第二章 第6話
深夜とはいえ、客人達に目を覚まされるのはまずい。
特にマギゼルのアルフェは眠る必要がなく、不用心に歩けば正体が露見してしまうので、トーラが客人の様子を見に行った。
違和感のない見張りを行い、クラウンはその隙に本館の地下へ進む。
地下室の鍵は開かれ既に先客がいた。
「ネノ。早いね」
その少女はクラウンと同じくらいの背丈。あまり外を出歩かないせいで、肌は血管が透けるほど白く、手足は小枝のように細い。
ネノはこれから楽しい出来事が起こるのを分かっているのか、口角が徐々に釣り上がっていく。
「思いっきり体が動かせて、沢山人殺せるのに、部屋でじっとなんてしてられないじゃん」
「そうだね」
服の上から太腿をつねると、圧迫された苦しみが伝わってくる。
その痛みにクラウンの口の端も自然と釣り上がった。
「二人ともお待たせ。客人は私達がここに来た事に気づいてないわ」
「客とかどうでもいいから、早く殺しの内容を教えてよ」
ネノは植えた野犬のように、腕を伸ばして掌を開閉させる。
「これよ」
トーラは取り出した紙をひったくられるように取られても気にした風もなく、クラウンにも紙を手渡した。
そこにはアスコムからの指示が書いてあり、一字一句漏らさずに暗記した。
クラウンとトーラは壁の蝋燭で指示書に火をつける。煙と灰は天井の穴から煙突を伝って夜空に昇っていく。
ネノは丸めた紙を咀嚼して飲み込んでいた。
三人はそれぞれに用意されたチェストの前に立つと、躊躇わずに服を脱ぎ始める。
チェストを開き、中のものを取り出してから蓋を閉め、その上に服を置いた。
クラウンは最初にブーツを履き、それから黒革のベルトを二本交差するように腰に巻き、まるで竜の牙のような乳白色の短剣を二振り、ベルトに差し込む。
素肌の上からローブを被ると、濃い血臭に包まれた。
他の二人も同じように頭からローブを被って、準備を完了していた。
ネノは我慢できないように体を左右に揺らしている。
影を纏った三人は何も言わずに地下を出て行った。
男は祈りを捧げる振りをしながら早く終わる事を祈っていた。
場所は北東の貧民街にある荒れ果てた大きな宴会場のある木造の元宿屋だ。
壁の松明に照らされた男と信者、合わせて二十人近くがそこに集まっていた。
上座にはフードを被り仮面で目元を隠した教祖が、意味不明の言語を月が出ているであろう方角に向けて唱えている。
時たま信者達の方に視線をやるので、その時ばかりは目線を逸らす。
金の為とはいえ教祖と目を合わせると、おでこにつけられた傷が疼いてたまらない。
男の正体は衛兵隊の一人で、ある日シルルマンに最近暗躍している邪教、月の使徒に信者として潜入するように命じられた。
危険を冒すだけの価値のある褒美の半分を前払いで貰い、その足で意気投合した娼婦と入信した。
早速教祖が現れ、快く入信を認めてくれた。そして両手を広げながらこう続ける。
月の使徒としての印を刻むといって自らの舌に刻んだ醜い傷跡を見せつけた。
怖気を覚えたが他の信者達に押さえつけられ、まず女の頬に印が刻まれた。
教祖が離れると、涙と血を流しながら半狂乱になって逃げ出そうとしたが、顔面を思いっきり殴られ倒れる。
口から折れた歯が吹き飛んでも気づかぬまま、どこかへ連れていかれ、それ以来見ていない。
男にも印が刻まれた。それは額の中央。血は溢れ、刻まれた後も断続的に痛みは続くが、無事に潜入は成功した。
それからこの廃墟で祈りを捧げる日々が続いている。
隊長は準備が整い次第踏み込むと言っていたが、一日も早くその時が来てほしいと祈る振りをしながら願っていた。
教祖の説法が続いている時はいつも静かな信者達が騒ぎだす。
まさか、衛兵隊が来てくれたのか。そんな淡い希望は砂上の楼閣のように崩れ落ちた。
突然隣の信者が倒れた。見ると全身が痙攣し助けを求めるように男に手を伸ばした次の瞬間、破裂するように全身から血を噴き出した。
