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第一章 第2話 

 広葉樹の木の中で、メルルは落ち葉のベッドで赤ん坊のように丸くなって眠っていた。

 その顔に影がかかり、目を覚ます。

 ディアスを一瞥して起き上がると、大きなあくびして眠気を覚ますように体を伸ばす。

「おはよう。今日は早いのね」

「ああ。実は昨日––おい!」

 ディアスは慌てて後ろを向いた。

 メルルは何が何だか分からない顔で動きを止める。

「? どうしたの」

「人がいる前で服を脱ぐ馬鹿がどこにいるんだ」

 メルルはワンピースを脱いだ姿勢のまま応える。

 森に住んでいるとは思えないほど、傷ひとつ見当たらない瑞々しいお腹に透明な雫が浮かぶ。

 呼吸する度に、彫刻のような臍が僅かに形を変える。

「だって汗かいちゃったから……水浴びしちゃいけないの」

 ディアスは溜息をついて外に出る。

「服を脱ぐのは俺が外に出てからにしてくれ。頼むから」

「はーい。変なディアス」

 木陰で貧乏ゆすりをしながら背中を預けていると、右手に何かが動きまわる感触を覚えた。

 見下ろしてすぐさまナイフを抜き、手の甲に向かって切っ先を振り下ろす。

「殺しちゃ駄目!」

 メルルの絶叫でナイフを持つ手が急停止した。

「毒蜘蛛だ。噛まれる前に殺さないと」

 ディアスの手に乗っていたのは豆のような体から八本の脚を伸ばした虫だ。

 幼少の頃から蜘蛛、百足、ゲジゲジが森だけでなくいつのまにか家に侵入している事が何度もあった。

 そして毒で苦しんだり、死んだ人を何人か見てきた。

 多数の足がある虫には決して近付かず、万が一噛まれそうになったら逃げるか殺す。

それが幼少期のディアスが学んだことだった。

「蜘蛛じゃないし、害になる毒も持ってないの」

 メルルは蜘蛛によく似た虫に手を伸ばして保護し、近くの木に避難させる。

「あの虫は蜘蛛じゃないのか」

「セックていう益虫よ。昔エズベドアっていう凶悪な寄生蜂から森を守ってくれたの。でも変ね」

 ディアスは鳥肌の立った右手を撫でる。

「何が変なんだ」

 メルルはセックが姿を消した方を見る。

「あの虫は人前では絶対と言っていいほど姿を見せないの。メルル、この島に来て動いている姿を初めて見たわ」

 益虫の行動が何を意味するのか、二人には全く予測出来なかった。

「変といえば、ディアス。何の用」

 プラチナブロンドの髪がしっとりと水気を含んでいるが、本人は気にしていないらしい。

「そっちから会いにくるなんて珍しいね」

「ああ、緊急事態が発生したんだ」

 要件を思い出し、話していると顔の汗が止まらない。メルルはそれを見て大きく目を見開く。

「何があったの」

 ディアスは心配そうなメルルを連れて、自分の家に足早に戻る。

「これが尽きた」

 そう言って蛇口をひねると、指先に落ちた最後の一滴を舐める。

「で、何があったの?」

 メルルは首をひねる。

「だからワイン樽が空になったんだ。俺の人生の嫌な事を忘れさせてくれる尊いものなんだ。早く持ってきてもらえないか」

 ディアス達が住んでいる鏃の小島には食料貯蔵庫などはなく、大陸から一週間に一度食料を満載した船で届けられる。

 早口で捲し立てる姿に、メルルは平静を装いながらも足が一歩引いていた。

「ディアス飲み過ぎ。この樽が届いたの二日前だよ」

 指差した樽は、彼女がかくれんぼするのに丁度いい大きさだ。

「いい機会だから、飲むの控えて外に出ようよ。その方が気持ちがいいって」

 ディアスは駄々をこねる子供のように首を振る。

「駄目だ。あれがないと、剣の大陸にいた時のことを思い出してしまう。寝るたびに悪夢を見るようになってしまうんだ」

「大丈夫だよ。今日は見なかったじゃない」

「今日見なくても明日見るかもしれないだろ!」

 ディアスの叫びは森中に響き渡るほどだった。

 頭を抱える姿を見てメルルの眉が下がる。

「分かった。伝言ツバメを送ってみる」

「本当か」

 ディアスは脂汗を浮かべたままぎこちない笑顔を見せた。

「でもすぐには来ないから。伝言ツバメでも往復で二日はかかるし」

「それでもいい。少しでも早く届くなら……」

 メルルが凍えるような視線を送っている事に気づかない。

「じゃあ港行ってくる。寝てた方がいいよ。顔真っ青だから」

 横になったディアスの口から「すまん」という言葉が吐息と一緒に漏れた。


「何故この子を救ってくれないのですか。隣の子は救ったのに」

