマでない名も無き巫女はただの化け物である。巫女で無くなった私は御社から出られるようになったが、明らかに村人からは避けられて子供たちからは石ころを投げられるようになり、いつしか御社に蜻蛉返りすることとなった。それから数年後、追放か処刑を母から選択を迫られた。

 

 追放を選んだ私は全身を覆えるほどの羽織りと杖、少しばかりのし水と握り飯を渡された。今考えればそれが唯一の慈悲なのだろう。死にたくはない。


 ————————————————————————


 山を登っているととある町を一望できるところまで到達すると胃に籠った定食が下ってきたのを感じ取って一度腰を下ろして水を飲む。

 

「天気が変わる様子もないし、今のうちに下るか。」

 

 獣が一ミリたりとも警戒せずに動き、過ぎていく。貂が股を通り、服には甲虫がくっついている。それらは彼女のことを意識しておらず、そこにひっそりと佇む木どころか空気の一部として認識している。

 

 下山中に見えていた村の前に着くとそこには二人の門番が立っていた。彼らは私に気づいていないようで容易に侵入することができた。

 

 牛車や薪を持った男、洗濯物を持った女が通り過ぎていくも一人たりとも振り返らない。村が抱えているであろう山に入ると一部が拓かれていて、そこには寺があり、心地よいお経が聞こえる。

 

 私は一礼をして許可を頂いてから門をくぐって寺の裏につく。

 

 外套を脱ぎ、肌を晒し胡座をかく。誰もいないここは掃除が行き届いていて快適である。生涯通して正座をしていたがこの姿になってからは正座に違和感を覚え、いつの間にか胡座で過ごしていたのだ。

 

 目を閉じ精神を落ち着けているといつしか子供達の声が耳に届くようになった。そういえば、門の前に寺子屋の札が掛けられていた。

 

 目を開くと一人の少年がこちらをジロジロと見てきたのである。こちらに気づいているのか、外套が置いてあることに違和感を抱いているのか、わからないが少年の口が開かれたことで明確になった。

 

「お姉さん、だあれ?」

 

「私は——何者でもない。人ではないし、だからといって他の動物に分類されるわけではない。私のことはいい。ささ、皆のところへ行ってきなさい。」

 

「いやだ、皆といるのはつまらない。騒がしいんだもん、走るのが遅いのわかってて鬼にしてくるし、蟻を見てたら着物を掴まれて強制的に鬼ごっことかやらされる。ここには人いないし誰も来ないから安心。」

 

「そうか、まあいい。静かにしてもらうのと誰かに私のことを話さなければそれでいい。」

 

 そう言って彼女が何度か屈伸をしてから立ち上がるとあの少年は異形の全身を見上げるように観察している。彼女の周りをぐるぐると周ると今度は不思議そうに腰のあたりをまじまじと見つめている。

 

「少年、流石の私も裸を見つめられると恥ずかしいのだが……。」

 

「ねえ、尾っぽってどうやって生えてるの?」

 

 悪気がないのが恐ろしい。遠慮とか配慮とかそういうのはないのだろうか?

「それはさっき言ったであろう、もう私は人ではないのだ……と言いたいところだが私も詳しいところは誰にもわからん。」

 

「お姉さんの名前は?」

 

「ない、つけられたことはない。どうとでも呼べ。」

 

 少年との会話を投げ出し、再度あぐらをかくと少年も私の横であぐらをかき頭を抱え始めた。

 

「うーん、おみつ……おまつ……。」

 

「どうとでもいいと言っただろう。」

 

 そもそもそこまで名前とは必要か?私は村を出るまでずっと役職で呼ばれてきたし、それでなんとかなっているのである。それは所詮個体を識別できれば良いのであってそこまで重要ではないはずだ。

 

「そこらへんにあるものでいいだろう。植物とか、動物とか。」

 

 辺りには雑草が轟々と生えているし、少し行った先に川もあったはずだ。

 

 日が傾き、烏らの鳴き声が響く頃になってやっと少年は立ち上がった。

 

