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第一章 第6話 

 初めて空を飛んだ途端、お腹の内側に冷水を浴びたように冷たくなる。

 ついさっきまで足をつけていた地は遠ざかり、毎日見上げていた木々は子供の背丈くらいにしか見えない。

 海面と夜空の間に見えない糸があるかのようにアルフェは宙を進む。

 ディアスは風圧に負けないようにアルフェの耳元で叫ぶ。

「もっと早く飛んでくれ!」

「宜しいのですか、ディアス様の命の危機が––」

「いいから早く!」

 畏まりました。と言う言葉を聞き終える前に視界が潰れるように歪んだ。

 二つの問題が生じた。

 気持ち悪さは目を閉じれば耐えられる。

 もうひとつの問題は息ができないこと。

 向かい風の掌に口と鼻を塞がれ、窒息しそうだ。

 肺の中に残った心もとない酸素が尽きる前に到着することを願い耐えていると、急に風圧が弱まる。

「……ました。ディアス様」

 耳鳴りする耳が辛うじてアルフェの声を捉え、同時に目を開け口を開いて酸素を補給する。

「少し休憩しましょうか」

 潜水直後のように息継ぎを繰り返す。

「いや、そんな暇ない」

 アルフェに抱き抱えられたまま、恵の森(ファルス・フォレス)上空を横切っていくと、

 夜の中で一際明るい場所が見えてくる。

 天にも届きそうな白い大樹が淡い輝きを放っているからだ。

 まだ距離があるので豆粒くらいの大きのチェルが、その輝きに照らされながら旋回していた。

「いたぞ。メルルが無事だといいが」

「まだ無事です。ファルガウスの右足に捕われています」

「よく見えるな」

「目に望遠機能が装備されています」

 詳細は分からないが、聞く理由はないので曖昧に頷く。

「そ、そうか。じゃあ森の都(エレナへ・キャルマ)の状況を教えてくれ」

「都上空を飛行しているファルガウスはメルル様を捕えたまま旋回。体各所に矢傷を受けたようです」

「今は矢を射かけてないんだな」

「はい。櫓の兵達はいつでも攻撃できるように弓を構えていますが、攻撃を躊躇している様子です」

 シャルク達はアトラード人やリボータル人より遥かに視力がいい。

 恐らく攻撃の途中でメルルを見つけ、矢を射るのを中断したのだろう。

 アルフェが突然右に動いた。

 舌を噛みそうになったが、先程までいた地点を矢が通り過ぎていき、口まで出かかった文句を飲み込む。

「弓矢隊に発見されました。高度を下げて回避行動に移ります」

  巨木の上の櫓から放たれる矢の雨を避けながら、森の中に飛び込む。

 左右に動いて幹の隙間を縫って矢を躱し、エレナへ・キャルマに到達したが城門は閉じられているので、門の前で急上昇すると内側の様子が見えた。

 城下町は阿鼻叫喚。夫婦と思しき逃げる男女。幼子を抱える母親らしき女性。転んで泣いた子供を大人達が立たせて一緒に逃げていく。

 民は足を揃えて東の方角にある宮殿に向かっていた。

 そこが避難所なのだろう。しかし、上空を旋回しているチェルも同じ方向に向かっていることに気づいていない。

「アルフェ。気づかれずかつ素早くチェルの頭上を取ってくれ」

「畏まりました」

 アルフェはチェルがこちらを見ていないうちに高所を取る。

「合図したら、チェルの背中に俺を落とせるか」

「はい。可能です」

「絶対成功させろよ」

「失敗はしません」

「俺を落としたら、メルルのところへ行って救助を頼む」

 アルフェが頷いたのを見て、ディアスは合図を出す。

「今だ」

 支えを失い、一瞬浮遊したあとに、体が引っ張られるように落ちていく。

 ディアスは背中の盾を両手で真下に構え、狙い通りチェルの背中に激突した。

 チェルは背中をくの字に折って動きを止める。直後落ちて遠ざかっていく甲高い悲鳴が聞こえた。

 アルフェに救助を任せ、再び宮殿に向かうチェルの背中を盾の縁で殴りつける。

 煩わしいと感じたのか、チェルは左右に回転。思わず羽毛にしがみつくが、振り落とされないようにするのに精一杯で何もできなくなってしまった。

 突然回転が止まり、チェルの体が傾ぐ。

 複数の風切り音が下から聞こえてきた。

 メルルが離れたことで衛兵達が攻撃を再開したようだ。

 チェルは全速力で逃げ回るが、矢は次々と命中しているようで、背中にしがみつくディアスにも速度が低下しているのがはっきりと分かる。

 チェルは痛みに耐えられなくなったのか、城下町に墜落すると、もがくように転がり巻き込まれた家が倒壊する。

 ディアスも背中の羽毛から手を離し、大理石の床に落ちた。

 起き上がると、チェルには無数の矢が腹部や羽に突き立っているのが見てとれる。

 僅かに痙攣するような動きを見せるが、生きているのか死んでいるのか分からない。

 メルル達の様子を見に行こうと、足を踏み出そうとすると、足元に矢が突き立つ。

 都の衛兵達に取り囲まれている。

「待て。俺はあのファルガウスを止めに来たんだ」

「武器を捨てろ」

「メルルに聞けば分かる。彼女もここに来ているんだ」

「最後通告だ武器を捨てろ」

 弦が引き絞られた。指を離せば、ディアスは一瞬でハリネズミになってしまうだろう。

 槍を持った二人の兵の一人に盾を渡し、他に何も持っていないことを示すために掌を見せる。

 手を上げたまま刺激しないように辺りを見回していると、倒れたチェルの黄色い瞳と交差する。

「まだ生きてるぞ!」

 無防備に振り向いた兵が爪で引き裂かれ、盾を没収した兵も脚に掴まれて投げ飛ばされ、盾ごと家の窓を突き破って消えた。

 弓矢隊も狙い直すが、チェルの方が一歩早く羽ばたき、突風が衛兵達を吹き飛ばす。

 ディアスも突風の直撃を浴び、受け身も取れずに宙を舞った。

 後頭部が大理石の床と激突するが、衝撃は驚くほど軽かった。

「間に合いました」

 背後にいたのは無表情に背中を支えてくれるアルフェ。

 礼を言う前にチェルは宮殿の方に飛び去る。

「助かった。メルルは無事か」

「はい。メナキス・フォレチアの元で保護してもらっています」

「チェルはそこに向かってる。追いかけるぞ」

 再び抱き抱えてもらって空を飛ぶ。

 命の大樹(エイラ・アローレ)から流れる滝が中心を流れる宮殿の屋上の庭園に十人ほどの人影が見えた。

 七人は鎧を着て盾を構えた兵士。

 その円の中心に高貴な雰囲気を纏った男女と、女性に抱かれた子供。

 チェルはその集団を今にも襲おうと両足の爪を伸ばしていた。

 屋上に着地し、走ってメルル達の元へ向かうが、とても間に合いそうもない。

土の城壁(グラデン・ウォール)

