第三話 第6話
王都リンデ・パラバルゴ。
大修道院から南、丁度剣の大陸の中央に位置する南北に長い都市。
第2紀のチュムラ・トスミナズィの合戦の英雄、カインツ・ヴァグナーテ王子の生まれ故郷であった。
代々ヴァグナーデ王家が治めていたが、第3紀に自らをカインツ・ヴァグナーテの末裔と自称した皇帝ディルエン・ヴァグナーデにより制圧され、ヴァグナーデ王家は滅びてしまう。
皇帝が倒れた後、シュテング王家が王都を再興し今に至る。
曇り空の下、南下したディアスは馬に跨ったまま、首が痛くなるほど見上げていた。
「王都は初めてか」
「三十数年生きてきて、初めてです」
城下町を囲む城門は島のように大きく、剣の神の彫刻が彫られている。
ディアス達が見ている前で、両開きの城門がゆっくりと開いていく。
隙間からは目には見えないが、鼻が曲がるような悪臭と共に陰気な雰囲気が漏れ出してくる。
王都は二重の城壁で守られており、今ディアスがくぐり抜けたのは新市街の出入り口だ。
出迎えたのは、王都の衛兵隊長とその部下達。
「貴方が……聖人ディアス様ですか」
衛兵隊長のくたびれた顔に一瞬だけ光が差したように見えたがそれもすぐ曇る。
この事態を目の前の男が何とかできるのかと、半信半疑の様子だ。
街のそこかしこから上がる黒煙は、曇り空の一助を務め、街道の左右を埋めるのは屋台ではなく遺体袋。
異臭の原因は火災だけでなく、その袋の中からも虫と共に漂っていた。
視線に気づいたのか、衛兵隊長が口を開く。
「毎日のように人が死に、生き残った人々も狂ったように暴れています。死と恐怖を止める術は今の我々にはとても……」
喋るだけで隊長の身長が縮んでいくように見えた。
新市街を過ぎて旧市街に入ると、こちらの方が王城が近いからだろうか五十歩百歩とはいえ、まだ綺麗だった。
なので、城に入った時の不意打ちに思わず声が漏れる。
高級そうな絨毯が敷かれた廊下は薄暗く、進むごとに鼻に死臭がまとわりついてくる。
衛兵隊長が臭いの出どころを教えてくれた。食堂の扉を少しだけ開いて見せる。
その狭い隙間からでも、中身が詰まって膨らんだ袋が山と積まれていた。
「陛下や王妃様、そして王女様の看病に手が離せず、その間にも次々と倒れ、民が内情を知れば今以上に恐怖に駆られるでしょうな」
「アーベル王を癒したら、すぐに王妃様や王女様も診ます。大丈夫、確実に治せますから」
「こちらへ」
衛兵隊長が案内した部屋は王の寝室ではなく、王女の寝室。
その部屋だけ、何かを誤魔化すように、強い香水の匂いが鼻をつく。
室内のベッドには二人の女性が手を組み顔に布をかけられて寝かされていた。
オルロンが唸り声を上げる。
「王妃様と王女様はいつ身罷られた」
「昨日です。王には今も知らせていません。今の容体では命に関わるという結論に達したからです」
急ぎ足で王の寝室へ入ると、そこには生きるために全ての力を使い果たした老人が横になっていた。
大きく後退した額に残り少ない白髪は瀕死ともいうべき細さ。目は窪み、肌は青白く、枯れ枝のような首には四つの黒いアザがくっきりと浮かび上がっていた。
アーベル王は口を大きく開いて酸素を取り込もうとしているが、肺まで届かないようで、苦しみに悶え痙攣している。
ディアスは王への無礼とも言うべき勢いで近づくと、右手の紋章を首のアザに近づける。
紋章の輝きで瞬く間にアザは消え、王の呼吸は規則正しいものに変化した。
シャイラーオの癒しの力を、初めて目の当たりにした衛兵隊長や臣下達が一斉に膝を折る。
「みんな立て。跪いている暇があるのなら、王を診てやってくれ」
主治医を務めているであろう修道士が眠る王の様子を診る。
素人目のディアスにも、肌の血色が良くなっているのは一目瞭然だった。
「ディアス。我々の役目は終わった。部屋を出よう」
オルロンと共に寝室を出ようとすると、弱々しい声に呼び止められる
振り向くと、アーベル王が手を伸ばしていた。
踵を返しその手を掴む。
「そなたが儂を助けて、くれたのか?」
「はい。陛下」
「太陽神の力を、持つ者よ。そなたに一生の願いがある。儂に変わり民を導いてほしい」
「それは、どういう……」
「天涯孤独になった儂の代わりを務められるのは、お主だけ……」
アーベル王は意識を失った。修道士が脈を調べて、王は眠っておられるだけと告げられた。
寝室を出てオルロンと二人きりになった時、耳打ちされた事を伝える。
「アーベル王は、俺に一体何を……」
「お前が次の王冠を冠る。そう伝えたかったんだ」
「俺は王家の血筋ではありません!」
「誰が聞いているか分からない。部屋へ行こう」
あてがわれた部屋でオルロンに同じ事を言う。
「俺は王家の血筋ではありませんよ。王になれるはずがない」