「そうだ、エバチとかどうかな?お姉さんの尻尾が魚っぽくて……おっきい魚なんだ。」

 

「ああ、じゃあそれでいい。」

 

 気が晴れたような顔になったところでどこからか、女性の大声が村に響く。どうやらそれは少年の母だったようで、

 

「もう夕ご飯だから戻るね、じゃあね!」

 

「ああ、そういえばの少年は何と言う?」

 

「一郎次郎!」

 

「では、一郎次郎。縁があったらまた会おう。」

 

 彼は自分の名前を残して去っていった。

 

 それからというもの、その少年とは毎日のように会うようになった。都に行こう行こうと思っていたが少年に止められたのとここの居心地が良いということで追い出されなかったことで住み着くほどになってしまった。

 

 出会った頃は腰ぐらいまでしかなかった彼も五年で私と同じぐらいまで成長した。彼が歳を重ねるごとに家の手伝いで頻度は減っていったが七日のうち二日は会えていた。

 

「一郎次郎がいないのは静かでいいが、少し静かすぎるな。」

 

 少年が十六になったぐらいだろうか、彼が一切顔を出さなくなった。少し寺の裏から飛び出して子供達が集まっていた大木の方に行くが誰もいなかった。それから私は寺さえも抜け出して村中を周った。

 

 すると村の門の前で何か話している六人組がいるのを発見した。

 

「じゃあ孝ノ助、頑張れよ。ここの若い奴らはみんなそっちに着いている頃だろ?お前はいっつものんびりしてるんだからあっちではしっかりしてくれよ。」

 

「たまには家族に連絡よこしなね。」

 

 孝ノ助と呼ばれた男の周りを家族らしき男二人と女三人が囲っており、孝ノ助に手を振って見送った。

 

 そうか、若い男たちは都になんらかの理由で都に駆り出されたのか。あの少年も例外ではない。案外さっぱりした別れだった。

 

 エバチは寺の裏に戻り胡座をかき目を瞑って気を落ち着けようとするが人の気配がやってこないか何度も確認してなんだかモヤモヤしたものが取れない。辺りを歩き回り座る。これを何度かやって終に瞑想に入るとどこからか声が聞こえる。

 

『……巫女よ、遠方より訪れた異教の巫女よ。頼みたいことがあります。』

 

「あなたは、この寺で祀られている者か。この場を貸してもらったことには感謝している。ある程度のことは頼まれよう、それで何用だ?」

 

 空から受け取った声は天から人々を見守っている悟りを遂げた存在であった。彼(彼女?)が言うことには都を襲撃しようとする僧が現れたのだという。僧たちに罰を与えなければならないらしいのだが人との対話以上のことを本人は不可能らしく、私の力を借りたいらしい。

 

「しかし、私じゃ雲を操ったり地を揺らすことなどできない。巫女であったのも昔日の話だ。 

 

『いいえ、巫女で無くなったことに意味があるんです。あなたは生まれつき人知を超える存在と交わり、同様に人知を超える力を持ったのですよ。巫女という役にすることで縛っていましたが今はそうではない。村の者どももあなたを巫女と認識していない。今までもあなたのような存在はいましたがこれまでは関わる以前に現世から絶ってしまったのです。』


「異教と関わって問題無いのか?」


『あなたは離れた身ですし、もう少しで……いえ、なんでもありません。時間がないので話は移動してからにしましょう。さあ、羽織を着て今すぐに出発しますよ。』


「わかった。」


 彼の焦った声がエバチに伝染し、にわかに真っ白な羽織りを持って走り出した。


『では、あなたの力について話しましょう。簡単に言うのであれば自然と調和するというものです。その力は雨風を自由に操れるのですが……。』


 が、とはなんだ?現段階で私がその力を使ったことがないことが難なのだろうか。


『多分あなたはしっかり力を使えると思うのですが、殺めないでください。』


 あなたの信徒だからか?