 後ろから聞こえた詠唱によって生じたひび割れが、衛兵達の前で止まり、分厚い土の壁が隆起する。

 チェルの爪は土の壁に深く突き刺さる。

 深く刺さりすぎたのか、必死に羽ばたいて壁を壊しながら脱出した。

 砕けた土の欠片が気絶したメルルの顔に降り注ぎ、彼女の瞼が僅かに開く。

 自由になったチェルが再度攻撃。土の魔法を期待したが、アルフェは立ち尽くしたまま動く気配がない。

 衛兵達が大盾で即席の壁を作るが、爪や嘴を防ぎきれず崩壊する。

 ディアスは衛兵の大盾を拾って、チェルの嘴を防ぐ。

 大盾をいとも容易く貫き、嘴が鼻先に迫る。穴の空いた盾を捨てると、追撃の爪が顔に迫っていた。

 身を守るものを拾う暇はなく、咄嗟に交差させた両手を顔の前に上げる。

 痛みは感じない。腕は無くなってしまったのかと見てみるも、両の拳と両腕は繋がっていた。

 チェルは一点を凝視している。視線の先には、ところどころ布が裂けて隙間が見える右手の甲。

 空で留まるチェルの胴体に無数の矢が突き刺さる。

 駆けつけた衛兵達が、二の矢を放つ。

 それらは翼を貫き、チェルはディアスの目の前に堕ちた。

「みんな待って」

 メルルの声に、次の矢を番えようとした衛兵達の動きが止まる。

 覚醒したメルルは両親の声を無視して、瀕死のチェルの元へ。

 チェルの胸を貫いた矢は急所に当たったのか、呼吸するたびに嘴の隙間から血が零れる。

「森に帰ろう。ね、チェル」

 手を伸ばしたメルルに対しての返答は、鋭き嘴だった。

 呆然とした表情でメルルは仰向けに倒れる。

 直後、連なった氷柱で出来た鞭がチェルの首筋を貫く。

 首筋から鉄砲水のように血を撒き散らしながら、チェルは宮殿の屋上から落ちて大理石の床に落下し、二度と動く事はなかった。

 ディアスは呼びかけながら、しゃがみ込む。

「メルル、おいメルル!」

 裂けた若草色のワンピースは真っ赤に染まり、抉られた傷口は左の肩口から胸元まで達している。

 深さも相当なもので、折れた鎖骨や内臓まで見えている状態だ。

 特に心臓が酷い。爪によって引き裂かれるた部分から血液が溢れ出し、体内に溜まっていく。

 心臓は辛うじて動いているが、それも時間の問題なのは素人にも分かる。

 誰かが叫んだり、治療できる人間を呼ぶ声が飛び交っていたが、ディアスの耳には全く入らない。

 メルルの周りに人が集まる中、ディアスは右手の布を毟り取り、その手を傷口に差し込んだ。

 周囲が止めるのも無視して、大きく裂けた心臓に指を添えた。

 衛兵の一人が引き剥がそうとするが、左手の拳で黙らせる。

 更に衛兵が迫るが、メナキス・フォレチアの一言で引き退った。

 ディアスが念じると、手の甲が光源もないのに輝き出す。

 その光は段々と強くなり、その場にいる誰もが眩しくて目も開けられない状況だった。

 ディアスはそれに臆することなく、紋章が輝くに任せ、心の中で念じ続けていた。


 見覚えのない部屋だ。ベッドは二人が寝れるほどの大きさで、ガラスが嵌められた窓からは陽が入り込んでいる。

 今着ている服は見覚えのないもの。体に付着していたはずの汚れも見当たらない。

 怪我したと思われるところには包帯が巻かれていた。

 体が動くことを確認すると控えめなノック。入ってきたのはアルフェだ。

「ディアス様。おはようございます」

「おはよう。俺は何日寝てた」

「丸一日です」

「メルルは」

「安静にしていれば数日には快復するとの見込みです」

 ほっと胸を撫で下ろす。

「先日は申し訳ありませんでした」

「何の謝罪だ」

