第二章 第3話
ディアスは一人牢屋に放り込まれていた。
服はそのままだが、武具や荷物は全て没収されていた。
牢といっても手錠や足枷はされておらず、ベッドの上には明かり取り用の小さな窓。便所からの臭いさえ我慢すれば、それほど居心地は悪くない。
とりあえず暇なので、体を鍛えたり惰眠を貪っていると、ドアの覗き窓が開いて閉じた直後、鍵が開錠された。
「出ろ。副隊長が話を聞きたいそうだ」
二人の衛兵は腰に剣を差したままだが、いつでも抜けるように柄に手が伸びていた。
ディアスが無言でベッドから起き上がる。
衛兵達は見上げる格好で驚き、剣の柄を力一杯握りしめる。
流血沙汰はまずい。無抵抗に立ち尽くしていると、やっと二人は落ち着きを取り戻し柄から手を離す。
「ついてこい。妙な真似はするなよ」
強がっているのが顔から流れる脂汗で丸わかりだった。
連れてこられたのは、一見すると牢と変わらない部屋。
「副隊長。月の使徒を連れてきました」
違うと言いたい気持ちは堪える。
「入れ」
扉越しに昨日聞いた女性の声。衛兵が扉を開け入室を促す。
中に入ると窓はなく、灯りは壁にかけられたランプがひとつ。
部屋の中央にはテーブルがあり向かい合うように椅子が置かれていた。
壁を背に座っていた女性衛兵と目が合う。
「座ってくれ」
硬質な響きに促され、対面の椅子に座ると、二人の衛兵は出ていき、扉が閉められて外から鍵がかけられた。
締め切られた部屋で痛いほどの沈黙。先に口を開いたのはディアスだ。
「二人は今どこにいる」
張り詰めていた糸が揺れるように雰囲気が和らぐ。
「自分の事より、仲間の事を心配するのね。二人は一緒の部屋にいるわ。牢屋じゃないから安心して」
「そうか」
「そんなに心配なの」
「ああ、小さい方はいつも面倒事に頭を突っ込むし、ああ見えてメイドの方は、拳でドアを破壊するんだ」
「プフッ……失礼」
女性衛兵は、冗談か本気か分からない話に思わず吹き出した。
それもほんの一瞬で、すぐに真顔を取り戻すとテーブルに置かれた本を開き、羽ペンを持った。
「貴方達の冒険譚を聞く前に、まずは月の使徒じゃない事を証明してもらう。名前は?」
「ディアスだ。こちらも名乗ったんだ。そっちの名前を教えてくれてもいいんじゃないか」
「そんな事を取り調べで聞かれたの初めて。いいわ。私はスパルツォ・ディアーノ。この街の衛兵隊副隊長よ」
ディアーノ。この港街を治める領主の一族だった筈。
「貴族で女だからって、罪人や男に遅れを取る事はないわ」
こちらに対する牽制か、わざと男のところだけを強調した。
「そんな事で人を評価なんてしない」
「私も見た目で決めつけたりはしない。だからこそ聴取するの。貴方が罪人か否かを」
「俺は、月の使徒ではない」
「無罪を手っ取り早く証明するのなら、その右手の布を外して見せて」
「無理だ」
「頑なね。じゃあ、この港街に来るまでのことを話して」
「俺は鏃の小島に引き篭もって一年になる。そこで知り合ったメルルが、知り合いのチェルの様子がおかしいと言ってな」
「友達のチェルというのはシャルクの男? 女?」
「いや雌の熊鷹、シャルク達はファルガウスって呼んでるな」
スパルツォが顔を上げる。
「熊鷹って……聞いた事あるわ。チュムラ・トスミナズィの合戦で、騎乗したシャルクの弓兵が空から闇の軍勢を攻撃したっていう。あの熊鷹?」
「そうだ。俺達にとっちゃ伝説の動物みたいなものだ」
ディアスがその後の事を話すたび、ペン先が動く音が室内に響く。
「マギゼルのアルフェが貴方に会いに来たのは滞納した税の取り立てだったのね」
「そうだ。俺はエヴァルネ神聖騎士団の一員だった。脱隊してから今までの税金の支払いが滞っていたんだ」
スパルツォはディアスに続きを促しながら、手元の本の真っ新な頁に羽ペンを滑らせていく。
「話を聞いたところ嘘を言っている雰囲気はないわね。でも気になる事があるわ。何故剣の大陸に真っ直ぐ向かわず、斧の大陸にあるこの街に来たの?」
ディアスはため息をついた。
「メルルが選んだ船が斧の大陸行きだったんだ。彼女は世界中を旅するのが夢。俺は呼ばれたとはいえシャイラーオ教団には行きたくない。アルフェは自分の意志より他人の意思を優先する。斧の大陸行きを反対する人間はいなかった」
スパルツォはディアスの証言を描き終えると、ペンを片付けて本を閉じる。
「取り敢えず、今日分かったのは貴方達は弓の大陸で伝説の動物ファルガウスと戦い、剣の大陸へ向かうところを、斧の大陸のこの港街に来た。間違いないかしら」
「ああ。それで俺の無罪は証明されたのか」
「残念だけど証拠がない。三人が口裏を合わせている可能性も高い。だから伝言ツバメを送る。貴方に拒否する権利はないわ
「……分かった。それで無罪が証明されるのなら、伝言ツバメでも何でも送ってくれ」
「返答が返ってくるまで貴方の身柄は––」
その時、部屋の外の廊下が騒がしくなる。
「隊長。ご苦労様です」
「二人ともご苦労様。スパルツォは中かい」
「はい。昨日港で捕まえた月の使徒の取り調べ中です」
「そうか」
そこでドアがノックされ、スパルツォが「はい」と答える。
「スパルツォ。中に入ってもいいかな」
「どうぞ」