『いえ、欲に溺れ人を貶めた者に与える慈悲はありません。ですがあなたが殺めればあなたは彼らと同じになってしまいます。』


「別に人格者になった覚えはない。殺すときは殺すつもりだが。」


『あなたのためにもなりません。殺人だけはよしてください。』


 納得したかしていないかわからないような返事をして、エバチは風のような足を進める。彼の案内に従っているううちに都(にいつか変貌する土地)の一部分が山と山の間から顔を出した。


「あれか。思ったより早かったな、僧たちはまだ来ないらしいし。」


 彼が案内と忠告以外私に話しかけてこないのは私の性格への配慮だろうか。私自体が人(人を超えた存在に近い者だろうと変わらない)と話すのがあまり好きではない。雨にも負けず、風にも負けず瞑想を続けるのが心落ち着く。


 胡座をかいて目を閉じているうちに、木々に覆われている中で夜行性の猛禽類が鳴き出し、辺りに響いて、黄色く輪郭のない光が舞っている。


 腹が鳴る。


 数日間何も食べていない。今の姿じゃどんな食べ物も嗜好品に近くなっているが流石に一切何も口にしないと死ぬ……っぽい。脳に響く声が言うには神に限りなく近いが人としての存在は残っているらしく誰かが巫女としての私を覚えているから人の形を保っているのだとか。


 人の形を保てているから今こうやって風に触れ土で暖をとることができている。誰かはわからないが覚えてくれていることに感謝しよう。


 以前毒味したことのある赤い果実を見つけたのでいくつか口に入れる。控えめな甘さは乾き切った体に染み渡ってくれ、明日への活力になってくれて毎度の食事には感謝せざるを得ない。


『そろそろ行きましょう。彼らも徐々に近づいて来ていますから。』


「わかった。」


 エバチは切り株から腰をあげ、看板に従って下山を目指す。ふと上を見上げてみると、晴天が羊の群れのように鱗雲で敷き詰められている。


 決戦の日は近い。


 ————————————————————————


 中腹辺りにたどり着くと三つの坊主頭が進路を塞いできた。


「何用。」


「我らフクライの者どもなり。フクライ様からのお告げより、フクライ永続のため貴様には犠牲になってもらう。」


 その言葉が合図なのだろうか、三人は杖から刀を抜いて構える。


「なるほど、あいつが悲しむわけだ。」


「——覚悟!」


 一斉に切り掛かってくるが、風に乗った綿のように足払いをしながら三人を避ける。


「あがっ!」


 彼らが避けられたことに気づいて、後ろを向いた瞬間に彼らの鳩尾を肘や膝で打つと一斉に地に伏せる。


「くそっ。波刃の刺客が……。必ずや天罰が降る……ぞ。」


 坊主らの力が完全に抜け、ついに一言も喋らなくなるとゼンマイは倒れた男どもの懐を探って、自らの懐に数十銭を仕舞った。


「少々もらっていこう。」


『はしたないですよ。あなただって神聖な存在なのですよ、少しは自覚してください。』


 いいんだよ、元々悪いのはあっちだし。バチが当たったんだよ。何より無銭の女が一人でいる方が怪しい。少なくとも僧のする格好じゃないから怪しいだろう。道中で捕まるのが一番危ない。


『待ち伏せがいるって言うことはその先にも敵がいるということです。急ぎましょう。』


「ああ。」


 エバチは細く直立した杉の群れを直線で薙ぎ倒して山を下る。


 すぐに目的地に到着したが都市を築き上げようと奮闘する者たちは何も気づいていないようである。道を作っていた途中、武装した僧たちが松明を持って歩いていたので多分明日か、今日の夕べには到着するだろう。それまで門の前で待機することにした。一睡もする気はない。


