第一章 第3話
第3紀12,498年。アデマギルヴォという魔法学院に集められた十八人の魔法使いの卵達が、次々に殺害される事件が起きた。
凶行におよんだのは、十八人の中に紛れ込んだ闇の使い。
その闇の使いに立ち向かったのが、新人魔法使いのアルフェと魔導書だった。
もし本物なら、伝説の魔法使いと同じ名前のマギゼルが、ディアスとメルルの前に立っているという事になる。
二人が船を見ている中、小さな人影が立ち上がった。
片手に棺のような長方形の箱を持ち、揺れる船上でバランスを崩すことなく、しっかりとした足取りで船を降りた。
片手に持った棺を丁重に地面に置くと、白いエプロンの前で手を組み、ヘッドドレスをつけた頭を深々と下げる。
「初めまして。私はアルフェといいます。以後お見知りおきを」
ゆっくりと少女は顔を上げる。
風が吹いて紫混じりの黒いショートボブの毛先が目元をくすぐっても、表情一つ変えることなく続けた。
「エヴァルネ神聖騎士団員、ディアス様ですね」
命ある人形の問いかけを訂正する。
「元団員だ」
「失礼いたしました。オルロン様から脱隊したとは聞いておりませんでした。情報を訂正しておきます」
メイド服を着た十代前半の少女にしか見えないが、会話していると一枚の薄氷があるような距離の遠さを感じる。
そんな薄氷に体当たりするようにメルルがアルフェに抱きついた。
抱きつかれた彼女は表情ひとつ変えずに受け止める。
メルルは数秒抱きしめた後、やっと肩に埋めていた顔を離す。
「あなたアルフェね。メルルはメルル。よろしくね!」
「はい。ヴォレヴォ様のことはお父上であるフォレチア様からかねがね……」
「メルルって呼んで」
「情報を更新します。メルル様。よろしくお願いします」
「よろしくアルフェ……」
笑顔のメルルは真顔になると、もう一度アルフェを、熱を分け与えるように抱きしめた。
「メルル達、もう友達だからね」
友達という単語を聞いた途端、瞬きするようにほんの一瞬だけ、アルフェの頬に朱が差した。
「メルル。このままでは動けませんし会話するにも一苦労です」
「えー、もう少しこのまま……」
「おい、話の腰を折るな」
ディアスがくっつくメルルを引き剥がし、本題に戻す。
「やはり、君はオルロン殿の使いなのか」
「正しくはアーベル陛下からのご依頼を受けたシャイラーオ教団大司教パトリアップ様のご命令を受けたエヴァルネ様が、教団の宝物庫を––」
聞いているうちに頭痛がしてきた。
「すまんが短く要約してくれ。君は俺に何の用があるんだ」
アルフェの声は耳心地の良いものだが、止めないと一から十まで話してしまいそうだった。
「失礼しました。端的に申しますと、ディアス様の税を徴収しに参ったのです」
「ぜい、とは税金のことだな」
アルフェは小さく頷いた。
「はい。滞納した一年分の税金。それを払っていたいただきたいのです」
答えは決まっているが一応確認しておく。
「因みに、期限はいつまでだ」
「誠に申し訳ありません。一週間以内だったのですが、剣の大陸からここまでに六日かかってしまったので、今日中に納めていただきたいと願います」
アルフェの紫水晶の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。その視線は、心弱いものには劇薬となるほどの強さだった。
「税の滞納は俺の失態。今すぐ払いたいが手元に払えるものがない」
次の言葉を待つと、今まで黙っていたメルルが口を挟む。
「メルルが父様と母様に頼むから「税金」っていうの払ってもらおうよ。都一のお金持ちだからきっと払ってくれるよ」
「お前は黙ってろ」
「なんで〜。メルルはディアスの力になりたいのに〜」
なおも何か言おうとするメルルの口を塞いだ。そんな光景を表情一つ変えずにアルフェは話す。
「事情は理解しているつもりです」
アルフェが目線で示したのは、彼女が持ってきた棺だった。
その目線に釣られて初めて分かったのは、棺だと思ったのは荷物を入れる長方形の箱。
「パトリアップ様が重要な要件があるそうで、剣の大陸の教団本部まで来てほしいとのことです」
「断る事は出来なさそうだな」
