混ざる声
機械が出す力の段階は案外ちょうどいいものがない。
例えば扇風機。一番弱い段階の風量だとあまり心地よくない。だけど次の風量にするとちょっと強すぎる。
スマホの音量もそうだ。
音楽を聴くときに少し小さいな、と思って一段階音量を上げる。そうすると、今度は少し大きすぎるのだ。
私は、そう言う時は少し小さい音で聞いていた。いくら好きな音楽でも、うるさく感じるのはちょっとなと思っていたのだ。
そうして、聞いていたのだ。
それは、アルバイトのない雨の午後のことだった。
私は、スマホでラジオを流しながらレポートを作成していた。
ラジオからは、ローカルのイベントや美味しいお店の情報が流れていた。
音がない方が集中できるという人もいるだろう。しかし、実家に弟と両親と祖父母、さらに猫が一匹同居して常に誰かしらがいる状況に慣れていた私は、人の声が多少する環境の方が集中できた。
細かな雨音とラジオからの明るい声が重なる中、私はレポートを進める。
ふと、ラジオの声が途切れ、ザザッ……とノイズが聞こえた。
電波が途切れたのだろうか。私は手を止めて、スマホに目をやった。
音声が戻った。
「はい、次の……ザッ、めて……お便りは〇〇町在住の……ザザッ、てる……ラジ……ザッ、ね……オネーム夕食はカレーさんからです! カレーいいですね……」
いや、音声の間にノイズと別の声が聞こえる。途切れた女と、男の声だ。
「そうですね……ザザザッ、あっ……ぐっ……私は……ザザッ、ね」
聞こえる声はずっと同じ会話を繰り返している。女の方はうめき声のようなものも混ざっている。
ザラザラした音に、耳にぞわりと嫌なものが走った。
気持ち悪い。切ってしまおうか。
そう思って電源に指を当てたはずが、うっかり音量を上げるボタンを押していた。
「あっ」
先ほどまで、雨音と同じくらいだったラジオの音が一気に上がった。
慌てて耳を塞ぐ。
「……というのが我が家のカレーレシピですね」
「なるほど! トマトたっぷりとは美味しそうですね。ありがとうございます! 夕食はカレーさん、こんな感じでよろしかったでしょうか。続いてのお便りは……」
ラジオは大音量で番組を続ける。
声は混ざっていなかった。
しばらくラジオを流す。その後も声は聞こえず、次のラジオ番組に移っていった。
ほっと胸を撫で下ろす。
聴き間違え、だったのだろうか。
私はそっと音量を下げた。
ゲストの声が小さくなる。それと同時に、別の音が大きくなった。
気づいた。ラジオの音はこの声を隠していたのだ
『やめて! やめてよ!』
『うるせぇ! お前が生きてるから悪いんだ……お前が……』
『ねぇ、それ、おろしてよ……あっ……ぐっ』
『しね、しね、しね……』
繰り返される言葉、刃物が刺さる音。
音だけでない、私の目の前では惨劇が行われていた。
虚な目で、赤黒い液体をどくどくと流す女。
恍惚とした顔で刃物を突き立てる男。
ぬるい風に乗って、生臭い匂いが漂ってきた。
男の首がぐるりと、こちらに回る。
私は悲鳴も上げられず、意識を失った。
「姉ちゃん、じいちゃんが見た後だけど音量下げなくていいの?」
「あー、大丈夫」
「姉ちゃんうるさいの苦手じゃなかったけ?」
弟の疑問に私は曖昧に笑う。
あの後、私が目を覚ますとスマホはバッテリー切れになっていて、外は暗くなっていた。
充電を終え、再びラジオをかける。
音量を上げる。いつものラジオだ。
音量を下げる。ノイズが混ざった。
私は慌てて、ラジオを止めた。シン、と静寂が広がる。
それが不気味で、私はテレビを付けた。
いつものニュースキャスターの声にホッとする。そういえば、昨日友人が来て、音量を上げたままだった。
音量を下げる。
ザザッ……めてよ!……しね……
私は固まった。
まさか……
いつも見る動画サイト、音楽アプリを起動する。
やっぱり。
そのどれも、音量が小さいほどあの声が聞こえた。
訳のわからない現象に私は混乱した。
その後、数日かけて分かったことだが、あの声は機械を通した声なら何にでも混ざった。電話もそうである。そして、はっきりと聞かなければあの映像も見なかった。対策は、音量を上げて聞こえないようにするしかない。
少しうるさいが、最近はそれも慣れてしまった。
弟が、寄ってきた猫と戯れる。
運動部の弟は普段大きな声で話すくせに、猫と遊ぶときは小声になる。それがなんとも微笑ましい。
「よーしよし、ミッコどうした……ザザッ」
えっ……
「かわ……ザッ、うる……いいなー、よしよ……ザザザッ、生きて……し」
「ねえ、待って!」
声が、はっきりと聞こえる。
なんで、生身の声まで。
あの場面が見える。
エアコンが効いた部屋なのに、ぬるい風が鉄臭いを運ぶ。
男が、女を刺す。
恍惚とした、焦点のあってない目がこちらに向いた。
刃物が、はっきりとこっちを指している。
『お前も……ザザッ……生きているから……』
ノイズ混じりの声がこちらに近づく。
体が、凍りついたように動かない。
男が刃物を振り上げた。
私の目の前が暗くなった。