男の名前はイット
「な、何なんですか?あなた。」
リザは、男に対して、抵抗することができず、ただ、質問することしかできずにいた。自分も、アベル達と同じように男に何かされるのではないか、と、その表情には恐怖がにじみ出ていた。
「とりあえず、魔王ヴァイス討伐を諦めてください。私は、それだけ言っているんです。」
男は、リザに触れることなく、すれ違い様にリザにそう言って、通りすぎていった。痛い目に遭うことを覚悟していたリザは、呆気にとられ、その場に座り込んでしまった。
「な、何なの?いったい?」
男の姿が見えなくなった後、リザは正気に戻り、冷静に辺りを見渡した。相変わらず、動けなくなっている、アベル、カイル、エミと、全身血だらけで倒れている魔王ヴァイス。今、動くことができるのは、リザ一人だけ、という状況を把握したリザは、静かに魔法を唱え始めた。
リザが呪魔法を唱え終えると、魔王ヴァイスを覗くアベル達四人の体が光に包まれ、一瞬にしてその場から姿を消した。
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「みんな、動ける?」
リザは、アベル達三人にそう声をかけた。リザの問いかけに、最初に反応したのはアベルだった。アベルは、ゆっくりと立ち上った。そして、何度も自分の体を触りながら、時折その場で軽くジャンプしたりと、体の調子を確認していた。体に異常がないことが分かると、今度は、リザの方を向いて、険しい表情になり、リザに詰め寄った。
「リザ、どうして、脱出用の魔法を使ったんだ?魔王ヴァイス討伐まで、もう少しだったのに。」
そう、リザは、先程、緊急脱出用の魔法「エスケープ」を使ったのだ。それにより、アベル達四人は、魔王城の外へと、瞬間移動、テレポートしたのだ。リザは、三人が動けなくなってしまったという事実に危機感を覚え、救急エスケープの魔法を唱えたのだった。
「アベル。仕方なかったのよ。さっき、みんな動けなくなったじゃない。あの後、私まで動けなくなったら、私達は全滅していたのかもしれないのよ。」
「全滅だと?そんなことにはなるものか。だって、俺は今、ピンピンしている。どこも怪我してないし、体に異常も見当たらないんだ。」
「そんなことを言っても、さっきは、あなたは、完全に動けなくなっていたじゃないの。」
「くっ。」
リザとアベルの言い争いは続いていた。リザからすれば、全滅を免れるための緊急避難だったのだが、アベルからすれば、魔王討伐のチャンスを逃したことになる。二人の考え方の違いにより、言い争いは終わることはなかった。そんな中、静かに立ち上がったカイルは、再度魔王城の中に入ろうと試みていたのだが…
「おい、アベル、リザ。言い争いはそれぐらいにしろ。魔王城の扉が閉まるぞ。魔王を討伐するなら、扉が閉まる前に、もう一度入るんだ!」
カイルは、そう言っているだけで、前に出ようとしていなかった。言葉と行動が全く一致していない。疑問に思ったアベルは、リザとの言い争いを止めて、カイルに質問した。
「カイル。どうしたんだ?何故、立ち止まっている?」
「…進めないんだ」
「なんだと?」
「何故か分からないが、魔王城に近付くことができないんだ。」
「どういうことだ?」
カイルに言われて、アベルも魔王城に近付こうとしたが、何故か前に進むことが出来なかった。そうしている間に、魔王城の扉が完全に閉まっていた。
「くそっ。何故、俺達は、魔王城に近付くことができないんだ?」
アベル達は、今の状況を理解できずに、その場に立ち尽くしていた。
「まさか、さっきの男が、また、何かしているの?」
暫くの沈黙の後、最初に口を開いたのはエミだった。
「いや、そんな馬鹿な。あの男は、ここにはいないんだ。俺達は、リザのエスケープで瞬間移動したんだ。このスピードに、人間が追い付けるはずがないだろ?」
「でも、あれは?」
何かを見つけたエミは、魔王城の扉の方へと指を指した。指先の方へと視界を向ける三人。そこには、先程の男の姿があった。