 そこで数刻も過ごし気を緩ませたところで悲鳴が聞こえた。


「火事だ!フクライの者どもの襲撃だぞ。逃げろ逃げろ!」


 背中に避難を呼びかける声と炎の色と温度がすり寄ってくる。


「まさか、あれは囮だったのか⁈」


『そのようです。ひとまず雨を降らせましょう。火災による動揺を治めるのです。』


「でもどうやって?」


『私にいい案があります。』


 彼は何か良い方法を思いついたのか、私に指示を促した。


 エバチが手にしたのは誰かが落としたのだろう、金属の輪がいくつも付いている杖である。それを持って炎上していなくて尚且つ中心部に近い建築物の上に登れと指示を受けたため、土壁に漆喰が塗られた蔵の上に立ち纏っているもの全てを火にくべるように乱暴に脱ぐ。


『雨を想像してください。雨や水のような舞踊をします、要は雨乞いです。これはあなたの専門分野ですので頑張ってください。』


 専門分野と言われても私にもわからない。人体に作用させることは身体能力の延長線上にあるからやりやすいが天候操作という自らの身と離れた存在をどうにかするのは難しいのではないだろうか。


 舞踊、舞といえばかつての村にいるミノリサマが収穫祭で行っていた舞踊を思い出す。あの私を縛り、今でもこの肉体に残り続けている神として崇められた異形の一部。私の母が息子に教えていた舞は嫌でも目に焼きついている。


 腕を風のように川のように、ゆったりと水平に振って、丸太のように太い銀の尾をはためかせ、入道雲のように大きな体で雨を願う。この姿は誰にも見えなかった目に映りこんで離さない。


「おい、なんだあれ。」


「女?いや、そんな……。」


「ああ、女神様じゃ……ありがたや……ありがたや……。」


 いつの間にか天には雲が覆い尽くし、滝のような雨が火の海を消滅させる。とある男が立ち上がり、腕をあげ鍬を持ち皆を先導し僧に迎え討つ。土煙など起きず草履が雨で緩んだ土を跳ねさせ、泥まみれになりながら開拓者どもは一人もかけることなく、僧を一網打尽にして彼らは終に滑りながら尻尾を巻いて退散していった。


 やがてエバチは舞納め腕を下ろすと同時に大粒の雨は止み、雲の隙間から日が覗いて地は何事もなかったかのように固まった。草履の跡はしっかりと刻まれている。


 異形に居場所はないと考えた私はすぐに蔵の上から瓦を粉砕するほどの力で屋根を蹴り、山の中へと身を潜めた。


『ありがとう、君のおかげで都心の未来は守られました。あなたには迷惑をかけました、ここで一つ有益な情報を与えましょう。』


「今更、私に有益なことなんて……。」


 全て失った自分にとって損得なぞ関係のないことである。これ以上失うことはない。村に戻ることはできないし、しない。金がなくても生きていけてしまうし丈夫な体のせいで死のうにも死ねないと思う。


『ごめんなさい、あの豪雨のせいで君の村が崩壊してしまいました。君が生きていることで土地神の効力が薄れたと言うこともあるのだが、これは私の失態です。』


「いい、あそこにはいい思い出がない。誰が死のうと……。」


『あなたのお母さまは生きています。』


「は?」


『そもそもあなたは始めから——』


「——いい、今から村に向かう。」


 飛龍のような勢いを持った彼女はその言葉を合図に隼にも勝る神速で初めに登った山を探す。わずかな記憶を頼りに山を突っ切る。元々村がこの泥炭地から山を跨いだ先で歩いても半刻ほどの時間を要する。ゆっくり山に登って半刻なのだから穴を開けてしまえば半刻のそのまた半分ほどで到着できるだろう。


「話を途中で遮って悪かった。さっきの”そもそも”ってなんだったんだ?」


 舞に使った杖を槍のように立てて土を貫く。筋骨隆々の男でも吹き飛んでしまいそうなほどの風を杖を目印にして一点に注ぎ込む。


『いえ、本人から話してもらった方がよろしいと思います。』


「そうか、あんたがそういうのならそれが最善なのだな。」


 ドドドドドと地を震わせ進み続けて、終に一筋の光が差し道が開けた。


 そこには泥で浸されたあの騒がしい村とは思えないほどの静寂が広がっていた。畑の農作物は空気に晒され緑色になっていて大根さえも断面が見えている。


 もちろん家屋などは流されて更地になっている。しかし、一つだけ無事である。私が生まれてから捕えられていた場所。無駄に頑丈で他の家屋が木造であるのにも関わらず、ここだけ私が舞を踊った下の蔵のように漆喰が塗られた土壁で小さな空気あな以外存在しないのである。


