第二章 第7話
クラウンは一人本館三階の窓の僅かな出っ張りに、かがみ込む。
メルルが寝ている部屋は、クラウン達本館に住んでいる者なら誰でも知っている事だが、窓の鍵は壊れている。
閉めたつもりでも鍵はかからないので、外からでも開ける事が出来た。
カーテンに阻まれ中は見えないが、人が起きている気配はない。
クラウンは窓に手をかけ音を立てないように慎重に開け、カーテンの隙間から中を覗き込む。
ベッドの上どころか部屋にメルルの姿はない。
こんな深夜にどこへ、その思案が人形に見られている事に気付くのを遅らせた。
扉の傍で佇むアルフェが先に動く。
クラウンは逃げる事が出来ずに体当たりをくらい、そのまま窓の外へ落ちていく。
三階から落ちて無事ではすまないが、一人でに腕が動き、腰から短剣を抜きざまに斬りつけると、アルフェは文字通り目前に迫った刃を避ける為に離れた。
クラウンは受け身を取りながら着地する。
「チルヌア。絶対に殺しちゃ駄目だ」
『こんな状態で反撃禁止? あなた攻められるのが好きなの』
押し問答している間に、アルフェは左手の指を真っ直ぐ伸ばす。
その指に霜が纏わり付き、氷の楔の鞭が伸びる。
『お人形さんはあんたを殺る気満々よ。それでも攻撃するなっていうの』
「絶対するな」
クラウンがうなじに手を伸ばす。
『分かったわよ』
素直に従ったチルヌアの意識が奥に引っ込む。
アルフェの鞭が月の光を反射しながら闇を切り裂く。
避けながら肉薄すると、右の拳がクラウンの頬を掠める。
蹴りの二連撃を避ける為に距離を取った所で、氷の鞭が首を斬り裂こうと忍び寄っていることに気づいた。
気づけたのは鳥肌が立つ冷気が首を撫でたからだ。
離れれば氷の鞭、近づいたら素早い格闘技。
困った事に全く隙がない。
ローブを掴まれて正体を知られることも避けなければならない。
逃げる方法を考えながら、投げ槍のように伸びる氷の鞭を回避すると、アルフェがローブを狙って掴みかかってくる。
その右手から逃れた瞬間、自分の腕に氷点下の冷たさが巻きつく。
逃げようと引っ張っても拘束が解ける気配はない。
クラウンは左手で短剣を引き抜く。
「無駄です。それは私の魔力の氷。ただの金属で斬ることは––」
アルフェの言葉が言い終わる前に、短剣で鞭を斬り落とした。
氷の鞭は霧散し、跡形もなく消えた。
「その短剣、竜殺しの欠片? いえ色が違います」
アルフェは右手を前に出す。
「貴方の正体を知りたかったですが、目的を変更。全力で抹殺します」
アルフェの右手に炎が生まれ、次第に大きくなって形を変えていく。
夜が逃げるように中庭が明るくなる。
人馬一体の炎が子供の作った粘土のような形で消滅し闇が再び戻ってくる。
その中心でアルフェは、手を伸ばした姿勢のまま固まっていた。
闇に紛れる為に駆け出し、アルフェとすれ違ったとき、確かに寝息を聞き逃さなかった。
本館の地下に戻ると、眉を吊り上げたトーラが待っていた。
「クラウン。騒ぎが一段落したら院長のところへ。理由は分かっているわよね」
宿舎の自室で寝ていたスパルツォは事件発生の報に叩き起こされた。
鎧を着る時間も惜しくレイピアを持って貧民街に駆けつけると、建物が炎に包まれており現場は一目瞭然。
燃え盛る炎は宿屋全体に広がり、先に駆けつけていた衛兵達も遠巻きに見ていることしか出来ないようだ。
衛兵の一人に尋ねる。
「中に人はいるのか」
「分かりません。俺達が来た時には入れないほどの火の手で……」
話している途中で屋根が崩れ落ち、すぐに距離を取る。
「隊長、シルルマン隊長は何処に?」
「さっきまで一緒にいましたが、あれ、おかしいな」
スパルツォは他の衛兵にも同じ質問をする。
「誰か、隊長の姿を見た者はいないか!」
