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第二章 第13話 

 アスコムの部屋に入ってきたのは、太陽の紋章が描かれたサーコートを纏った老年の騎士。

 ディアスは老人の視線を避けるように目を逸らした。

 騎士が投げたハルバードはディアスの傍を通り過ぎ、今にも迫ろうとしていたアスコムを貫こうとする。

 老婆はそれを避けると、ハルバードはディアスの背中を守るように背後に突き立った。 

 素手の老騎士は姿勢低くアスコムに駆け寄る。

 肉を容易く引き裂く爪を籠手で受け流し、節くれた指を掴んで左右に引き裂くと、引き寄せた勢いそのままに拳で心臓に打撃を与えた。

 アスコムは顔を歪めながらも素早く背後に回り込む。

 老騎士は首に迫る爪に臆する風もなく、アスコムの髪を引っ掴むと力の限り床に叩きつけた。

 空気の塊を吐いた老婆が大の字で動かなくなった事を確認した老騎士は、指に絡まった灰色の髪を取り除く。

「……団長」

「ディアス、積もる話は、あとだ」

 団長と呼ばれた老騎士は床に突き立ったハルバードを手に取り、窓の方に走り出していたアスコム向けて投擲。

 老婆は背中を串刺しにされ、うつ伏せに倒れる。

「ごんな醜いがらだで終わってだまるか」

 背中を貫かれても尚血を吐きながら、爪で絨毯を引っ掻いている。

「化け物め」 

 老騎士は、刺々しい言葉を吐いた。

「騎士団長。報告します。建物は制圧。こちらの被害は三人が死亡。一人が指を失う重傷です」

 ディアスにとって見慣れた装備の騎士が部屋に入ってきた。

「女の族が二人いただけで、他には誰もいません。」

 老騎士はアスコムの方に視線を固定したまま応対する。

「賊二人はどうした」

「はっ。激しく抵抗された為、二人とも排除しました」

「分かった。死者は手厚く葬り、重傷者の治療を行え。あと、二人にも治療の必要がある。誰か寄越してくれ」

 指示を受けた騎士が去っていく。

 老騎士はまだ動くアスコムの傍にしゃがみ込むと、何かを見つけたのか、首を傾げて腰のダガーを引き抜き、躊躇わずにうなじに向けて突き刺す。

 ダガーに刺さった異物をうなじから摘出すると、すぐに異変が起きる。

「ゾレヲ返ゼ、返ジテオクレヨー」

 雑巾を絞るような掠れ声、皮膚はひび割れ体から剥がれ落ち、しぶとく残っていた歯も眼球も溶けてなくなる。

 アスコムだったものは、僅かな髪と骨だけになり二度と動く事はなかった。

「これによって生き永らえていたようだな」

 老騎士が二人に見せたのは、翅を持たない翡翠色の蟲。

 体色は美しいが、脚は剣の切っ先のような爪になっていて、肉に深く突き刺すのに適した形をしている。

 尾の毒針は太く、何かを注入するのに適した形になっていた。

 声を上げたのはディアスに縋りついたメルルだった。

「あれはエズベドア?」

 老騎士はよく見えるように、メルルのそばに寄った。

「翅もないし、脚は爪みたいになってるけれど、間違いなく寄生蜂のエズベドア。でもおかしいよ」

 流石に初対面の人間と話すのは労力を使うからか、ディアスに語りかける。

「すっごい昔に、ファルス・フォレスを危機に貶めて、益虫セック達に絶滅させられたはずなのに」

 益虫、あの蜘蛛のような虫だと思い出した。

「生き残っていた一部が捕まり、何者かに体を作り替えられたのかもしれないな」

 団長はそう推察すると、エズベドアを床に落としてから踏み潰す。

「ディアス。儂がなぜここに来たか。理由は分かっているな」

「俺を連れ戻しに来たんだろう」

 ディアスは太腿を抑えて悲鳴を噛み殺した。

 怪我に気づいたメルルが老騎士に懇願する。

「お願い、ディアス怪我してるの。助けてください」

「安心しろ。シャルクの巫女よ。ディアスとそなたもちゃんと治療する。今日は体を休め、明日の朝一番に出港しよう。立てるか?」

 ディアスは老騎士に肩を貸してもらいながら立ち上がり、寄り添うメルルに背中を支えてもらう。

 ミセロテ療養院本館を出た時、正面玄関の傍で、二体の遺体が布に包まれていた。

 顔は見えなかったが、布の隙間から出た茶色の髪と緑色の髪で誰かは推察できた。

 療養院の患者棟に向かう途中、血を流しすぎたディアスの意識はそこで途切れた。


 意識が体に戻ってまず認識したのは、小鳥の嬉しそうな囀り。次に柔らかな日差し。