扉の鍵が開きドアが開かれる。入ってきたのは隊長と呼ばれる二十代前半くらいの若い男。
右腰のエストックに手を添え、座るディアスに視線を送りながら部屋に入ってくる。
「彼かい? 昨日捕縛したというのは」
「名はディアスといいます」
「初めまして。ぼくはシルルマン。この街の衛兵隊を預かる者だよ」
シルルマンは慇懃無礼に頭を下げる。
糸のような細目と目が合った時、ディアスは血の海に浸かる彼の幻影を見た。漂う雰囲気は人殺し。
しかも快楽や怨恨ではなく命令や報酬のために殺しを繰り返してきた気配。彼も同じく戦場で戦った経験があるのだ。
それを裏付けるように、シルルマンの得物の鞘には細かい擦れたような傷や刃を受け止めたような直線の傷が見える。
「ボクに何か気になるところでも」
「鞘を見たところ、戦場の経験があると思ったんだ」
シルルマンは口角を上げる。
「ご名答。この街に来る前は傭兵をやっていてね。その時からの付き合いさ。君も兵士を務めていたのかい」
「ああ、泥と血と内臓を何度も被ってきた」
「ボクもだよ」
「隊長。彼はエヴァルネ神聖騎士団の元騎士だと言っています。その真偽を確かめるために伝言ツバメを飛ばす予定です」
「伝言ツバメの帰りを待ちたいところだけれど、彼の身元を引き取りたいという人物が現れてね。だから釈放だ」
ディアスはカプラン・ムロイトに来たばかりで、知り合いは思い当たらない。
スパルツォも予想外だったようで、声色に警戒の色を含ませる。
「えっ、誰ですか」
「ミセロテ療養院のアスコム院長だよ。彼らが捕縛された現場にいて一部始終を見ていたらしい」
スパルツォから怪しむ気配が消えた。
「ああ、それなら信頼できますね。いつ釈放しますか」
「今だ。もう迎えの者が来てる。それと外の衛兵に彼の荷物を至急持ってきてくるように伝えてくれ」
指示を受けたスパルツォは外に出る。衛兵達と話しているのが扉越しに伝わってきた。
「という事で君は釈放だ。でもまだ嫌疑が完全に晴れたわけじゃない。申し訳ないが街を出るのは潔白が証明されてからでいいかな」
「それで構わない」
今は一刻も早く便所の匂いがしない所に行きたかった。
武具を返してもらったディアスが外に出ると声をかけられる。
「弓の大陸から来られたディアスさんですか」
声をかけてきたのは腰まである茶色の髪を三つ編みにした女性。
落ち着いた雰囲気の彼女は、左腕を隠すように肩からケープをかけていた。
「初めまして。私はミセロテ療養院のトーラと言います」
「ディアスだ。引き取り感謝する。よく俺が分かったな」
トーラは見上げながら理由を話す。
「二人に教えてもらいました」
「あっ、ディアス〜!」
トーラの背後から大きく手を振るメルルとその後ろから静かにアルフェがやってきた。
「トーラが助けてくれたのよ。三人でミセロテりょう……りょう?」
アルフェがフォローする。
「療養院です」
「そう療養院。すごい住みやすい環境らしくて、メルルと十代の子達もいるんですって。ね、トーラ」
「ええ。今は私を含めて三人だけだけど、二人ともいい子だから仲良くしてくれると嬉しいわ。では、ついてきてください」
シルルマンは衛兵隊宿舎の窓から、トーラについていくメルルの後ろ姿を食い入るように見つめていた。
「隊長。やはり彼等を疑っているのですか」
シルルマンは両腕を広げる。
「ん? いや、あのシャルクの少女。珍しいなと思ってね」
「弓の種族は不老不死だと聞いています。見た目が少女でも齢百歳を超えていても不自然ではないのでは」
「ぼくが以前読んだ本によると、シャルク達は生まれて二十年は、ぼく達と同じように成長するらしい。そして肉体の変化はそこで止まる」
「では彼女は嘘をついている?」
「いや、あの尖った耳と透き通るようなプラチナブロンドの髪は、シャルクにしかない特徴だ。もしかしたら混血なのかもしれないが……まぁ考えても仕方ないか」
シルルマンは広げていた両腕を下ろし、別の話題に変える。
「スパルツォ、彼等は月の使徒だと思うかい」
「率直な意見ですが、シャルク人の少女とマギゼルは違うと思います。恐らくディアスも月の使徒ではないかと」
「その根拠は?」
「今まで捕らえた使徒は皆人生に疲れ、ムーケルデンに狂信していました。魔神が復活すれば使徒である自分は幸福を得る。他の人間の事はどうでもいい。そんな生きることに疲れた人間ばかりです」
「ディアスという男は違うと、聞いた話では一年間引き篭もっていたんだろう」
「はい。しかし、今の彼の話を聞いた限りでは、人生に悲観していないような雰囲気を受けました。けれども、右手の甲を頑なに隠すところから断言はできません」
「引き続き監視はしておこう。療養院の方にも不審な動きを見たら伝えてくれるように頼んである」
シルルマンはスパルツォの桃色の瞳を見つめた。
「分かりました。後は伝言ツバメがどんな返答を持ってくるかですね」
目を逸らしたスパルツォは、窓から雲が浮かぶ青空を見上げた。
彼女の視界には映らないが、既に命令で伝言ツバメは飛び立っている。
しかし帰ってくるのを悠長に待っている暇はない。この時にも闇に蠢く者達が暗躍しているかもしれないからだ。
スパルツォはレイピアの鞘を固く握りしめた。