よく通る声に一人の衛兵が答える。
「さっき、燃える建物の裏に行きました」
「分かった。行ってみる」
火の粉に気をつけながら裏手に回ると、シルルマンが背中を向けて蹲っていた。
「隊長。ここは危険です。離れないと」
振り向いたシルルマンは腹から足元まで血に染まっている。
「大変! 早く治療しないと」
スパルツォの狼狽に、初めてシルルマンは腹の血に気づいたようだ。
「これはボクの血じゃない。こいつの血だ」
シルルマンが退くと、地面に倒れている教祖の首なし死体。近くには血に濡れた斧が落ちている。
「これで首を切られたんだ」
「なんて酷い。それで首は?」
「駄目だ。持ち去られたのか見つからない」
そこでスパルツォは異変に気づく。
「隊長、泣いているのですか」
指摘されてシルルマンは目を瞬かせる。
「いや、煙が目に染みたみたいだ」
「ここも危険です。一刻も早く離れましょう」
二人が離れた直後、宿屋は力尽きるように崩れ落ちた。
翌朝のカプラン・ムロイトは大騒ぎだった。
深夜の貧民街で起きた火事。そしてミセロテ療養院の中庭で生まれた火球が大勢の人に目撃された事。
この二つに何か関係があるのかないのか、平民達の話題はその事で持ちきりだった。
療養院は一日中、入院患者の家族が安否の確認に来ていて騒がしい。
クラウンは干潮を迎えるまで、部屋に閉じこもる事に決めた。
訪問者の数もまばらになったのは翌日のことで、ようやくクラウンは外に出る。
落ち着いた後も何人かとすれ違うが、車椅子の人間に話しかける者はいなかった。
中庭に聳え立つ大木の前にやってきて、いつも通りに見上げる。
あいにくの曇り空だが、日差しが目に入らないので、長時間見ていられた。
何もせず、じっと木の葉を見つめていると、足音が近づいてくる。音の方を見るとメルルがいた。
俯く彼女は、何かを待つようにじっと立ち尽くしている。
期待されても困るので視線を木に戻した。
同じ直立しているのなら陰気なメルルよりも、大きく高く聳える木を見ている方が何倍も得だ。
沈黙を破って、メルルが疑問を投げかけてくる。
「その木を見ているといいことあるの?」
「……何も起きないよ。この木は一度死にかけて自分の足でしっかり大地に立ち、今も成長を続けている。僕もそんな人生を送りたいんだ」
「そんなにつねったら痛いよ」
言われてやっと、無意識に太ももをつねっていた事に気づく。
「僕の下半身は死んでるから、痛みは感じない」
今度は両手で両方の太ももをつねり上げると、メルルが飛んできた。
「自分の体は大事にしないと駄目!」
つねられているわけでもないのに、彼女の目尻に涙が溜まっている。
「分かった。止めるから手を離してくれる」
彼女の手が脱兎の勢いで離れる。触れられたところにほんのりと熱がこもる。
「ほっぺ、痛そう」
近づいて初めて気づいたのか、メルルに左頬を指差される。
「一昨日。ここに侵入者が現れたときに驚いてベッドから落ちちゃったんだ。そんなひどくないから気にしないで」
本当はアスコムに折檻されたとは言わない。
メルルは周りを見回すと、しゃがみ込んで目線を合わせてきた。
「あの、あのね。貴方に言わなきゃいけないことがあるの」
次の言葉を待つと、彼女は口を何度か開閉させ、意を決したように言葉を紡ぐ。
「この前は嫌な思いをさせてごめんなさい。もし許してくれるなら、改めてメルルとお友達になってください」
勢いは前回とほとんど変わらない。しかし彼女の真摯な気持ちが、体内を心地よく駆け巡っていくのが伝わり、自然と笑みが溢れた。
「分かった。じゃあ今日から僕たちは友達だね。メルル」
右手を差し出す。
「うん。今日から友達。よろしくねクラウン」
メルルは両手でしっかりと包み込んでくれた。