「うるさいし、眩しいな」

 左手で庇を作ろうとすると清潔な包帯が巻かれていた。

 そうか、化け物となった院長と死闘を繰り広げたんだっけ。あれは昨日の事か。

 右手も確かめようとしたが、何かに固定されていた。

 目だけ動かすと、そこにはメルルの姿。

 プラチナブロンドの髪は放射状に広がり、日差しを反射している。

 自分も辛かったろうに、慈しみ癒すようにディアスの右手を包み込んでいる。

「全く、少しは自分を優先しろ……まぁありがとな」

 左掌を頭に添えると、眠るメルルの顔が綻んだ。

「今日の朝ごはん〜フルーツ山盛り〜と、ソースたっぷりサンドイッチ〜」

 思いっきり鼻をつまんでやった。

「––何するのよ。せっかく大好物いっぱいの幸せな夢だったのに!」

「うるさい。俺の感謝の気持ちを返せ」

 扉がノックされている事に気づかずに口論を続ける二人。

「何言ってるの。メルルがずっと一緒にいたのに、ディアスずっと寝てるんだもん。そしたら眠くなるのは当たり前でしょ」

「俺のせいだっていうのか? 泣くぞ。今すぐ泣いて不貞寝してやるぞ」

「そうやって引き篭もる理由作る気ね。メルル許さないから」

「怪我人なんだから一月、いや一週間は休ませろ!」

 そこで一際強いノックがやっと二人の耳に届いた。

 我に帰るとメルルが馬乗りになっている。

「早く降りろ。こんな姿で人に会えないだろ!」

「まだ話は終わってないのに」

 メルルをベッドから下ろし、咳払いして息を整える。

「どうぞ」

 扉を開けて入ってきたのは、あの老騎士。

「体の頑丈さは母親譲りだな。二人の声が廊下まで聞こえていたぞ」

「あの、助けてくれてありがとうございました。メルルです。貴方は……」

 老騎士は恭しく一礼する。

「これは失礼したメルル殿。儂はオルロン・エヴァルネ。シャイラーオ教団を守護するエヴァルネ神聖騎士団の団長を務めております」

 今日はハルバードを携えてないからか、日差しを浴びるオルロンは好好爺といった言った雰囲気だ。

 しかしディアスは知っている。相対する老人がシャイラーオ教団、そして大司教のためなら鬼神の如き活躍をする事を。

「オルロン団長。俺を連れ戻しに来たんだな」

「一年前に脱隊したのに、まだ儂を団長と呼ぶのだな。まあよい。お前を剣の大陸に連れていく。反論は認めない」

「もうほっといてくれよ」

「儂はお前が何をしようと構わん。しかし教団、いや剣の大陸全土にお前の力が必要なのだ」

 オルロンの視線が右手に注がれたのに気づき、左手で覆い隠す。

「お前の怠惰な時間は終わったのだ。すぐに船で発つぞ。嫌と言ったら儂が引きずっていく」

 頷くも、すっかり意気消沈してしまい、窓から差し込む日差しもその影を取り除く事はできない。

「あの! メルルも一緒に行ってもいいでしょうか」

 影が消失した。

「巫女殿。貴方はシャルクだ。この件に巻き込ませたくはない。それにメナキス・フォレチア王も関わらせたいとは思わないはずだ」

「父様は関係ありません。それとメルルの事はメルルと呼んでください!」

 オルロンは勢いを受け止めるように一度瞼を閉じる。

「ではメルル殿。もう一度言いますが、貴方は部外者だ」

「いいえ。ディアスは友達です。だから辛い時は支えてあげるんです」

「また死ぬような目に遭ってもか。申し訳ないがあなたが死にかけた時、一人で危機を脱することが出来たのか」

「メルルは弱くない」

「口では何とでも言える。しかし実際に力が無ければ、どうなるか身をもって知ったはずだ」

「それでもついてく。引き離すっていうなら、ディアスと一緒にエレナへ・キャルマに帰ります!」

 ディアスを一人にしまいと、メルルは寄り添った。

「ここまで友が奮起してくれたのだ。お前は何か言う事はないのか」

 オルロンはディアスを見下ろしながらも言葉を待つ。

「俺は、いや俺の力は必要とされているのか?」

「お前の力を必要としている人達は今も苦しんでいる」

 ディアスは藁を掴むようにメルルの腕を掴む。

「行きます」

「ではすぐに出立する。準備ができたら呼ぶから。二人ともすぐに用意しなさい」

 ディアスは顔を上げた。

「彼女も一緒でいいんですか」

「メルル殿が自分の意志で選んだことだ。メナキス・フォレチア王には、こちらから伝言ツバメを送っておこう」

 そう言い残したオルロンは部屋を出て行った。

 圧力をかけられた肺から盛大なため息をつく。

