君を守るおまじない1
季節は冬。
すっかり外も冷え込み、雪こそ振らないものの作務衣だけでは風邪をひく……そう風邪をひくのだ。
「ぶえっくしゅっ!」
「じゃあ、そういうことだから。暁月、睡蓮をよろしくね」
「りょーかい。私見とくから2人とも安心して行ってきな」
「僕達も時間が出来たら顔出すからね」
朝なかなか部屋から出てこない睡蓮を心配し起こしに行った雛菊が「どどどどうしようー!!!」と叫びながら階段を駆け下りてきたのが始まりだ。
パニックになってた雛菊を白蘭が宥め、その様子を食堂から見ていたらひょいひょいと手招きされて2人の話を聞けば要は「睡蓮が熱出してうなされている」とのことで。まずは姉御に相談して様子を見に行ったあと、鈴懸に雑用を任せるから私が睡蓮を看病してやれと言われた。流行病ではないと確認後、彼と歳の近い私に世話を任せたことは姉御なりの優しさなのだろうか。子どもに看病させるのも変な話だけど、裏方戦力1位の鈴懸さんを店から1日外すことはできないらしい。
風邪程度なら、何度も経験があるし一人暮らしの時は医者にかからずとも1人で対処して来たことも多い。
「わかりました」
ひとつ返事をし、今日1日睡蓮の看病をすることになったのだ。
─さてと。
白蘭と雛菊を送り出して、私は床に伏せった睡蓮に向き合う。
バカは風邪をひかないなんて、信じてないけどさらに信じられなくなったな。
「睡蓮大丈夫?」
「うー」
額に手を当ててみると、あーこりゃ高熱だ。
鈴懸さんにお願いしてよかったな、これは長引きそう。
鼻をズルズルすすりながら時おり豪快なくしゃみをする睡蓮。くしゃみした拍子にズレた手拭いを1度冷水で絞り直してまた額に置いてやる。この時代にも冷えピタがあれば楽なのに。それに常備薬があるわけでもないし。
見た感じインフルエンザとかでもないだろうし、安静に休養と栄養を取れば治るだろう。ここの時代、感染症と風邪の違いってどうやって見てたんだろう。医者にかかるにもお金がかかると言っていた。そうやって病気の種類もはっきりと分からないまま亡くなる人も多かったのかな。幸い私は今まで生きてきた中で何となくは、やばいやつかやばくないやつかくらい分かる。
ぬるくなった水を変えるため、水桶を持って立ち上がる。
「水、変えてくるね。ちょっとだけ離れるけどすぐ戻るから」
一応睡蓮に声をかけるも熱にうなされ聞こえてないようだ。叩き起して聞かせるものでもないし、出来るだけ早く戻ろう。
自分の子を持ったことはないけど、
子どもが熱に苦しむ姿は心が痛む。
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「よお暁月、睡蓮の看病ありがとな」
「蘇芳兄さん、昼見世お疲れ様です」
水を変え部屋に戻ろうとした時、ちょうど中休みの遊男たちがぞろぞろと自室に戻っているところに遭遇した。その中で蘇芳兄さんは桶を持って人を避けながら歩く私に声をかけてきた。隣には薔薇兄さんを連れて。
昼見世とは正午過ぎから夕方まで格子に出て客から指名を受けることで、受けた指命で今夜のお付き合いが決まる。格子越しだが客と話をする分には自由だし、見られるのさえ気にならなければ好きなように過ごしても良いのだ。まあだからって客に愛想なくガン無視してたらそれもそれでどうかと思うが…。因みに後者の例は圧倒的に桔梗だ。むしろ桔梗ぐらいしかいない。それでも彼は花魁を名乗れるほど人気がある。いわゆる「彼を振り向かせたい!」「私だけを見てほしい!」系女子たちがこぞって奴との夜に夢をみ縋るようだ。罪な男だよ!私ならどうせ金出すなら愛想良くて話に花が咲きそうな蘇芳兄さんや見た目に反して案外レディファーストな薔薇兄さんを選ぶけども!……ああ、樒兄さんは無理。美しすぎて直視できない。夜なんて鼻血出して死にそう!そんな恥ずかしい死に方したくないけど。
「睡蓮の様子、どうだ」
薔薇兄さんが桶をちらりと見やり心配そうに告げる。
薔薇兄さんは態度はデカいがとても優しい。人の様子をよく見ていて、年下のもの達には特に目をやっている。厳しい人けど、その分とても大切にしてくれているのがこういう形で伝わってくる。
「なかなか熱が下がらなくて、今もうなされいます。食事も、あまり取れていません」
「…そうか」
「すまねぇ、本当は顔を見に行ってやりてーんだが…」
「いえ、それでもし風邪がうつってしまったときの方が大事になります」
蘇芳兄さんは自分の職を恨めしそうに唇を噛んだ。
「前の親父のときはよく看病してやったんだが、朔の姉さんはなかなか許しくれなくてな」
前の親父とは前楼主のことだろう。朔の姉御は確かに自己管理に厳しい。それで蘇芳兄さんがうつることがあればそれこそゲンコツ程度じゃ済まされないかもしれない。
「蘇芳兄さん、睡蓮と仲良いですもんね」
「ああ、あいつを拾ってきたのは俺だからな。あいつが2歳くらい時かなぁ。吉原の路地裏で半日ほどずーっと動かず突っ立っててよぉ。さすがに気になって声かけたらぶっ倒れて、そんままここに連れてきたんだ」
ほらでたよ、私の知らない設定。聞いたことないわ。睡蓮が2歳頃ってことは5年前の話?本編に必要ない設定だからストーリー上に出てこなかっただけ?それだけなの?
「そう…なんですか…」
「その時期、陰の吉原内で遊女たちを狙った連続殺人が起きててよぉ。あんな子どもが1人でいるなんて…変なことに巻き込まれやしないかって心配になったってわけだ」
……連続殺人ね。新情報続出だこりゃ。あとでゆっくり整理しなきゃね。
「それじゃあ俺たちは行くが、暁月、お前もうつらされないよう注意しておけ」
「じゃあな!」
2人分のぽんぽんを頭に受けたあと、彼は廊下の先へ行ってしまった。さ、睡蓮のもとに戻ろう。そう振り返った後、後ろから廊下を走る音が聞こえ咄嗟に振り返る。私は今両手で水の入った桶を持っている。ぶつかると厄介だ。慌ただしい人物を先に行かせようと壁側に詰めれば、走ってきたのは蘇芳兄さんだった。
言い忘れてた!と彼は私だけに聞こえるよう耳打ちする。
「あいつ、具合悪いとき悪夢にうなされることが多いんだ。意地っ張りなやつだけど、今日だけは…どうか傍にいてやってくれ。俺の可愛い弟分のこと、頼んだぜ」
そう言って彼は歯をみせニカリと笑い、また颯爽と廊下を走っていった。あれは確実に怒られるぞー薔薇兄さんに。
ピチョン。水面の揺れる。指を差し水温を確認するも、変わらず冷たいままだ。早く新しい水に変えてやろう。あれだけ熱が出てるんだ、汗も拭ってあげようか。
「とにかく、はやく戻らないと」
体調の悪い時ほど一人でいるのはつらいものだ。
実家から出て初めて風邪をひいたあの日、とても不安で仕方なかった。病院に連れていってくれる親もいないし、大丈夫?と声をかけてくれる人もいない。吐き気のする中自分でお粥を作り、熱でうなされつつ薬をあさりおぼつかない手で冷えピタを貼るあの寂しさは、子どもも大人も変わらない。
私は行きよりも足早に3階への階段を上がって行った。