 その蔵の前に立ち、金属製の扉に手をかけると鍵がかかっていることに気づく。思いっきり引っ張ると扉の周りの壁ごと外れて部屋全体が明らかになる。


 そこにいたのはやはり私の生みの親である母だった。


「良かった、生きていたか。」


 最悪の事態を加味していたが杞憂で済んで心の中でホッと胸を撫で下ろす。唯一私を最後まで陶器のように優しく扱ってくれた母の生存には安心させられる。


「あなたが助けてくれたのですか?ありがとうございます。ええっと、他の村の人たちは?」


「全滅だ。ここは頑丈だからな、無事だったんだ。君の孫、私から見れば息子な訳だが、彼の気配も感じない。役目も果たせなかったか。でもこれでこの村の因習は根絶できただろう。」


 目の前の女は怯えつつもエバチの全身と顔を確認して、息を飲む。


「いや、私は復興するつもり……ってまさか……唯河(ゆが)?!」


「母上よ。それは、私の名前で間違いないか?」


「そうよ、唯河。私の娘、あなただけでも生きていてよかったわ。」


 唯河が正座をして大きな体を広げると腹のあたりに母は向かってくる。それをなるべく傷つけないように羽根のように体を覆い尽くして、しばらくの間二人は動かず、二人の熱ができるだけ逃げないようにただただ抱きしめ合った。

「それで、ユガというのは……私の……。」


「ええ、本当は巫女への名付けは禁じられているのだけど、やっぱり我が子っていうのは可愛いものでね。」


 母は私を撫でながら話す。村の全てを忌み嫌っていたけれど、私を解放してくれた母だけは信頼してよかった。


「これからどうする?一つ山を越えた先で都市の開拓が進められているんだ。そちらに向かうのが得策ではないか?」


 ユガの提案に悩んでいる様子の母であるつゆは村の至る所を漁り始める。来る時はほんのわずかだったが今度はそうもいかない。やはり三十路を越えたつゆにはユガのような体力や瞬発力があるわけがなく、人並みですらない。


 今日、山を登ってしまったら間違いなく途中で夜が更けてしまうだろうからとりあえず日が昇るまではここで大人しくするのが吉だろう。


「あの時からどうしてたの?」


「東の方へ旅をしていた。目的がないゆえ、旅というより放浪と言った方が正しいだろうが……。」


「とにかく無事でよかったわ。これからどうやって復興しようかしら。」


 ユガは神殿の辺りの泥を除け、水を吸収して変色した小箱を手にとる。その小箱の中には茶色い塊が入っており、異形はそれをつまむ。


「あー——」


 それを額の高さまで上げて大口を開け、茶色い塊——旧ミノリサマの木乃伊を飲み込んだ。


「——んぐっ。」


 今はもう、ユガこそがミノリサマである。彼女が、かの残骸を飲み込むことでこの地からミノリサマの存在が確認できなくなった。


「何してるの!それがなかったらこの村を復興できないじゃない!」


「昨日までここにあった村はもう現世(ここ)にはないだろう。盛者必衰、盛えてなければなおのことだ。」


 母上は我の羽織の裾を握り、力任せに体を押したり引いたりしようとするが彼女の図体の大きさもあって一寸たりとも我の体は動かなかった。

 

