歯が立たない勇者達
「魔王に、金を貸しているだって?」
アベル達が驚くのも当然だった。魔王と金の貸し借りをする間柄になっているという事実は、普通ならあり得ないことだからだ。人間と魔王とは、普段絶対に相容れない間柄。本来なら、近付いただけで殺しあいになってもおかしくはないのだから。
しかも、返済が終わるまで魔王討伐を控えろ、とまで言ってきている。この事も、アベル達にとっては信じられないことだった。魔王討伐は、人類全員の悲願だったはずなのだから。
「はい。あんた達が魔王を倒しちまったら、私は大損なもので。それは、非常に困ります。」
「非常に困るって、そんな馬鹿なことを。魔王を討伐できないことの方が、人類にとっては大きな危機になるんだ。」
男のヒョウヒョウとした態度に、アベルは強く言い返した。そしてアベルは、弱っている魔王ヴァイスに止めを刺すために剣を構え近付いていった。
「ちょっと、駄目ですよ。」
男は、アベルが魔王ヴァイスに止めを刺す事を防ぐために、アベルの前に先回りして、アデルの進行を止めた。
「邪魔をしないでくれ。何でか分からないが、今、魔王ヴァイスは、虫の息なんだ。こんなチャンス、滅多に訪れない。今が、魔王ヴァイスを倒すべきタイミングなんだ。」
「いいや、魔王ヴァイスを倒すことを、認めることは出来ません。そんなことをしたら、あんた達のせいで、私と魔王ヴァイスとの間に交わした契約が、破談になっちまう。そうなったら、あんた達、責任はとれるんですか?」
「責任?何を言っている。今、魔王を倒さずに放置した後、それこそ、大きな問題が起きた場合、その方が大変なことになる。だから、そこをどくんだ。」
アベルの魔王ヴァイスを倒すという、強い意思は全く揺るがない。アベルの表情には、必ず魔王ヴァイスを討伐する、という決意が現れていた。男が、止めろ、と言ったところで、アベルは、手を止めることはありえないのだ。その事を感じた男は、ふぅっと、大きな溜め息をはいた後、アベルを見た。
「ふうっ。それなら、仕方ないですね。どうなっても知りませんよ。」
男がそう言った途端、アベルは、体に大きな違和感を覚えた。何故か、倒れている魔王ヴァイスに近付くに連れて、体が重くなっていくような感覚が出てきたからだ。
「な、なんだ、これ?ぐぐっ。」
体が重く感じようと、ゆっくりと魔王ヴァイスとの距離をつめていくアベル。だが、どんどんと体が重くなっていく。ついには、足が床にめり込み始めた。
「な、なん、だと?馬鹿な。」
足元を見たアベルは、違和感ではなく、確実に自分の体重が激増していることが分かった。そんな光景を後ろから見ていたカイル達三人は、意味が分からず混乱していた。
「おい、アベル、その体、どうなっているんだ?」
「わ、わからん。急に体が重くなっていったんだ。もう、動けそうに、ない。お、おい、お前!いったい俺に何をしたんだ?」
あまりにも激増した体重により、立っていることさえ出来なくなったアベルは、床に剣を突き刺し、それに掴まることで、何とか倒れることなく耐えていた。そうして、必死に耐えながら、男の方を見ながら質問した。さっきの男が言った言葉を考えると、自分の体の異変は、確実にこと男がやったことに違いないと確信していたからだ。
「いや、別に私は何もしていませんよ。」
「嘘をつくな。それなら、俺のこの体の状態を、どうやって説明する?」
「いや、それは、魔王ヴァイスを守るために出た影響ですよ。」
「え、影響だと?どういうことだ?」
「いやあ、それ以上は答えることは出来ませんね。それより、もう、魔王ヴァイスに止めを刺すことを諦めてくれませんか?そうすれば、元に戻りますよ。」
男の答えは、明らかに矛盾していた。自分では何もしていない、と言っているのに、止めを刺すことを止めれば、元に戻ると言っている。これでは、男が魔王ヴァイスを守るために、アベルを拘束している、と言っていることと同じだったからだ。
「そ、そんなこと、了承できるわけがあるか!」
アベルは、男の忠告を聞かずに這いつくばってでも、魔王ヴァイスに近付こうとしたのだが、さらに体が重くなっていく。もう、顔を前に向けることさえできなくなっていた。