「やったねディアス。一緒に行けるよ」

 メルルの声を聞いたら、またため息が出た。

「お前。状況分かってるのか。これから行くところは、この街より大変な状況だ。楽しいことなんて何一つないかもしれない」

「それでもディアスについていく。だってディアスが心配だもん」

 そこまで真っ直ぐ言われると、もはや反論の「は」の字も出てこない。

「分かった。じゃあ行くぞ。行きたくないがな……って着替えるから部屋を出てけ」

「はーい。そういえばアルフェは何処に行ったんだろう?」


 ディアスは辱めを受けながら大通りの真ん中を歩く。

 戦闘はオルロンが歩き、左右にはディアスを守るように神聖騎士団の騎士達が縦列を作る。

 その二列の間を歩かされると、市中引き回しの刑を受けているみたいだった。

 メルルはこんな状況も楽しんでいるかと思って後ろを見たら忽然と消えている。

「あいつ……何処に行ったんだ」

「彼女ならお手洗いに行くと言っていた」

 先頭のオルロンが前を向いたまま答えた。

「一人で行かせたのかよ」

「問題ない。街の治安は保たれている。それに我々の姿を見て悪事を働こうなどという不埒な輩は現れないだろう」

 確かに、こちらを見ている民達は皆建物の窓から覗いているものがほとんどで、外に出ているのは屋台の店主くらいで、開店休業状態だった。

「ただいま〜」

 騎士の隙間を潜り抜けるようにメルルが帰ってくる。

「何処行ってたんだ」

「ちょっと助っ人を頼んできた」

「助っ人、誰だ」

「ディアスも知ってる人。正解は助けに来るまで内緒」

 メルルの示唆だけでは全く見当がつかない。

 考えている間に石像の足元に広がる港に到着する。

 港は今日も賑やかだが、騎士達を見るや否や、みんな言葉を失い道を開けていく。

 オルロンは一隻の軍船を指差す。

「あの船だ。因みに君たちの知り合いも乗っている」

「知り合い?」

「それってもしかして」

 メルルが走り出して船に乗り込む。後を追うとメルルが嬉し泣きしている声が聞こえてきた。

「無事だったか」

「ご心配をおかけしました」

 中を覗くと、ベッドにはアルフェが寝かされていた。体中に包帯を巻いているが声を聞く限りは元気そうだ。

 船が小さく振動した。どうやら錨を上げたようだ。

 甲板に上がると船はもう動き出し、港から離れていく。

 カプラン・ムロイトを象徴する二体の巨人の石像が見送ってくれる。

「クラウンに会って、お別れ言いたかったな」

 結局クラウンは何処にも見当たらなかった。彼の正体も分からず、死んでいるのか生きているのかも不明のままだ。

「死体は見つかってない。ということはどこかで生きている可能性もある。また探しに来ればいいさ」

「うん、うん!」

 メルルも一抹の希望にかける事にしたようだ。力強く返事をする。

 ディアス達一向は一路東へ向かう。目指すは剣の大陸。そこでは如何なる危険が待ち構えているのだろうか。向かう東の空は黒雲に覆われている。


 ––第三章へ続く––


 スパルツォが朝を感じたのは、日の出を喜ぶ鳥達の会話。

 暖かさを感じても視界はずっと闇の中。

 痛みも発熱も続いているが、何より体の一部を喪失した事は何よりも衝撃が大きかった。

 現実を認識すると、心臓が冷たくなるような感覚を覚える。

 顔に触れることはできない。更に現実を思い知らされるから。

 でも生きる事を選んだ。あの時、首筋に当てられた冷たい感触、恐らく刃で引き裂いてもらった方が万倍も楽だったはず。

 それでも生きる事を選んだ。何故と聞かれてもあの時は分からない。今も分からない。

 でも、生きている私を優しく抱擁してくれた母の感触。意見の相違で喧嘩ばかりだった父の優しい声音。

 それを肌で耳で感じたとき、選択は間違ってないと、ほんの少しだけ思えた。

 でも時間が経つたびに、未来の苦痛という重荷に耐えられる自信がない。

「私は生きていてよかったのだろうか」

 自問自答しても答えは出ない。

 フワッと風を感じた。窓が開いたのだろうか。少しして枕元で衣擦れの音と、甘く気高い百合の香り。手を伸ばすと茎と花弁の形から間違いなく百合の花だった。

「誰?」

  窓が閉まる小さな音だけが聞こえた後は何の音もしなかった。

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