「陛下がその事を知らないはずはない。つまりレノイン王妃やリンデ王女の訃報を聞いていたのかも知れないな」
「俺はどうすれば……」
「悩め。と言いたいところだが、これから忙しくなる。王が快復したことはすぐさま王都の民達に知れ渡る。そしたら民の治療をすることになる」
「悩んでる暇などありませんね」
「忙しい方がいい時もある。悩んでる暇などないだろうからな。今日は休め」
オルロンが退室してから横になる。考える事は山積みだったが、王を助けることができた充実感からだろうか、瞼を閉じたらすぐに眠りに落ちた。
扉が蹴破られる音に、反射的に上体を起こす。踏み込んできた兵達に対抗するが、寝起きなのと数に抗えず拘束されてしまう。
「これはどういうことだ。正気に戻れ」
衛兵隊長はディアスの眼前に剣を突きつけた。
「我々は正気です。貴方、いや貴様の行いこそ太陽神の名を汚し、我らアトラードに対する冒涜だ!」
ディアスは意味がわからぬまま引っ立てられてしまう。連れてこられたのは王の寝室。
アーベル・シュテング王は首に黒いアザを浮かび上がらせ、閉じた瞼はぴくりとも動かない。
「嘘だ」
体から力が抜け膝から崩れ落ちる。
「王は崩御なされた」
「快復したはずだ」
「数時間前、容体が急変したのだ。あまりにも進行が早く手の施しようがなかった」
「それで何故俺を拘束する」
「容体が急変したのは、貴様が奇跡とやらを使ってからだ」
「俺が、アーベル王を殺したというのか」
「そうとしか考えられないだろうが」
ディアスの喉元に剣の刃が当てられる。ほんの少し力を入れただけで、頸動脈が切られてしまう。
「ここは王な寝室だぞ。汚らわしい血で汚すな」
宰相の言葉によって、衛兵隊長は剣を納める。
「貴様が王の命を奪った犯人の可能性は濃厚だが、多くの民を救ってきたのも伝言ツバメで知っている」
「俺は扼殺症の患者を何十人と癒してきた。その俺が王をアーベル王を殺すはずがない」
「詳細が分かるまで、貴様には地下牢に入ってもらう」
目の前で起きた現実を支えきれず、ディアスは引きずられるように地下牢に入れられてしまった。
何日夜が訪れ狭い窓に朝日が差し込んだだろうか。
カプラン・ムロイトの牢よりも劣悪な環境下で自分の無実を信じて解放される事を願っていた。
扉が開いたのは顎の無精髭が立派な顎髭に変わった頃だった。
オルロンは険しい顔で後ろ手を組み、入り口の前で仁王立ちしている。
「俺は無実です。団長も見てきたでしょう。俺に王を殺す動機もない。そしてこの力で民を癒してきた事を」
オルロンは苦々しげに太陽神の紋章を見つめてくる。
「何故そんな顔をするのです」
「ディアス。心して聞け。修道院の扼殺症の患者は全員死んだ」
「……ここに来て冗談はやめてください」
「儂が軟禁されている間、大修道院から伝言ツバメが来た」
「俺を信じてはくれないのですか」
「パトリアップ様は決して嘘をつくお方ではない」
「……俺は一体どうなるのです。王殺しの罪で斬首刑ですか」
「今からお前を大修道院へ連れていく。パトリアップ様直々にお前に裁きを下すそうだ」
「何もしていないのに、何故裁かれるのです」
「ディアス。パトリアップ様はお前の命を救おうと尽力してくださっている。もし大修道院へ同行する事を断れば、待っているのは死だけだぞ」
頷くしかなかった。死を回避するには。
大修道院に戻ったディアスを出迎えたのは遺体の山だった。
癒したはずの扼殺症の患者達は皆死に、新規に運ばれた患者達も次々に命を落としていた。
埋葬する場所もなくなり、大広間前の広場では積まれた遺体が火葬されている。
その灰が、煙が、臭いが、ディアスを責め立てる。
パトリアップが罪を償うための刑を説明している間も、傍聴人の民達の視線が全身を貫いてくる。
執行日まで広場に造られた即席の牢に入れられた。
修道院にも地下牢はあったが、そこも扼殺症の患者でいっぱいだった。
メルルやアルフェと一度顔を見たかったが、それは叶わなかった。
格子の隙間から投げ込まれる石。
特に親を失ったのか、子供からの純粋な怒りが込められた投擲は涙が出るほど痛かった。
刑執行の日が来た。
曇り空に隠された太陽の元、広場で刑は執行される。
ディアスの右手は手の甲を上にして固定される。
パトリアップは日中にも関わらず、松明に火をつけると、太陽神の紋章に押し付ける。
ディアスは奥歯にヒビが入るほど食いしばり悲鳴を抑え、自分の肉が焼ける臭いを吸い込むことしかできなかった。
次期大司教の座、王の座、騎士の座。そして太陽神の紋章も失ってしまった。
ディアスは武具や服さえも奪われ、ぼろの外套だけを纏って大修道院を後にした。