 女性が抱く赤子は硬く目を閉じ、半開きの口からはみ出した舌は干上がった川のように乾ききっている。

「申し訳ありません。その子はもう亡くなっています」

「その力ならこの子を救えるでしょう。救ってよ、昨日まで泣いてたのよ。聖人の力を早く使いなさいよ!」

 目が血走った母親は目の前で赤子を押し付ける。青白い肌の赤子の頭は鎖分銅のおもりのように左右に揺れた。

「申し訳ありません」

 我が子を失った母親の怒りを受け止めることしか出来なかった。


「––アス、ディアス!」

 慌てた様子のメルルの声に起こされる。

 入口の方を見るのと、メルルが玄関の布を引き裂く勢いで入ってきたのはほぼ同時だった。

「来て、すごい事が起きたの」

「なんだ、太陽神(シャイラーオ)が降臨したのか?」

「違うわ。でも見たら思わずシャイラーオ様に祈りを捧げるんじゃないかしら」

 予測がつかないまま、メルルに手を引かれて外に出る。

 真上を仰ぐと太陽が二人の行き先を照らすように陽射しを注ぐ。

(何があっても、祈りを捧げることなんてない)

 メルルに連れてこられたのは、この島唯一の外界との橋渡しとなる港だった。

 港にあるのは桟橋が一つと灯りと灯台代わりのランタン。そして伝言ツバメの巣。

 そんな慎ましやかな港に東南から布を吊るした木の塊が海の上をゆっくりと進みながら近づいてくる。

 手で庇を作りながら正体を確かめる。

 何度瞬きしても帆を張った木の塊の姿は変わることはない。

「船だ」

「船だね」

 同じポーズをするメルルも、そっくりそのまま返す。

 一日でも早く来てほしいと待ち望んでいたが、まさか半日も経たずに来るとは思わなかった。

 巣を見るとツバメはこちらにお構いなしに羽を休めている。

 しかし、二人がまやかしを見ていなければ、船が来ているのは事実。

 ディアスは期待半分、疑念半分といった気持ちで到着を待つ。

 港についた船から降りてきたのは、いつも食料を届けてくれる二人のシャルクの男性。いつもは落ち着いた雰囲気だが、今日は普段と違って早足でメルルの前に立つと(こうべ)を垂れる。

声の巫女(ヴォレヴォ)……」

「メルルをそう呼ばないで」

 シャルクの二人は顔を見合わせ言い直す。

「メルル様。突然の来訪を御容赦ください」

 いつもの光景だが、天真爛漫なメルルを敬う彼らを見ると、滑稽という言葉しか思いつかない。

 シャルク達にとっては女神に等しい存在といっても、本人は嬉しくないのだろう。

 メルルは眉を吊り上げ、不満を隠そうともしなかった。

「許すわ。それで何があったの。今日は食料を届ける日ではないはずよ」

 二人はゆっくりと頭を上げると、メルルを見下ろす格好になる。

「今日来たのは、都に来訪者が来たからです」

「都に? ここに案内したってことはメルルに会いに来たの」

「いいえ。用があるのは」

 二人の眼差しがディアスを見上げる。

「俺に用がある奴なのか?」

 ディアスに心当たりはない。両親はすでに亡く、友と呼んでくれる人間は一人もいない筈だ。訪ねてくるとしたら、恩人であり師匠のオルロンだが、彼は多忙で世捨て人を訪ねてくる理由などないはず。

(いや、あるか)

 そう言って、布を巻いた右手に視線を落とす。

「会われますか」

 声をかけられ、思案を途中で止める。

「会おう。確認したいのだが、その人はエヴァルネ神聖騎士団の団長殿か」

「いえ、違います……」

 メルルに叱責された時みたいに歯切れが悪くなる。

「その、信じられないかもしれませんが、訪ねてきたのは魔導人形(マギゼル)なのです」

 本当に信じられない。その名は今や御伽噺でしか存在しなかった筈なのに。

「何っ、マギゼル」

 耳を疑うディアスとは対照的にメルルは目を輝かせて身を乗り出す。

「うそ! マギゼル! 本物なの」

「ねえ。本物なの。本物の動くマギゼルがやって来たの?」

 先程不貞腐れたメルルに抱きつかれるように問いただされ、シャルク二人は困惑した様子で何も言えない。

 ディアスは石像のように固まったシャルク達からメルルを引き剥がした。

「本当にマギゼルなのか」

 人間とは根本的に違う姿。彼らが間違えるはずはないが一応確認する。

 頷いたシャルクの続く言葉は、ディアスを御伽噺の世界に叩き落とす。

「はい。マギゼル、いえマギゼル様はアルフェと名乗っています」

 約二千年前のアデマギルヴォの戦いで、闇を封じ込めた偉大な魔法使いと同じ名前だった。

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