「そんな、どうして?どうやって、魔王城から出てきたの?」
予想外の登場に、驚きのあまり、立ち尽くすアベル達だった。
「あれーっ?あんた達、まだ、そこにいたんですかい?」
四人の緊張感とは程遠い軽い態度で、男は四人に話しかけてきた。その態度からは、敵対心は感じられなかった。
「お前、俺達に何をしたんだ。答えろ!」
男に対して、敵対心剥き出しで質問するアベルだったが、男は、ふうっと、溜め息をはきながら、子供をあやすような話し方で答えた。
「別に、私は、何もしていません。ただ、魔王の討伐を諦めてくださいって、お願いしているだけです。もう、いいですか?私は、急いでるので失礼しますよ。あんた達も、早く帰ったほうがいいですよ。」
男はそう言って、上着の内ポケットから巻物のような物を取り出した。男は、その巻物を開いて、書いてある文章を読むと、男の体が光だし、一瞬にして姿を消した。
「あれは、魔道具「テレポートの巻物」?」
「なんだと、エミ?テレポートの巻物だって?」
「ええ、信じられない。テレポートの巻物は、一般人には、決して手に入れることはできないはず。あれは、一部の大国の王族だけが持っていないはずなのに。」
「あの男が、自分で作った可能性はないのか?」
「いいえ、それは、あり得ないわ。魔道具というものは、現在では、作ることが出来る人間は存在しないの。古代に存在した技術で、現在では、その技術は失われているの。だから、現存する魔道具は、あまり多くないから、王族しか持っていない、ということなの。だから、あの男が持っていたことに、私は驚いているの。」
「そうか、あの男は、いったい、何者なんだ?」
アベル達四人は、あまりにも謎すぎる男の登場により、魔王討伐どころではなくなり、混乱するだけだった。
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「イット社長、お帰りなさい。」
「おう、帰ったぞ。」
「社長、なんか、ものすごく不機嫌そうな顔してますね。何かあったんですか?」
「ああ、ヴァイスの野郎、今回の利息分の金を用意していなかったんだよ。お陰で無駄足だ。」
「ええっ?ヴァイス、また、金用意していなかったんですか?これで何回目でした?」
「これで三回目だよ。まあ、強いペナルティを与えたから、今度出向いた時、今までと同じように、ちゃんと払ってくれるとは思うんだけどね。」
「だけどねって、何かいつもと違ったんですか?」
「ああ、ヴァイスの野郎、なんか、変な言い訳をしていたんだ。「あいつらに邪魔された」って。もう少し、マシな言い訳を考えろって、全く。」
「あの、イット社長。」
「なんだ?」
「ヴァイス、言い訳じゃなく、本当に誰かに邪魔されたって可能性は考えなかったんですか?」
「ああ?」
「いえ、すいません。」
「そういや、あの時、魔王城に、ヘンテコな四人組がいたな。確か、アベルとか言っていたな。」
「アベル?勇者アベルですか?」
「お前、知っているのか?」
「知ってるも何も、勇者ですよ、勇者!世界を救うとまで言われている勇者ですよ。魔王城に来てたってことは、ヴァイスにちょっかいを出していたんじゃないですか?」
「うーん。どうだろうな。一応、ヴァイスの討伐は諦めてくれって言っておいたから、大丈夫だと思ったんだけど。ん?そういえば。」
「?社長、何か分かったんですか?」
「いや、そういえば、四人組の一人が、大きな鞄を持っていたような気がする。」
「! それなら、勇者のご一行が、魔王の金を奪ったんじゃないですか?」
「もしそうなら、許すわけにはいかないな。」
「社長、どうするおつもりですか?」
「もし、あの鞄の中身が金だとするならば、あれは、俺の金だ。勇者アベルとやらを探して、奪い返す!」
「社長、申し訳ないですが、奪い返すだけでお願いしたいです。」
「まあ、相手次第かな、はははははっ。」
「社長、その表情で笑うと、とても怖いです。」