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実は同じバンドのファンだったクラスメイトの君が、放課後の校舎裏でぼっちな俺とデュエットする話。

 八月も末のうだるような熱気の中、俺は汗をだらだらと流しながら高層ビルの間を歩いていた。


「うう……暑ぃ……」


 本当ならこんな真夏日は引きこもっていたい。家でゴロゴロしながらゲームしている方がよっぽど良いとすら思える。


 でも、今日に限ってはそれが許されない。何故なら──、


「好きな曲、やってくれっかなあ」


 俺はおもむろに財布を取り出して、そこに入っていた一枚のチケットを見た。『T.W.C-s 絶対覚醒ライブ20XX』と大きく印字されたそれで気分を高め、丁度青になった信号を渡る。


 今日は俺の大好きなロックバンド、T.W.C-sのライブがあるのだ。十年ほど前にメジャーデビューしてからずっと第一線で活躍しているすごいバンド。


 とにかく激しい演奏とそれに似合わない甘々な歌詞が好きで、俺はずっとこのバンドを聴いている。沼につかりすぎて、かなりの量があるインディー時代の音源にまで手を出し始めた始末。


 そんな俺のバイブルとすら言えるバンドのライブ、見逃すわけにはいかない。


「ドーム、ドーム……あそこか」


 駅から歩いて十分ほど。ようやく会場のドームを見つけた。


 近くの歩道には案内のプラカードを掲げたスタッフがいて、それに従うようにたくさんの人が密集していた。


 ものすごい人数だ。毎朝恒例の通勤ラッシュを思い出したが、目の前の人々はみんなT.W.C-sのバンドTシャツを着ていた。


 俺と同じ柄の奴、その色違い、初期の頃のやつ……おお、応募で600名限定の奴を着ている人もいる。


 ここに集まっている人は、みんなバンドのファンなんだ。そう思い知らされて、ちょっとゾクゾクした。


 これからライブで散々騒ぎ倒す同志(ファン)たちに混じって、会場へ向かう。いよいよ興奮も最高潮だ。早く見たくて仕方がない。


 でも、その前に。


「物販コーナーはこちらになりまーす」


 案内のお姉さんの声が聞こえた。俺はそっちに進むべく人の波をかき分ける。


 俺は今日のために、バイトでたっぷり金を貯めてきた。今回のライブツアーのグッズは、俺が好きな柄のものがたくさんあった。


 大量のテントが並ぶ方に進む。テントの前に張り出された商品リストを見て、スタッフに欲しいものの番号を伝える。


 間もなく渡されたのは、黒いバンドTシャツに缶バッヂセット、ストラップ、タオルなどなど……写真で見たときも良かったが、実物を見るとなおかっこよかった。


 会計を済ませ、物販コーナーから離れる。近くの柱に寄りかかって中身を見た。


「おお……いいねえ、最高」


 さっそくカバンに缶バッヂを付けた。太陽に反射してキラキラ光っている。


 今回はちょっと毒々しい感じで、中二病っぽさが良い。『ダサい』とか言っている人もいたけど、そいつらはみんなセンスがないんだ。


 そのほかもチェックして、ほくほく顔でしまいなおす。……おっと、こんなところで時間を潰さないで、会場に入らなきゃ。


 カバンを背負いなおし、顔を上げた。


「……えっ?」

「あ、あれ?」


 思わず声を上げる。


 俺の目の前には、物販のグッズでパンパンになったカバンを持ったバンドTの可愛い女子が一人。その顔は妙に見覚えがあった。


 肩口で切りそろえられた黒い髪、ほんわかした垂れ目に透き通るような薄茶色の瞳、細い眉、ふわっとした薄桃色の頬、すっと尖った鼻にぷっくり小ぶりな唇……。


彩音(あやね)さん、だよね?」

「えっと……名取(なとり)(あきら)くん、で会ってる?」


 俺が合っているか分からない名前を呟くと、向こうも俺の名前をはっきりと言った。


 やっぱり間違いない。


「ど、どうしてここに?」

「そっちこそ……」


 困惑した顔で俺を見つめる彼女は、俺のクラスメイトで人気者の、宇多田(うただ)彩音(あやね)さんだった……。


「俺はライブを見に来たんだよ」

「だー、そういうことじゃなくって」


 俺の答えにブンブン首を振る彼女。クラスでのおっとりした雰囲気とは全然違っていて、なんだか不思議だ。


「名取くんもファンなの?」

「そうだよ。彩音さんも?」

「うん! メジャーデビューからずっと追ってる!」


 俺は彼女の返答に心底驚いた。まさか同じクラスの、しかもまるで正反対な彼女が俺と同じバンドの古参ファンだったなんて。


 自分も同じだと伝えれば、彼女も目を丸くして驚いた。俺の手を取ってブンブン振り回し、しきりに「すごいすごい」と叫んでいる。


 しかも、そのあと話をしていると、なんとインディー時代のも聴いているんだとか。


「じゃあ、あの幻の音源って言われてるやつも持ってるの!?」

「うん、持ってるよ。私の宝物なんだ」

「すごい……聴きたいなあそれ」


 俺と同じなんてもんじゃない。彩音さんは俺よりももっとずっと深くT.W.C-sにハマっていた。


 すごい。身近にこんな人がいたなんて思いもよらなかった。知っていたらとっくの昔に話しかけていたかもしれないのに……。


 いや、話しかけるのは無理か。俺が彼女に話しかけるなんて部不相応すぎるもんな。


「あっ、ヤバ! もうそろそろ入らないと!」


 俺の内心を知らず、彩音さんは俺の手を引いた。よろめきながら財布を握りしめ、彼女に引かれるままついて行く。


 指定された席は離れていたから、中に入ってからはすぐ分かれた。どうせならもうちょっと話していたかったな、とか思いながら、走る彼女の背を見送る。


 ちょっと、いやかなりドキドキした。同じファンだと知って嬉しかったのもあるけど、あんな可愛い女の子と話をするなんて初めてだった。

 

「……ふう」


 深呼吸して、気持ちを落ち着ける。ここからは肝心のライブがあるんだ。全力で楽しまなきゃダメだろ!



