千切りキャベツ
母を思い出すと、居間でテレビの前で寝転がっている姿か、台所でご飯の下ごしらえをしている姿が浮かぶ。
実家の台所は壁付けで、料理する姿は自然と後ろ姿を思い浮かべることとなる。まな板の上で何かを切ったり、コンロの前で何かを炒めたりとする作業は慣れた動作で、迷いがなかった。
兄も幼かったときは、私、兄、母と並んでコロッケの衣付けを流作業でしたこともあった。兄が中学生になる頃には兄は手伝うことはなくなり、私もそのうち手伝うことも減った。
毎日毎日、母はご飯を作ってくれた。もちろん惣菜の日もあった。「なんとかの素」を使った簡単料理の日もあった。ただ、やはりほぼ毎日何かしら作ってくれ、私たちのお腹を満たしてくれた。
なんでも美味しいと食べる子供ではなかった。好き嫌いは多く、特に野菜なんて残した。カレーライスも嫌いで、自分だけ特別にカレーうどんを作ってもらってた。そんな私に文句を言いながら、叱りつけながら、なんだかんだと作ってくれた。
文句を言い、残すことも多かった私に対して母は粘り強かった。幼稚園の頃、お弁当には必ず炒めたピーマンが入ってた。野菜なんて全くと言っていいほど幼稚園の頃は口に入れたがらなかったのだが、そんな大嫌いな野菜の中でもなぜピーマンを選んで毎回入れていたのかは分からない。だが必ず入れ、ついに私はピーマン含め、お弁当を完食した。
千切りキャベツもそうだった。メインの肉料理のそばには必ず、薄緑のそれがあり、好きではなかった。そのまま食べても、ドレッシングをかけても、お肉と食べても気に食わず、残していた。
ある日、台所に立つ母に聞いた。
「どうしてそんなに千切りが上手いことできるん?」
「どんな練習したん?」
いつも見る千切りキャベツは不揃いなく、きちんと細切りになっていて、きれいだった。一度も千切りなんてしたことのない私でも、その包丁捌きが手慣れていて、上手なのは分かったし、いざ自分がしようとしてもできないのは分かりきっていた。だからどんな練習をして、どんなコツがあるのか知りたかった。
返ってきた答えは、
「毎日やってたらできるようになった」
つまらない答えだった。
そんなの当たり前やん。そりゃ毎日してれば上手くなっていくなんて当たり前やん。そうやなくてなんか特別なことないん?
食い下がって聞いてみても答えは変わらず、私は興味をなくした。
その後私は大学卒業まで実家に住み、母の料理を食べていた。大学生になり、バイトの賄いを晩御飯に食べることが多くなっても、それ以外は母の料理ばかりで、飽きもきていた。それでも就職で家を出る前夜の母の食事はとても恋しく感じた。
もうこの家族で、この家で、このちゃぶ台を囲んでこんな風に食べるなんてことはないんだろう。食事中そう考えると涙が出そうになり、堪えるのが大変だった。
時は経ち、結婚し、仕事を辞めて専業主婦になった。野菜嫌いはいつの間にか克服していた。
どんなご飯を作ろうか。そう考えた時、浮かぶのはいつだって母の料理だった。白ごはんに味噌汁はあったりなかったり、そしてメインの肉料理と千切りキャベツ、時々煮物の副菜もついていた。そんなありきたりなようでいて、理想みたいなご飯ばかりだった。
自分だけなら卵かけご飯だけでいいし、物足りなければウィンナーを焼いたものを乗せれば完成だ。だが夫がいる。私の作った食事が夫の体を作ると思うと、ちゃんと野菜も使った料理にしなきゃという責任みたいなものが自分の中で生まれる。
いざ作ると思うと、料理というのは本当に煩わしい。料理単体でも細々(こまごま)としているのに、買い物や食器洗いなどという、その前後にしなくてはならないことまであって、どこまで手を抜くかという兼ね合いも難しい。
母の手元はよく見ていた。でも再現できない。難しい。こうかな、こうだったかな、自分で試行錯誤しながら切ってみる。十切り、百切りみたいなキャベツが出来上がる。それはそれで歯応えがあって食べられた。でも理想ではない。
それでも週に何回かはキャベツを切りながら、母を思い出す。そのうち好きな歌を口ずさみながら料理をするようになった。
いつの間にか千切りができていた。
「毎日やってたらできるようになった」
母は嘘をついていなかった。
毎日誰かを思いながら作る料理。手間ひまイコール愛情じゃないし、性格は怠惰で性に合わない。そんな私にとって千切りキャベツは、母がこれくらいの野菜は食べなさいと教えてくれた簡単な愛情料理だった。