第三章 第10話
川を遡り、ディアス、メルル、クラウンは何の障害に遭う事もなく大修道院の前に到着した。
バルネロからは武器を持っていけよ。と言われたが、殺し合うわけではないので身を守る盾を求めた。
しかし、船上で盾は邪魔なだけと言われてしまい、仕方なく出発するまでの残り少ない時間で余った木材を使って即席の盾を拵え持ってきていた。
川から大修道院に抜ける為に森を通り街道に出る。
息を潜めているのか、動物の鳴き声や気配はせず、道には人っ子一人いない。
攻め込まれた時に進軍を遅らせる、崖に沿って回り込んでいく道は、まるでトグロを巻いた蛇のようだった。
近づく度に錆を含んだ空気が鼻につく。
ディアスを先頭に、メルルが続き、その背中を守るようにクラウンが最後尾を務める。
正門の扉は開け放たれ出迎えるのは、こちらを見下ろす騎士達。
背中の盾を構えながらメルルに声をかける。
「入らない方がいい」
「行く。それに二人が守ってくれるでしょ?」
クラウンは静かに乳白色の短剣を鞘から抜き、戦闘態勢をとる。
武器を持ってこなかった事を後悔しながら盾を構え、騎士の生首が吊り下がった門を三人でくぐった。
門をくぐってすぐの広場では狂宴が催されていた。
パトリアップは聖歌を口ずさみながら、窪みのある木の台に固定した首を切り落としている。
両手に持った処刑人の剣は血と肉に彩られ原型をとどめていなかった。
「あら、ディアスではありませんか」
日常生活を送るように、新たな首を切り落とす。
「パトリアップ、何してるの」
青ざめた顔でメルルが問いかける。
「見てわかりませんか? 罪人の首を刎ねているのです」
断頭台に固定された民達が、否定するように首を振った。
「みんなが何をしたの」
「邪神を、我が神の敵シャイラーオを崇め、救いを求めた罰です」
「シャイラーオを崇めた罰? じゃあ、あなたが祈りを捧げていたのは……」
ディアスは盾を構え、いつでも動けるように身構える。
「我が神の敵と言ったな。お前が仕える神の名はなんだ」
「私が仕えるのは、夜の支配者ムーケルデン様ただ一人」
また首を落とす。
「彼らを解放しろ!」
「それはできません。罪人達の命の利用価値は一つ。叫び、苦しむことで我が主はお喜びになるのです。主が喜ばれるのに、何故止めることができましょう」
パトリアップは新たな犠牲者に狙いをつけ、処刑人の剣を振りかぶる。
ディアスは走り出すが、止めるよりも剣を振る方が早い。
振り下ろされた刃が首に吸い込まれる直前、真ん中から勢いよく折れた。
いつのまにか近づいていたクラウンだ。
右手の短剣で剣身を真っ二つにし、左手の短剣をパトリアップの首筋に触れるか触れないかのところで止める。
クラウンが耳打ちする。
「動かないでください。メルルがいるから控えていますが、怪しい動きをしたら殺します」
パトリアップは聞いてはおらず、短剣の刃を穴が開くほど見つめ戦慄いていた。
「これは牙、まさかネルティオン様の……」
そこまで口が動いたところで、パトリアップの首が切り裂かれる。
それを見たメルルの悲鳴が遠くから聞こえた。
「チルヌア! 殺しちゃ駄目だ」
「人は、でしょ。こいつは魔物よ」
クラウンの背中から現れた暗紫の骸骨を見て、パトリアップは首を抑えながら見つめていた。
「魔物を、内に飼っているとは……エズベドアを埋め込まれた人間……か」
「飼われているなんて心外な。私達は共生してるの」
ディアスはパトリアップからクラウンを引き離す。
「おい、殺すなと言っただろうが!」
「こいつは人ではありません。魔物です」
「何だって」
クラウンの切っ先が指し示したのは、倒れたパトリアップの体が変化していくさま。
髪は体内に吸収され、肌は影のように黒くなり、女性らしい凹凸も消えた。
残ったのは大司教の法衣と装飾品を身につけた黒い魔物の死骸だけだった。
大司教の正体も気になるが、ここに来た目的はアルフェの救出。外の警戒はクラウンに任せ、メルルと共に大修道院を駆け巡る。
遂に見つけたのは大修道院の地下にある部屋だった。
そこは宝物庫であり、歴代大司教の遺物など貴重品が収められている。
本来なら神聖騎士団によって厳重に守られているはずだが、その騎士達も今は亡く、扉を蹴破って中に入る。
特に使い道もない貴重品を無視して、中央に置かれていた棺を開ける。
案の定、中にはアルフェが両手を組んで眠らされていた。
メルルが抱き起こして何度も声をかけるが、アルフェは身じろぎひとつしない。
死んだ。その一言を言うのはメルルの前では憚られる。
抱きしめたメルルが何かに気づいたように声を上げる
「ほんのりと温かい。死んでない。眠ってるだけだよ」
アルフェを強く抱きしめるが、目覚める気配はない。
このまま手をこまねいているわけにもいかずに周りを見渡す。
古びた革のリュックやくすんだ金のゴブレット、やたらと宝石が散りばめられた錫杖。何故か自分がバツ印の傷をつけた盾も置かれているが、役に立ちそうなものは見当たらなかった。
メルルは諦めることなく、強く抱きしめ声をかけ続けている。
その思いがシャイラーオに通じたのか、何かが落ちる重い音が部屋に響いた。