     *



 ライブがあった翌日、俺は高校の制服を着て自転車をこいでいた。


 今日が二学期の始業式。これからまた勉強の日々が続くので、ちょっと憂鬱だった。


 ……昨日は最高だったな。新作の曲はシングルのやつしかやらないかと思ってたが、俺が好きな曲をやってくれた。


「ふ~ふふふ~♪」


 鼻歌を歌いながら校門をくぐる。駐輪場に自転車を止めたら、まっすぐ校舎に入った。


 教室にはすでにほとんどのクラスメイトが集まっていて、仲の良い集団がいくつか出来上がっている。


 そんな中、俺はぼっち。仲の良い奴は別の高校に行っちゃったから、いつも一時限目まで机に突っ伏してT.W.C-sを聴くのが日課だ。


 通学バッグからイヤホンを取り出してスマホに挿す。左右の印字がかすれたそれを耳に着けようとしたところで、後ろから声をかけられた。


「ねえねえ、名取くん」


 ビクッ! と体が跳ねた。後ろを振り返れば、制服に身を包んだ彩音さんが、前かがみに俺の方を見て笑っていた。


 なんで話しかけてきた!? 俺も話したいとは思ってたけど、クラスメイトの前でなんて……。


 周りを見れば、みんな俺たちの方に視線を向けていた。いくつかの女子グループがひそひそ声で話し始める。


 いつも彩音さんが一緒にいる女子グループの一人は特に怖い。なんだか「彩音さんと話そうなんて随分身の程知らずね」と言わんばかりの形相だ。


 ああヤバい、これは変な噂が立っていじめられるんじゃないか……。


「んー、大丈夫? もしかして疲れてる?」

「い、い、いやそんなことはないよ! 大丈夫だから!」

「それなら良かった」


 周りの様子など気にも留めず、彼女は「はいこれ」と一枚のCDを渡してきた。見てみれば、それは俺が幾度となくネット上の画像で見て欲しがったもの。


「こ、これ!?」

「そう、昨日言ってたでしょ。聴きたいって」


 彼女はウィンクして親指を立てた。俺は震える手でそのCDを受け取り、傷をつけないよう丁寧にバッグへしまう。


 この世に何枚現存するかもわからないような貴重なものを、簡単に貸してくれるなんて。


「神か……」

「あはは、そんな大層なものじゃないよ」


 俺は苦笑する彩音さんの顔をただ見つめるしかできない。


 周囲の喧騒なんて、もうすっかり聞こえなくなっていた。



     *



 それから俺は、毎日彩音さんと話をするようになった。彼女と共通の話題で盛り上がれるようになるなんて、まるで夢でも見ているような気分だ。


 ライブの日に偶然出会わなければ、一生接点のなかったであろう存在。今は席が隣だが、それでも一学期の時はほとんど目も合わなかったのに。


「そういえば、名取くんは聴いた?」

「なにを?」

「ほら、昨日おすすめしたじゃん。ピロウズとか、フォール・アウト・ボーイとか」

「あ、うん、聴いたよ。めちゃくちゃ良かった!」

「おお、やった! 気に入ってくれて嬉しいよ」


 今日も俺たちは、休み時間毎に席を寄せて話をする。最初はじろじろ見てきたクラスメイトも、音楽の話しかしてないとわかると気にも留めなくなった。