「我は村に愛着などないし、呪っているつもりだ。人体改造、軟禁、差別。何が巫女だ、我にとってみれば奴隷の方がまだ高待遇ではないか。」


「じゃあ、なんで私を助けたの?」


「我を解放してくれたからだ、殺さず目を瞑ってくれていたからだ。だから助けたし、これからも死んでほしくはない。」


「ふっ村の異常さは半分部外者の私でもわかるけれど……彼が亡くなったのは寂しいわ。」


 蔵の中から大きめの風呂敷があったのでそれを取り出し、蔵の中にある即席で食べられるものや着物、書物などの必需品、金になるものを詰めていると、もう山の方から猛禽類の鳴き声が響いてくる。


 布団が一つしかないので私は壁に寄りかかって寝ることにした。蔵の扉を破壊してしまったことについては申し訳ないとは思っている。


「そうは言っても眠れないものだなぁ。」


 今日は我が生で一番深いものであった。天の声との遭遇、とある集団の悪事の妨害、それと雨を降らせて山も貫通させたか。まだ緊張のような何かが途切れずにいる。


『これで一件落着ですね、誰も死なずに済んでよかったです。僧たちは簡易的な奉行所に連行されましたし、ユガさんのお母様も無事で何よりです。あちらに戻ってからはどうするつもりですか?』


「我は母を置いてまた旅を続けるつもりだ。私と違ってちゃんと人と関われるところでちゃんと食べて、ちゃんと笑ってほしい。」


『そうですか。では、陰ながら応援させてもらいますね。他の神々もあなたの話題で持ちきりですから。』


 星の流れを眺めているうちに月は顔を隠し、日が朝を告げる。あの頃の桁魂しい長鳴鳥の声が村中に迸るわけもなくチュンチュンとどこかからやってきた小鳥の鳴き声でつゆは起きることになった。


 井戸も土砂でダメになっていたので仕方なく干し肉だけを口にして出発することにした。中腹の辺りまで登ってやっと川の色が工芸品のような透明になったのでそこでつゆに水浴びをしてもらうことにした。


 私が春のように温かい風邪を浴びせることで母の濡れた体を拭いた手拭いを洗ってから乾かし、持ち寄っていた着物に着替えたところで二人の男が茂みから現れた。


「いたぞ……やっぱりエバチさんだ。」


「はぁ、一郎次郎。すまんが我はその名は捨てたのだ。」


 ユガが声の聞こえる方を向くと二人の若者を引き連れた初老が立っていた。その初老と若い奴のうちの一人は彼女の姿に開いた口が塞がずにいるが従者のうちの一人は驚いているもののそれは彼女の容姿から来る反応ではなかった。


「あははっそうでしたか。それにしても探しましたよ、大変だったんですからね。将軍様から雨を降らした者を探せって開拓者の三分の一が駆り出されているんですからこちらも大騒ぎで。」


「蔵の上で舞っている姿を見て僕はあなただってわかりましたけどね。」


 本当か、と疑ってしまうが彼以外にユガを知る者はいないのでひとまず信じることとした。一郎次郎の親しげな様子につゆはユガの肘のあたりを突いて誰かと疑問をこぼす。


「母上、彼は五、六年間我と仲良くしていた一郎次郎だ。一郎次郎、こちらは私の母だ。色々あって今はともに行動している。」


 ユガと一郎五郎は軽い握手をして再会を分かち合うと残りの二人を置き去りにして会話を進める。


「それで(うぬ)は我にどうして欲しいのだ?」


「ええ、将軍様からお会いしたい、とのことだったので……」


「わかった、ついていこう。ちょうど我らもそちらに向かうつもりだったのだ。母上もそれでよいか?」


 つゆは無言で頷き、三人の後ろについていくことにした。若者の援助のおかげもあって先ほどよりも良いスピードで進むことができた。


 つゆは初老の男に口を開くようになり村の状況や我が異形と化したわけを話したのである。ここまで流暢に話す母を見るのは我の孫がまだ健気であった時ぐらいだった。


「今の時代にそんな封鎖的な村があるとは思いませんでした……。亡くなった方には失礼かもしれませんが、儂にとってみればおつゆさんがユガさまを逃してくれたことには感謝せざるをえません。」