「断られる場合、今日中に一年分の税金を支払っていただきます。内訳は––」
「言わなくていい。チェストには何が入っているんだ」
「はい。ディアス様の武具と旅の道具です。武具は万一の備えにと。オルロン様からお預かりしました」
蓋を開けたアルフェが、よく見えるようにと一歩下がる。
「またこれを見ることになるとはな」
悪夢の記憶と共に懐かしい気持ちが込み上げてくる。
神聖騎士として危険な任務を一緒に潜り抜けて来た相棒ともいう存在。
槌と丸盾、そして鎧。どれも聖人の任務が嫌になって放り出した時よりも綺麗に磨かれ、陽の光を強く反射していた。
旧友との再会を喜ぶように鎧を撫でながら、アルフェに尋ねる。
「剣の大陸には今すぐ行かなくてはいけないか?」
「いえ。剣の大陸へ向かわれるのなら色々準備もあるでしょうと、パトリアップ様から一日の猶予を頂いております」
「それはありがたい。じゃあ明日の朝一番に出発ということでいいか」
「問題ございません。私はここでお待ちしています」
シュルク二人は「また明日来ます」と言い残し港を去っていった。
港で佇むアルフェをそのままに、チェストを肩に担いで家に戻ろうとすると、メルルが声をあげる。
「ちょっとディアス! 島を出ていっちゃうの?」
「ああ。税金を免除してもらうにはそれしかない」
「メルル、税金ってよく分からないけれど、無視しちゃえばいいじゃん」
「無視しても、アルフェは地の果てまで追いかけてくるだろう。下手したら大勢の兵が来るかもしれん。本当に面倒だが、剣の大陸に行くしかない」
盛大にため息をついた。
「メルルも一緒に行きたいな」
「無理だ。君のお父上が許さないだろうし、俺と一緒にいたら嫌なものばかり見ることになるぞ。毎夜悪夢でうなされたくなければ、この島にいろ」
後ろにいたメルルは走り、立ち塞がるようにディアスの前に立った。
「帰ってくるよね」
メルルの目尻から、今にも悲しみの黄玉がこぼれ落ちそうだ。
「メルルをずっと一人にしないよね。用が済んだら帰ってくるよね。ねぇディアス、うんって言ってよ」
「帰ってくるよ」
その一言が堤防となり、こぼれ落ちそうな黄玉が堰き止められる。
「本当! 嘘ついたら許さないからね」
「用が済んだらここに帰ってくる」
メルルは目尻を拭いて、やっと笑顔になった。
「良かった。チャルの様子見てくるね。今日会いに行くの忘れちゃってたから」
メルルと別れると、帰宅して改めてチェストの中を確かめる。
出っ張りが放射状に付けられた鎚。動きやすさよりも防御力を重視した板金鎧。
最後に残した丸盾を見て眉を顰める。正確には盾に描かれた太陽神の紋章。
それは人々を優しくも厳しく照らす太陽を模した紋章であり、ディアスが一番見たくないものだった。
腰からナイフを抜くと、その紋章に刃先を立て力一杯に引っ掻く。
刃の欠けたナイフをしまうと、丸盾の紋章にはバツ印の傷がついていた。
試しに鎧を着て、鎚の革を巻いた柄を握る。
一年ぶりの鎧は自分の皮膚のようになじみ、このどうしようもない動きにくさが懐かしい。
鎚も何度か振ってみる。先端に重心があるので、油断すると手から逃げ出そうとするジャジャ馬だが、使い慣れれば、どんな鎧も砕いてくれる頼もしい存在だ。
運動不足と久しぶりに鎧を着たせいか、疲労が汗となって出てきた。
武具をチェストにしまいベッドに座る。
明日に備えて休もうと、コップにワインを注ごうとして、空だった事を思い出した。
「酒の事を今まで忘れるなんてな」
ワインで悪夢を忘れるよりも、鎧を身につけて鎚を振るっていたほうが、心の靄が晴れているような気がしていた。
玄関の布の隙間は真っ暗。食欲もわかずそのままベッドで横になる。
悪夢を見ないことを祈りながら、目を閉じると、遠くから自分を呼ぶ声。
誰かは声でわかったので起き上がり、外に出る。
「こんな時間にどうした。いつもなら寝てるじゃないか」
メルルは息を整えてから事情を話し出す。
「視えたの。父様と母様が殺されちゃう未来が」
「殺されるって誰に殺されるんだ」
「…ャル」
メルルは自分が視えたものを信じられないような面持ちで続ける。
「チャルが、チャルが都を襲うの!」