 そして、こうやって話をするようになって改めて驚いたことが一つ。


 彩音さんは、音楽についての知識がすごい。俺はT.W.C-sしか聴かなかったが、彼女は日本のバンドも海外のバンドもものすごい数聴いていた。


 T.W.C-sの話ができるだけでも十分に楽しかったが、最近はこうやっていろいろ教えてもらえるのもすごく楽しい。


 彼女のおすすめは全部俺に響くものばかりで、今日は何を教えてもらえるんだろうと考えるとワクワクした。


 それに……。


「じゃあ、今度はこれ聴いてみてよ」


 彩音さんが机の中から一枚CDを出して俺に差し出す。受け取ったそれは、トロフィーが並ぶ写真に白い英字が書かれていた。


「ジミー・イート・ワールドって言うバンドなんだ。フォール・アウト・ボーイと似た感じ」

「へえ、楽しみだな。帰ったらすぐ聴くよ」

「うん、きっと気に入るからね!」


 彼女の眩しい笑顔に、俺は目を細めた。


 最初は単純な緊張でドキドキしていたのに、今は別の意味で気が休まらない。彩音さんの笑顔を見るたびに顔が熱くなるし、声を聞いていると安心する。


 まあ、つまりは彼女に惚れたのだ。我ながらチョロい奴だと思う。


「あ、呼ばれちゃった」


 話を続けていると、スマホを見た彩音さんが席を立った。そのまま出入り口近くにたむろしている女子グループに混ざる。


 もうちょっとだけ彼女の笑顔を見ていたかった、なんて身勝手なことを考えながら、借りたCDをしまう。イヤホンを出して耳に着け、机に突っ伏した。


 ……早く借りた奴を聴いて、彩音さんと話したいなあ。



     *



 二学期も後半に入った。


 俺は相変わらず彩音さんと仲良くしているけど、距離感は変わらない。当然だ。ずっと同じことをしてるんだから。


 本当は彼女に告白して、付き合いたい。今までT.W.C-sのことでいっぱいだった俺の頭は、今ではすっかり彼女に占拠されつつあった。


「いやー、新曲かっこよかったねえ」

「ラスサビの歌詞とか最高だったよ」

「それなー」


 机にだらんと体を投げ出して、彩音さんが気の抜けた笑みを浮かべる。つい昨日リリースされたT.W.C-sの新曲を口ずさみ、持っている紙パックのジュースを飲んだ。


 その横顔を見て、俺はぐっとこぶしを握る。毎日こうやって話していても関係は変わらない。それを変えるためにも、カラオケに誘おうと考えていた。


 かなり緊張するけど、やるしかない。俺は勇気を振り絞って声をかけた。


「あ、あのさ」

「んー、どした?」

「今週末一緒にカラオケ行かない?」


 一瞬目を見開き、すぐに笑顔になった。スマホで予定表に書き込み、俺に視線を向けて「楽しみにしてるね」と一言。


 まさしく天使としか言い表せない彼女に、俺はただ顔を赤くするしかなかった。



     *



 あっという間に数日が過ぎ去り、今日は約束していたカラオケの日だ。外はやや肌寒くて、俺はTシャツの上から薄手のパーカーを羽織った。手持ちの服で一番見た目がマシな奴だった。


