第二章 第10話
スパルツォが捕らえられる少し前、トーラは衛兵隊宿舎を見渡せる位置にいた。
昨日今日とほぼ一日中見張っているので、睡眠不足が顔に出ているが、命じられたまま見張りを続ける。
体の一部を奪う連続殺人犯の現場を調べると、距離や間隔は違えど、衛兵達宿舎を中心に円を描くように犯行が行われていた事が発覚した。
だから犯人が現れるであろう宿舎を観察していると、遂に待ち望んでいた影を発見する。
トーラは夕陽に照らされながらミセロテ療養院に向かう。途中で路地裏に集まった野次馬達の声が聞こえて来た。
「死んでるぞ」
「ひでぇ。腹が切り裂かれて、中身が中身が……」
「早く衛兵を呼べよ!」
メルルとの散策を終えて帰ってきたクラウンはトーラに呼ばれてネノの部屋へ向かっていた。
部屋に入ると、トーラはネノにご飯を食べさせている。
ネノは寝たきりで目と口以外はほとんど動かせない。誰かに助けてもらわないと、食べる事すら出来なかった。
「ネノの補助の手伝いで呼んだの?」
「違うわ。この後の仕事の説明をここでするの。勿論ネノの力も借りるわ」
ネノの目はトーラの差し出したスープを飲みながら、喜ぶように光が宿った。
クラウンはトーラに質問する。
「で、誰を殺すの」
「場所は衛兵隊宿舎。標的は宿舎にいる全員」
「だいぶざっくりしてない?」
「連続殺人犯が宿舎に入ったところは確認したのだけれど正体は不明のまま。ある程度推測はついているけれどね」
「衛兵達隊長かな」
「宿舎に入ったって事はその可能性は高いわね」
ネノが潰れかけた管楽器のような声を出す。
「か、関係ない。全員、殺しちゃえば、いい」
「そうね。私達にはそれが出来るのだから」
クラウンはトーラから今日の仕事の指示書を渡される。
「それを呼んでおいて」
クラウンは一読して目を見張った。
「これって」
「ええ。今夜、院長も動くわ」
指示書にはアスコムの新しい体としてメルルが選ばれた事が書かれている。その障害となるディアスとアルフェの対処についても詳細に書かれていた。
決行は今日の日の入り。既に太陽は地平線の彼方に消え去ろうとしていた。
クラウンはメルルの部屋をノックする。
「はーい」
答えたのはメルルだが、扉を開けたのは当たり前のようにアルフェだ。
「メルル、アルフェ大変なんだ!」
精一杯、切羽詰まった演技をする。
「今、衛兵隊宿舎が月の使徒の残党に襲われているらしいんだ。あそこには、あそこにはスパルツォがいる。助けが必要なんだ」
メルルとアルフェが顔を見合わせる。メルルが次に何と言うかは、眉を吊り上げた表情で推測できた。
「アルフェ。すぐ宿舎に向かって! 絶対スパルツォを助けてあげて!」
「かしこまりました。メルル様も用心してください。では失礼します」
アルフェは廊下の窓を開け放つと、三階の窓から飛び降りると、何事もなかったかのように、北にある療養院に向かって走り出した。
「クラウン? どうしたの?」
「何が」
「なんか暗いよ。嫌なことでもあった」
「いや何も、僕も部屋に戻るよ」
心を見透かされないうちに、踵を返すが、もう一度だけ振り返る。
「メルル、今夜は鍵をかけて部屋から絶対出ないで」
「うん」
気持ちが通じたのか、メルルはそれ以上何も聞かずにドアを閉める。
クラウンはすぐさま地下に行って暗殺者の装備を纏うと、スパルツォの命を救う為にミセロテ療養院を飛び出した。
メルルはドアを閉めてからベッドに座ると、心細い思いに囚われる。アルフェのいない部屋は一人では広すぎたからだ。
不安な気持ちを紛らわせる為に、ディアスの部屋に行こうと思い、ドアへ向かったところで、突然ドアが叩かれた。
力強くはなかったが、広々とした部屋に恐いほど響き渡り、メルルは足を止める。
外からは声がなく、ノックだけが聞こえてくる。
足は縫い付けられたように動かない。その場所で訪問者に問い掛ける。
「誰、ディアス? クラウン?」
応えたのは優しげな老婆の声。
「アスコムですよ。メルルさん。一緒に夕食を食べましょう」
いつも優しい院長の声が、何故か不安を掻き立てる。
「ごめんなさい。気分が悪いの。だからご飯はいらないわ」
「それは大変。体を診てあげよう。だから開けてくれないかい?」
「ううん。寝てれば大丈夫だ––」
破城槌が城門を破るような大きな音に、言葉を遮られる。
「いいから出てきなさい。万が一体に不調があったら、私が困るんだよ」
叩かれるたび、ドアに放射状のヒビが入り、蝶番が吹き飛び、耐えきれなくなったドアが倒れた。
アスコムは柔和な笑顔の仮面を付けながら近づいてくる。
「一見したところ、体に異常はなさそうだね。さあ私の部屋においで。ほら来るんだよ!」
メルルは腕を掴まれ引きずられるように連れていかれる。アスコムの手の爪は不気味に赤く染まり、余計に嫌悪感が募った。
「離して、いや離して。助けてクラウン! ディアス助けて!」
メルルは隣の部屋に向けて声を張り上げるが、何の反応もない。
何度も助けを求めると、アスコムに口を塞がれる。
「あんまり叫ぶんじゃない。喉が潰れてしまうじゃないか」
メルルが連れ去られている時、ディアスは自室のベッドにいた。
右手で抑えた頸動脈から大量の血を流して。
アルフェは路地の隙間を駆け抜けていた。
太陽は隠れ、星明かりの頼りない光でもアルフェにとっては充分。全速力のまま角を曲がり、寝転んだ人間を飛び越え大通りに出たところで、右足が止まった。
見ると鉄の太矢が足の甲を貫いている。
太矢を引き抜こうとした左手に新たな矢が刺さる。次に左足の膝を貫かれて立っていられなくなり、右の肘で体を支える格好になった。
周囲を見回すが射手の姿はない。
右肘に太矢が突き刺さり、背中と大通りがくっつく。
そこで初めて真上の屋根に黒いローブの人影を発見するが、直後に鉄の太矢が右目を貫き、標本のように頭を大通りに縫い止められてしまった。
トーラがアルフェを狙撃しているとき、ネノは衛兵達宿舎近くの建物の屋根で寝転がると、瓶を取り出し栓を開ける。
「出ておいで」
触覚を忙しなく動かしながら現れたのは大きな蛾。
「竜毒蛾、今日も沢山殺そうね」
ネノは手に留まった竜毒蛾を放つ。翅を広げると人の手と同じくらいの蛾は宿舎に向けて飛び立った。
見届けて仰向けに寝っ転がり目を閉じる。そうする事で竜毒蛾の翅にある目を通して宿舎が見えて来る。
愛する蛾と一体になったネノは外で見張りをしていた衛兵の頭上で鱗粉を巻く。
吸い込んだ衛兵が苦しみ、全身から血を噴き出して倒れる。
次は隙間から宿舎内に侵入。起きてる兵、寝ている兵、手当たり次第に鱗粉を浴びせかけた。
断末魔の悲鳴や物音で駆けつける衛兵達は、訳もわからないといった顔で力尽きていく。
ネノは口が裂けそうなほどの笑顔を浮かべ、衛兵隊宿舎を蹂躙する。