 ユガとつゆの苦労に同情に近い慰めをした初老は流暢に今回の一件を話した。それは少々脚色されているなと冷めた目を向けられるものだったが娯楽としては自分ごとだが面白い者で彼を旅芸人なのではと疑うほどであっという間に目的地に到着することができた。


「これから、将軍様と御面会だ。おつゆさんには悪いがここで待機してもらう。」


「ああ、案内してくれ。」


 彼についていくと簡易的な布の仕切りの中に肩のあたりが反り立った羽織を身につけた男が椅子に座っていた。ユガの姿を目にするなり彼とその周りにいる従者どもがどよめきを口にしている。


「ほ、本物だ。やはり幻覚ではなかったのだ。」


 誰かがユガの姿に歓喜を口にして、誰かがえずきながら肩を揺らし地に伏している。


「貴様が民の言っていた神か。名を何と言う?」


「ユガだ。一応、神ではない。人知こそ超えているが呪いから転じた物だからな、たかが気味の悪い女である。」


 そこからは質問の嵐だった。なぜ襲撃を知っていたのか、なぜ雨を降らせることができたのか、ユガという存在は神なのか。彼は私の言葉に頷くと最後にこう告げた。


「ユガ様はこの先どうするつもりで?」


「図々しいと思うだろうが母をここに置かせてもらって旅を続けようと思う。無論、この先の日本の未来は我が形作られている限り見据えていくつもりだ。」


 将軍は家来に耳打ちをして手に収まるほどの何かを渡してくれる。そこには『波刃隆徳(はば たかのり)』と書かれている。あの初老曰く、『波刃隆徳』こそ将軍の名だという。


「それは交通手形だ。これから先全国の整備をするうちにこの国を十数に分けるつもりでいる。その境界を渡るのに必要なのがその手形。これからのユガ様の旅に大いに貢献すると断言しよう。」


「ああ、母上のことも受け入れてもらって助かった。礼を言おう。」


 ユガは一礼をすると、慌てた様子であちらもぺこりと腰を曲げた。威圧的な印象を受ける彼女が謙るとは思いもしなかったのだろう。


「最後に私の名だけでも繋いでいってくれ。それと私はもうここを去るつもりだ、何か言い残すことはあるか?」


「いえ。この度はあなたに礼をするだけで十分だ。」


「では、これにて失礼させてもらう。」


 我が仕切りから出ると同行した者が待っていてくれた。一郎次郎の手には着物が掛けられている。


「ユガさん、これ。さすがに何も着ていないんじゃ皆が困るから来てほしいって。あと旅に出るって言ってたでしょ、顔が見えないように笠も持ってってくれって友ノ助さんから。」


「ああ、あの初老には礼を言っておいてくれ。」


 藍色で胸の辺りに手形と同じ印のついた装束を身に纏って帯を巻く。尻の辺りが少し窮屈だが仕方ない。


「少し休んだら日が落ちる前に旅を再開しようと思う。」


「そんな、あったばかりだし。あの時何も言わず消えたのも謝ってない。」


「いいんだ、汝が気にすることではない。ここに滞在しては皆が安静できないだろう、君の隣の男も緊張でガチガチだ。」


 我が口角を上げ盛大に笑うと一郎次郎はニヤリと笑み、隣の男を肘で突く。我は懐に手形を入れて二人に母の居場所を尋ねようとするもどうやら女性の輪に入っているらしいので手を引くことにした。


「じゃあ、我は旅に出たと伝えてくれ。我といたら碌なことにならない。じゃあな、汝ら。縁が遭ったらまた会おう。」




 我は皆から離れることを決意した。これからも異形として我は生きていくけれどもそれは畏怖され時に敵とみなされるだろう。それでも我は我として存在する。今となっては人への悪意に怯える必要などはなく、恨もうなどとも考えることはない。そう、この呪縛(祝福)は我にとって現世(うつしよ)を渡る唯一の価値なのだから。

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