見ると、革のリュックが床に落ちている。
中に何か入っているのか、さっき聞こえた音はまるでメイスを振り下ろしたような音だった。
留め具を開くと、中には一冊の本。厳重に封印されており、表紙には文字らしき装飾が施されている。
本に触れた掌に脈動のような小さな振動が伝わってきた。
「あー!」
大声で本を落としそうになる。
「メルル。驚かすな」
気のせいだったか、振動は感じられない。
「この本を知っているのか?」
「それじゃない。リュック、そのリュックはアルフェのだよ」
「何! じゃあこの本は彼女のか」
「それがなくて起きれないのかも、背負わせてみようよ」
本をリュックに納め、寝たままのアルフェの背中に背負わせると、数秒も経たずに瞼を開いた。
「メルル様……? 私は眠っていたのですか」
「おはよう! アルフェ」
「おはようございます。ディアス様もお久しぶりです」
「一年ぶりだな」
「思い出しました。メルル様と引き剥がされた後、リュックを奪われ力が出なくなっていたのです」
「そのリュックに本が入っていたが」
「本ですか? 私にも何故入っているのか分かりません。けれどもとても大切なものなのは分かります」
「じゃあ本も喜んでるよ。アルフェの元に戻ってこれて」
「はい」
大司教を失った大修道院は混乱の坩堝と化していた。
警護の為に残っていた騎士達は謂れのない罪で斬首され、怪我人や病人ばかり。
誰もが血と肉の狂宴を見させられたせいで、精神的にも消耗している。
そんな中、真っ先に行動を起こしたのはメルルだった。
隔離病棟と大修道院を行き来して分け隔てなく、弱っている民達を介抱し続ける。
クラウンは患者の血や怪我に臆することなく、応急処置を施し、アルフェは大の男十人は必要な力仕事を黙々とこなす。
大修道院の件が解決した事を伝言ツバメで、バルネロに伝えたところ、何処から調達したのか、食糧、医療品、衣服と共にやってきた。
血に染まった大修道院も何度も清掃する事で汚れと臭いが薄らぎ、遺体を埋葬した事で、居心地が段々とよくなっていく。
だが一番の問題は隔離病棟の扼殺症を患った民達。
手の施しようがなく、大司教を倒した後も新しい患者が担ぎ込まれてくる。
何も出来ず自己嫌悪に陥っていると、クラウンが提案を持って訪ねてきた。
「扼殺症患者の遺体を調べてみませんか」
「解剖の技術は俺にはない。それとも出来るのか」
「いいえ。でも体内は調べられなくても、患部を触ってみたり、観察する事で手掛かりが掴める可能性はあります」
「分かった。やるだけやってみよう」
遺体はついさっき息を引き取ったばかりの男性が運ばれた。
地下の一室でクラウンは逡巡する事なく、首のアザに触れる。
「首を圧迫するほど肉が潰れている。名前の通り首を絞められている」
クラウンは遺体の首につけられた四つのアザを順番に触り、触れるほどに顔を近づける。
「アザはどれも首の後ろから前に伸びているように見えます。ほら後ろよりも前の方がアザの先端が細くなっているでしょう」
「言われてみればそうだな。まるで後ろから首を掴まれているようだ」
クラウンは自分のうなじを触って何かに気づいたようだ。
「そう、後ろだ」
「後ろ?」
「遺体をひっくり返すので手伝ってください」
言われるまま、うつ伏せにすると、クラウンは遺体のうなじに触れる。
「チルヌア。これは魔物だよね」
「魔物……魔物が取り憑いている?」
クラウンは頷くと、短剣を取り出し、手を添えたうなじあたりに刃を走らせる。
静かな地下室に響く肉が断ち切れる音。
持ち上げた短剣からは黒い体液が流れ、透明だった扼殺症の正体が露わになる。
「扼殺症は病気じゃなく、魔物だったって?」
バルネロの声が大司教の部屋に響く。
ディアスとクラウンは、メルル、アルフェ、バルネロを集めていた。
皆の前で瓶に詰めた魔物を見せると、バルネロが顎髭を撫でながら呟く。
「タコの出来損ないみたいだ」
メルルが魔物を見ながら質問した。
「タコってなに?」
「海に住む八本足の生き物だ。まあこいつに比べたらタコの方が千倍可愛いな」
「ディアス様。これが患者様の首に取り憑いていたのですね」
「クラウンによると、人に取り憑き養分を吸い取り首を絞めて殺していたんだ」
「ということは、その魔物を引き離せばみんな助かるのね!」
「ああ。アルフェ、クラウンから取り除く方法を聞いて手伝ってほしい」
「畏まりました」
「メルルも手伝う!」
「俺様は細かいことは苦手だから遠慮しておくぜ」
「メルルは患者達を励ましてやってくれ。お前が声をかければ不安が和らぐ」
「分かった!」
既に日は沈んでいたが、ディアス達は患者一人一人のうなじから魔物を切り離し続け、全ての魔物を取り除いたときには、朝焼けが大修道院を包み込んでいた。
窓から差し込む日差しに誘われるように外に出て、体液で黒く染まった右手で庇を作って太陽を眺める。
徹夜明けの体を包む日の光は、とても心地良い。
そこでディアスは太陽が二つあることに気づく。眠気や疲労のせいではない。
黒い体液が蒸発していき、焼け爛れた右手の甲に太陽神の紋章が再び浮き上がっていた。