 どの曲を歌おうか、彩音さんはどの曲を歌うんだろう、などなど思考を巡らせつつ待ち合わせ場所に着く。


「あ、名取くん!」


 背後から声をかけられて、振り向いた。……絶句した。そこにいたのは、絶世の美少女だった。


 丈の長いベージュのスカートに、ワインレッドのハイネックニット。足元は黒い厚底のブーツ。肩には小さいブランド物のバッグをかけていた。


「あ、彩音さん」

「どう、似合ってるかな?」

「あ、うん! すごく綺麗だよ」


 どうにか言葉を返すと、彼女は照れ笑いして片手を口元に当てる。そのしぐさがとても可愛くて、顔が赤くなるのをごまかすように頬を掻いた。


 俺ももうちょっとファッションに気を遣うようにした方がいいかな。今の格好は、キラキラしたオーラを放っている彩音さんとは正反対なのである。


「早く行こう! 歌いたくて仕方ないんだ」


 唯一の救いは、彼女が俺の服について何も反応しないことか。それが俺にはすごくありがたかった。



     *



 カラオケに着くと、ドリンクを注文してすぐに歌い始めた。俺と彩音さんが交互に歌って、ちょっと合いの手を入れたりする感じ。


 彼女の歌は、ものすごく上手だった。とにかくのびやかで、透き通った声だった。感情がこもっていて、音程も綺麗で……。


 大きな身振りで歌う姿を見て、俺は彼女が将来歌姫になるんじゃないかと思った。時に優しく、時に力強く、時に哀しく歌う表情豊かな彼女の姿は、その称号にふさわしいものだった。


「うふふ、名取くんってすごく歌うまいんだね」


 彼女は俺が歌うたびに褒めてくれる。自分ではとてもうまいとは思えなかったが、褒めてもらえるのはすごく嬉しかった。


 それに、好きなバンドの曲を歌って盛り上がれる、というが何よりも楽しい。そもそも複数人でカラオケに来るのが、こんなに刺激的なイベントだとは思わなかった。


 ドリンクバーで喉を潤しながら、木の赴くままに歌い続ける。三時間以上歌い続けて、もうそろそろお開きにしようかとなったところで、俺はちょっとだけ踏み込んでみた。


 予約を入れたのは『夕暮れの丘』というバラードで、T.W.C-sの中でもかなり初期の頃の曲。ベタ甘なラブソングで、聴いていると胸焼けするという冗談も言われていた。


 アコースティックの優しいメロディーが響く。ベースが入って、ドラムと同時に歌い始めた。


 俺は彩音さんの目を見ながら、告白するような気持ちで歌った。ミスしないか緊張したし、足をプラプラしながら笑顔で見つめ返してくる彼女にドキドキした。


 心臓が痛い。やめとけばよかった、なんて一瞬思ったけど、ここまで来たら歌いきってやる。


 五分を超えるこの曲は、イントロの十数秒以外はずっと歌いっぱなしだ。歯の浮くようなセリフ調の歌詞を、一音ずつ丁寧に歌う。


 最後の高音の伸ばしまできっちり歌いきったころには、すっかり息が切れていた。ぜえぜえと肩で息をするのも恥ずかしいから、平静を装ってごまかす。


 パチパチ、と拍手の音がボックス内に響いた。


「すごいや、名取くん! この歌難しくて私もなかなか歌えなかったのに……カッコよかった!」


 手放しに褒められて気恥ずかしくなり、それほどじゃないよと返す。実際、俺にとってT.W.C-sの全曲を歌えるようにするのは半ば使命みたいなものになってたし、大したことでもないだろうと思っていた。