「く、くそう。動けない。」
「だから、早く諦めてくださいよ。」
膠着状態が続く中、一人、男に向かって攻撃態勢を取った者が現れた。
「あれえ?お嬢さん、いったい、何のつもりですか?」
男の目線の先には、右手を開きあ、男に向けて睨み付けているエミの姿があった。
「アベルの拘束と解いて!」
「そう言われても、さっきから言っているでしょ?魔王ヴァイスのことを諦めてくれたら、元に戻るって。」
「そんなこと、私達が受けるとでも?早く、拘束をといて。さもないと。」
「さもないとって、それは、脅しですか?」
「いいえ、脅しじゃない。本当に撃つわよ。」
エミはそう言って、右手に魔力を込め始めた。
「待って、エミ。相手は人間よ。私達は、魔王ヴァイスを倒しにここまで来たのよ。あなたがやろうとしていることは、人殺しなの。」
「リザ。そんな綺麗事が通用するとでも思ってるの?この男は、間違いなく魔王ヴァイスを守るためにアベルを拘束しているの。だから、魔王ヴァイスを倒すためには、こうするしかないのよ。」
「でも。」
「でもも、何も、ない。」
エミは、リザの制止を無視し、男に魔法を撃つため、さらに魔力を込め続けた。
「お嬢さん、止めておいたほうがいいですよ。無駄ですから。」
「そんなことを言っても無駄よ。喰らいなさい。エクスプローション!!!」
エミが唱えた魔法は、エクスプローション。これは、火属性のレベル3の魔法だ。一般的に魔法はレベルが4段階あるとされている。中には、レベル5を越える魔法もあるらしいが、現段階では見つかっていない。つまり、エミは、男に対して、上位の攻撃魔法を撃ったのだ。
大きな炎の塊が、男の方へと向かっていく。だが、男に当たる直前に、炎の塊は、一瞬にして消え去ってしまった。
「うそ?」
「だから、無駄だと言ったでしょ?」
「くっ、それなら。」
エミは、右手の向きをを男から魔王ヴァイスの方へと変え、再び魔力を込め始めた。
「おっと、お嬢さん。それは、悪手ですよ。」
「えっ?」
エミが男の言った言葉に反応した直後、エミも、アベルと同じような状況になり、その場に倒れてしまった。女性であり、大魔道士であるエミは、アベル程の筋力はない。だから、体を支えることができず、たまらず倒れてしまったのだ。
「どうしたの、エミ?」
「わ、わからない。体が重くて、立っていられないの。魔力も、右手に集まってくれないの。」
明らかに異常な光景に、次に動いたのはカイルだった。カイルは鞘から剣を抜くと、剣を持っている右手に力を込めた。すると、剣は眩い光を帯びた。明らかに、剣の切れ味が上昇したようだ。
「二人が動けないなら、次は、俺が行く!」
そう言って、カイルは、魔王ヴァイスではなく、男の方へと近付いていった。カイルは、エミと同じ事を考えていた。この異様な状況は、明らかに男によってもたらされたもの。だから、男さえ倒せば、元通りになる、と。
「覚悟しろ。これも、世界のためだ。」
カイルは、渾身の力を込め、男に斬りかかった。だが、剣は男に触れることなく、男のすぐ横の床を切り裂いただけだった。
「あれ?」
カイルにとっては、まさか、予想外の空振りだった。連戦に次ぐ連戦のカイルにとって、空振りをするなど、あり得ない。数々の戦闘を繰り返してきたカイルの戦闘技術は、一般のそれとは比べ物にならないほど上達している。だからこそ、空振りをするなんて、あり得ないことだったのだ。
「くそっ。」
カイルは、何度も何度も男に斬りかかっていった。しかし、一度も、男にその剣が触れることはなかった。男は、一歩たりとも動いてはいない。それどころか、全く体を動かしていない。それなのに、カイルがいくら剣を振っても、男に当たることはなかった。
埒が明かないと判断したカイルは、エミと同じように攻撃の標的を男から魔王ヴァイスに変えようとした。その瞬間、カイルも、アベルとエミと同じ状態になってしまい、両膝から崩れ落ちてしまった。
「ふう、懲りないですね、あんた達。」
動けなくなった三人を、男は、呆れたような表情で見ていた。
「さあ、あとは、貴方だけですよ。どうします?」
男はそう言って、残ったリザの方へと近付いていった。