まともに浴びてしまった男は腰を抜かし、返り血を拭くこともせず後ずさる。
周囲では他の信者達も、血を噴き出しながら倒れている。
男は逃げようと出口に向かうが、突然喉奥から迫り上がってきたものを口から吐いた。
自らの血液が床を汚したのを見たのを最後に全身の力が抜け、床に突っ伏す。
最後に見たのは逃げ出す教祖だった
「まだ……褒美、もらって……のに」
言葉は信者達が苦しむうめき声と炎が爆ぜる音でかき消される。
「はい終わり。全員殺しました〜」
宿屋の近くにある廃墟の屋根の上で、ネノは目を閉じて仰向けに寝ていた。
瞼を開き、人を殺したとはとても思えない晴れやかな表情を浮かべて隣のトーラに報告する姿は遊んでいるようにしか見えない。
「油断しないで。教祖の死亡は確認した?」
「死んだでしょ。私の竜毒蛾から逃げれる奴なんていない」
「そう言うなら、確認しなさい」
「はいはい」
寝っ転がったまま、瞼を閉じて死体を改める。
「どいつもこいつも血塗れでよく分かんない。わたし血を見るの苦手なのにな。それに煙でよく見えなーい」
「じゃあこっちでなんとかするわ」
トーラは左腕を真っ直ぐ伸ばす。木の義手はついておらず、黒い筒が固定されていた。
筒側面のレバーを右手で弾き、二本の竜の髭のような弦が後ろいっぱいに引くと、筒先端に開いた穴に全金属製の太矢を装填した。
狙いは炎に包まれる宿屋から出てこようとする人影。
トーラが放った太矢は直線を描き、フードを被った教祖の右こめかみを貫いた。
「帰るわよ」
「もう終わり? 物足りないなぁ」
ネノは起き上がると、自分の元に寄ってきた蛾を手に取り瓶の中にしまう。
「ねぇ。この炎で衛兵隊もやってくるだろうからついでに殺っちゃおうか」
「指示にそんな事は書いてないわ。それとも力を失いたいの」
ネノの笑顔が凍りつく。
「じゃあ帰る」
「クラウン?」
「いるよ。僕の出番なかった」
クラウンは療養院へ帰る途中、ふと月を見上げた。月光よりも神々しい彼女の髪を思い出す。
トーラとネノの意識が自分に向いてない事を確かめ、音もなく二人から距離を取った。
クラウン達が暗殺を終え戻ってくる頃、メルルは一人本館の廊下を歩いていた。
裸足で廊下の絨毯を踏みしめながら、躊躇いがちに隣の部屋をノックする。
ノックしても反応はなかったが、もう一度ノックすると中から声が返ってくる。
「はい」
酒を飲み過ぎた気怠げな声。
「ディアス、入ってもいい」
「……どうした」
扉を開けたディアスは、欠伸をしながら部屋に入れてくれる。
「まぁ座れよ」
メルルは椅子に座るも一向に切り出さない。
仕方ないといった様子で、ディアスが尋ねる。
「何の用だ。俺も眠いんだが」
メルルの前で大きな欠伸。部屋の中は酒の匂いに満ちていた。
「クラウンに嫌われちゃった」
「それで」
知ってるぞと言うのも、めんどくさそうな雰囲気を放つ。
「だから、その」
メルルは腕組むディアスに怯みそうになりながらも自分の意志を口に出した。
「仲直りしたい。その方法を教えてほしくて」
「なんで引きこもりだった俺に聞くんだ」
「だってメルルはずっと鏃の小島にいてあんまり人と話した事なくて。それに比べてディアスの方が人生経験豊富かなと思って」
ディアスは大きな溜息をつくと、ベッドに寝っ転がった。
「くだらない事で起こすな」
「……ごめんなさい」
メルルが部屋を出ようとすると、いびきに混じって声が聞こえてきた。
「明日、さっさと謝って。陽が沈むまで遊べ」
それを聞いたメルルは、笑顔という名の満開の花を咲き誇らせる。
直後、メルルの寝泊まりする部屋から、何か重いものが落ちるような物音が聞こえた。
いびきをかいていたはずのディアスも飛び起きる。
「様子を見てくる。メルルは部屋に––」
「メルルも一緒に行く」
「分かった。離れるなよ」
この時、メルルが一人になっていたら。この物語は別の結末を迎えていた事だろう。