 それより、俺が気になることと言えば。


「うん、私の顔に何かついてる?」

「あ、いや、何でもないよ」


 彼女をじっと見つめていると、不思議そうに両手でぺたぺたと自分の顔を触り始めた。その頬は、熱気でほんのちょっぴり赤くなっていただけだ。


 きっと、今の歌は俺の遠回しな告白とみなされていないんだろう。あくまでも、知り合いの渾身の歌を聴いただけ。そんな反応だった。


 何やってるんだろうな俺は。面と向かって言わなきゃダメなのに。


「ちょうどいい時間だし、ここらへんで切り上げよっか」


 彼女の言葉で帰り支度をする。会計を済ませて外にでると、茜色の空は薄暗い雲に覆い隠されていた。

 

「じゃあ、また月曜日ね」

「うん、またね」


 別れ際に言葉を交わして、一歩踏み出し……俺はさっと振り返って「彩音さん」と声をかけた。

 だが、すでに彼女は人混みに紛れて見当たらない。


「……はあ」


 自然とため息が漏れた。遠回しじゃ伝わらないから面と向かって告白しようと決心したら、これだ。


 カラオケ後の騒がしい街中なんて似合わないとか、相手は疲れているんだろうからまた今度でいいとか、適当な言い訳を頭の中で並べ立て、それでも気分は暗いまま。


 街の喧騒をどこか遠くに聞きながら、俺は帰路に就いた。



     *



 そして、数週間がたった。


 気が付けば二学期の終業式は明日に迫り、窓の外はすっかり白く染まっている。


 俺は、あれ以降彩音さんと話すとき上の空になってしまうことが幾度もあった。あの時の後悔を引きずったまま今日まできてしまったのだ。


 情けない話だ、と自分で虚しくなる。


「昭! そろそろ起きないと遅刻するよ!」


 母さんの声に「起きてるから」と返して、動きの鈍い両腕で制服のブレザーを羽織る。弁当を受け取るとすぐ外に出て、自転車のカゴに突っ込んだ。


「告白なんて、いつすればいいんだよ……」


 自転車をこぎながら、彼女のことについて考え続けた。このところ、早く告白しなきゃと焦っているのだが、いざ呼び出そうとなるとどうしても声が出なかった。


「とんだヘタレ野郎が……」


 自分で自分が嫌になる。放課後に会って気持ちを伝えるだけなのに、なぜそれだけのことができないのだろう。


 悶々とした気分のまま、教室のドアを開けた。教室には、いつもと違って彩音さんがいなかった。


「ねえ、名取くん」


 彩音さんがよく一緒にいるグループの一人が、険しい顔をして俺に話しかけてきた。


「今朝先輩が来てさ、彩音のこと呼び出したの。その先輩、ずっと前からあいつが好きみたいよ?」


 それを聞いて、目の前が真っ暗になった。話しかけてきた女子は崩れ落ちた俺を見下ろし、「情けないね」と吐き捨てて去っていった。


 ……俺がうじうじしていたせいだ。自分の気持ちを伝える前に終わってしまったんだ。


 席に座って、机に突っ伏した。今だけは音楽を聴く気にもなれなかった。


 ガラガラとドアが開く。枕代わりにした腕の隙間から覗くと、荷物を持って息を切らした彩音さんが入ってきたところだった。


「危ない危ない……間に合った」


 彼女が発したその言葉に、ふと引っ掛かりを覚えた。間に合った、とはどういうことか? 彼女は先輩に呼び出されていたのでは……。


「あ、あれ、先輩との用事は?」

「え? なんのこと?」


 彩音が不思議そうに首をかしげる。




 ──パッと、霧が晴れた感覚があった。


「おはよう名取くん」

「お、おはよう」


 相変わらず可愛い笑顔だった。俺は彼女に借りたCDを返し、その時に小声で話しかけた。


「今日、放課後に校舎裏で会いたい」


 嫌な顔をされるんじゃないか。そう思って恐る恐る彼女の目を見たが、その表情は穏やかなものだった。