「戦闘中に突然魔法を使えなくなったことです。理由は––」

「待った。それは後で聞く。今はメルルを見に行きたい」

「畏まりました。案内いたします」

 案内された部屋の構造はディアスにあてがわれた部屋と変わらない。

「おはよう。ディアス、アルフェ」

 白い寝巻きを着たメルルはいつもと変わらない様子だ。しかし体力は回復していないようで、ベッドの上で寝たままだ。

「お父様とお母様が許可するまで、ベッドから出ちゃいけないって。メルル大丈夫って言ったんだけど、二人とも今にも泣きそうだから言うこと聞くことにしたの」

「そうか」

「ディアス。ありがとね。助けに来てくれて」

「小島にいればよかったよ。運動不足には辛すぎた。全身筋肉痛だ」

 メルルは吹き出す。

「いい運動になってよかったじゃない。以前よりお腹が引っ込んで見えるわ」

 ディアスは大袈裟に笑う。友を亡くしたメルルにとって少しでも慰めになると信じて。


「なぁ、ついてこなくていいんだぞ」

 ディアス森の街道を歩きながらため息をつきたい気分だった。

 今の格好は刃も防げる厚手のコートの上からマントを羽織り、長旅でも疲れにくいブーツを履いている。

 メイスは腰のベルトに差し込み、盾は背中に背負っていた。

 届けてもらったプレートアーマーは、引きこもりのディアスには重荷すぎて家に置いてきた。

「メルルは外の世界全てを見るのが夢なの。そのキッカケを見過ごしたりしないわ」

 メルルはいつもの若草色のワンピースに肩から世界地図入りのバッグを提げている。

 違うのは脚を保護するブーツを履いているくらいだ。

 姦しい二人から少し離れたアルフェは、無言で疲れた様子なく後をついてくる。

「しかし両親に嘘をついてまで大陸の外に行って、後で怒られないのか?」

 ディアスはメナキス・フォレチアの深くなった眉間の皺を思い出す。

 メルルは嘘の予知を告げて、ディアスについてきた。

「『闇が復活する』それは月の魔神(ムーケルデン)が存在する限りいつか必ず起きるわ。嘘とも言い切れないじゃない」

「屁理屈だ」

 三人が向かっているのは弓の大陸北西にある港。シャイラーオ教団に呼ばれているディアスは、そこで剣の大陸に向かう船を探す手筈だった。

「アルフェ。お前は何か意見はないのか。 大司教は部外者が来ることを良しとするのか?」

「私は意見を言う立場にありません。それに部外者を連れてきてはならないと言う命令は受けておりません」

 ディアスは耐えきれず、今度こそ大きなため息をつく。

「楽しい旅にしようね、アルフェ!」

「はい。メルル様」

 腕を絡むメルルを見て、無表情なアルフェの顔が綻んだように見えたのは、きっと気のせいだろう。

「乗る船は選ばせて! メルルが最高の船旅を約束するわ」

「いやいや、選ぶな。絶対選ぶな! あっ待て声をかけるな! アルフェ止めてくれ!」

 ディアスが反論する前に、メルルは笑顔で指差した船に乗り込んでしまう。予想外の到着先で新しい事件に巻き込まれるとは、まだ知る由もない。


 チェルの遺骸が弔われる直前、その口からトカゲが這い出た事に気付いたものはいなかった。

 トカゲは足と尻尾を精一杯使って海に入ると海中に潜り、そこで佇む主人にチェルが死ぬ寸前までの一部始終を伝えて使命を終えた。

 主人は労いもせず、シャルクの少女、盾を持つ男、そして魔法を使う人形を新たな警戒対象とし、ムーケルデン復活の為、次の行動に移るのだった。


 〜第二章『もがけ 闇の中を』に続く〜

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