「うん、わかった。放課後すぐ?」

「あ、うん」


 今日はそれっきり会話も続かなかった。俺の心臓はバクバクと早鐘を打って、心なしか息も乱れてくる。彩音さんも少しだけ顔を赤くしている、ような気がした。


 ふと後ろから視線を感じた。振り向けば、さっき俺に話しかけてきた女子がこっちを見ている。なんとなく気恥ずかしくて目をそむける瞬間、小声で『遅すぎ』と言われた。



     *



 放課後になるまで、俺の頭はろくに使い物にならなかった。


 授業中はずっとぼうっとしてしまうし、話しかけられても気づくのに数秒かかるし、物は良く落とすし……。


 それもこれも、ずっと告白の文言を考えてばかりいたせいだった。彼女はキザったらしい感じが好きなのだろうか、それともおとなしくした方がいいか。


 気が付けば放課後になっていて、担任の教師が教室を出ていった途端にクラスは騒がしくなった。それで我に返り、慌てて荷物をまとめる。


 軽く凍えながら向かうと、彩音さんは先に校舎裏に来ていた。灰色の壁と森に挟まれた白く狭い通路で、俺が来た方向に背を向けて立っている。


「彩音さん」


 俺が声をかけると、彼女はゆっくりとした動作で振り向いた。その顔はいつものように笑っていた。


 自分の心臓の音が聞こえる。その場で深呼吸を一つ、二つ。息が詰まりそうだった。


「何の用事かな?」


 俺が告白するより先に、彩音さんが問いかけてきた。上目遣いで顔を見られて、全身が熱くなった。


 また深呼吸をして、じっと彼女の目を見つめる。


「……あの時、ライブ会場で会ってからずっと好きでした」


 ようやく言えた。でも、まだ肝心の一言が残っている。


 俺は彼女の胸元で組まれた両手を外側から包むように握った。


「俺と付き合ってください、彩音さん」


 しい──……ん……と、全ての音がやんだ。


 俺はじっと彩音さんの目を見つめ続けたが、彼女はずっと、笑みを浮かべて軽く頬を染め、俺を見つめ返してくるのみだった。


 ダメだったのか。そう結論付けて、俺は涙をこらえられなかった。顔を伏せて見られないようにしたが、嗚咽はしっかりと聞かれているんだろう。凍えるような寒さの中、俺のなく声だけが響いている。



 ──そこに、一つの歌声が加わった。


『夜の街 独りぼっちの君は 俯いてスマホばかり見ていた──』

『こんなにも綺麗なものが 近くにあるって知らないのかな──』


 その歌には聞き覚えがあった。以前彩音さんに借りたT.W.C-sの幻の音源、そのラストを飾る曲だ。


 当時ボーカルが付き合っていた彼女を交えて作った唯一のツインボーカル曲である、らしい。


 何故それを今……。俺が顔を上げると、なおも歌い続ける彩音さんが、目で「歌え」と訴えてきた。


 ──最初の女性パートが終わる。


『いつも僕の頭を引き上げる 無邪気な君の笑顔は──』

『気づかないうちに 脳裏に焼き付いて離れなくなっていた──』


 よくある合唱曲のようなメロディーを歌う。周囲の木々と足元に降り積もった白銀が、不安で揺れる歌声を吸い込んだ。


 ──再び、彩音さんへと引き継ぐ。


『お互いあと一歩が踏み出せなくて 足踏みばかりしていたけれど それも今日で終わりにしよう──』


 満足げに彩音さんがウィンクをする。俺が歌えるようにしているとわかっていたんだろうな。何故これを歌い出したのかはわからないが……。


 ──俺に、二回目の番が回ってくる。


『つまらない恥じらいなんか捨てて 自分をさらけ出してしまえばいい それが僕のすべきことなんだ──』


 この曲の歌詞はとにかく凡庸でつまらない。今の表現力豊かな歌詞とは大違いだ。でも、そこに宿っている気持ちだけは本物なんだなと、聴くたびに思い知らされる力強さがあった。


 それを今、俺たちはやろうとしている。俺は力不足な気もするが、T.W.C-sの曲を歌うのならばいつだって全力だ。


 ──曲はやがて、ラストの合唱パートへと突入する。


『顔を出した朝日に背中を押されて 共に歩んでいくとしようか──』


 俺と彩音さんの歌声が共鳴し、周囲に響く。周囲はまるで俺たちの二重奏(デュエット)に聴き浸っているように静まり返っていた。


『この先に何が待ち受けていようとも 決して離れたりしないさ──』


 ──最後の一小節まで歌いきった。かなり短い曲だから、終わるのはあっという間だった。


 俺はしばらく歌いきった後の爽快感に浸っていたが、やがてまだ彩音さんに返事をもらっていないと思いだす。


「あ、あの、彩音さん」

「ふふふ」



 彼女はまるで見透かすように、



「返事はちゃんとしたよ?」



 俺に微笑んで、



「──これからよろしくね、名取くん」



 俺の右腕に、抱き着いてきた。


 息が詰まった。あまりに唐突な出来事で、俺はただ呆然と彼女を見つめるばかり。


 俺の肩にもたれかかる彼女が、ぽつりぽつりと話し始めた。


「本当は、あのカラオケの時名取くんが何を考えてたか、ちゃんと気づいてたんだ。でも、あの時は恥ずかしくてすぐ逃げちゃった」


 ごめんねと言われて、俺は慌てて首を振った。


「そんな、俺がはっきり言わなかったのが悪いんだから」

「ふふ、ありがとう」


 俺の肩に頬ずりしてくる彩音さんを抱きしめたのは、半ば衝動的なものだった。彼女も抱きしめ返してきて、そのままじっと雪の中にたたずむ。


 服を突き抜け肌を刺す寒さの中で、彼女の体温と息遣いがとても心地よかった。



     *



 無事に二学期の終業式を終え、明日から冬休みとなる。


 明日から自由だと騒がしい教室内を抜け、俺は一足先に教室を出た。


 ドアの前でしばらくスマホを弄っていると、後ろからとんと背中を押される。


「ん、用事は済んだ?」

「うん。早くしないと暗くなっちゃうから、もう行こっか」


 マフラーを巻いて毛糸の手袋をつけた彩音は、もう待ちきれないとばかりに目を輝かせていた。これから近くの楽器店に向かうのが、たまらなく楽しみなようだ。


 昨日の告白のあと、俺たちは帰りながらいろいろ話をしていた。これからのことや、趣味のこと。あの日の朝呼び出したのは同じ委員会の先輩で、随分前に告白を断ったというのも聞いた。


 そしてその中に、二人で音楽をやってみようかという提案もあった。


 今日はその楽器を買いに行こうと話をつけていた。幸い、金は二人とも結構貯まっている。


「彩音はどの楽器がやりたいの?」

「うーん、私はキーボードかな。本当はピアノが良いけど、置き場所もないし高すぎるからね。名取くんは?」

「俺はギター。アコギを弾きたいな」


 特にやるジャンルとかは決まっていないから、ただ単純に気になる楽器を買うだけ。でも、これから彩音と二人でやると考えると、すごくワクワクした。


「メジャーデビューとか、できたらいいね」

「そうだな……そしたらT.W.C-sとコラボできたりして」

「良いね! それ目標にする?」


 話で盛り上がりながら校門を抜ける。冬の風が俺たちの間を吹き抜けた。


 俺は彩音の手を握って、近くに引き寄せる。


「グループ名は『MELODY LINK』にしようよ」

「なんで?」

「うふふ、なんとなくだよ。私たちにぴったりじゃない?」

「ああ、確かにそうだね」


 彼女と一緒にいれば、本当に叶いそうだな。俺は眩しい笑顔を見つめ、そう思った。


 空は快晴。西に傾いた太陽が、俺たちを祝福するように行く道を明るく照らしていた。




     (終)

もしかしたら同じクラスの女子が同じバンドのファンで、それをきっかけにお付き合いできたりしないかな……。

そんな妄想を叶えるべく書きました。きっと起こるはず。多分。


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[良い点] 眠れない夜に・・・お久しぶりで御座います。 [気になる点] どうやら著者様は「リズム」を刻むような「作風」が得意なような。 [一言] 何となく「悲哀」で終わるかと思ったら「成功」でしたか(…
[良い点] 告白の答えがツインボーカルの曲… 映像で見たいですね(*´ω`*) この妄想、実に良い妄想ですねw ただし、自分以外の誰かが主人公だったら、石を投げると思います。多分。いや、絶対に!
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