始まった乙ゲー生活5
紅い褥も敷きっぱなし。
片付けできないタイプか?と思ったけど、そもそもこの部屋が殺風景すぎて、ものがほとんど無い。
四隅に行灯が置いてあって、引き出しのついた小さな机とその上に鏡と。床の間にも掛け軸などは掛けておらずポツンと香炉が置いてある。あとは…窓際に花を挿したガラス花瓶が一つあるだけ。
彼は隣に座らせると、何事も無かったかのように作業を再開した。
「顔色、良くないですよ、桔梗兄さん」
「心配することはないよ。桔梗でいい。あと、敬語も要らない」
こちらも見ずにひたすらパチンパチンと切っていく。その花の種類は様々で、あまり詳しくないわたしはただ隣で話しかけるくらいしか出来ない。ゆっくりと言葉を紡ぐ話し方をする彼との会話は、なぜか徐々に落ち着きを持たせるものだった。
呼び捨て、タメ語でって言われても…
「…桔梗、ちゃんと食べないと体を壊す…よ?」
「大丈夫。もともと朝は食欲無いんだよね」
「なんでそんなに花を切ってるの?」
「ああ、ダメになっちゃったからね、あれのおかげで」
パチン。手を止め彼は目線を上にあげる。視線の先には窓辺にある一輪の花。真っ赤な花を咲かせたそれは、悠々と花瓶を独占している。
そう、それは
「彼岸花だよね、あれ」
お彼岸に咲く、不吉の花。
毒を持つ花で、その毒は水に溶けやすく、最悪死ぬこともある。
記憶にある情報を確かめるように小さく口にする。
「そうだよ、よく知ってるね暁月」
聞こえていたのだろう。彼は光のない紫の目を向け視線を合わせると、私の髪に手を伸ばす。初日から変わらずポニーテールにしているが、横の髪が零れていたらしい。その髪をスイと耳にかけてくれた。彼が動く度、首元に結われた黒いリボンが揺れる。まるで包帯の代わりのように、その細い首元にぐるぐると巻かれたその黒いリボン、苦しくは無いのだろうか。正面で蝶蝶結びしているが、だらんと垂れてどこか卑しい。
動きひとつ、呼吸の仕方ひとつ、彼は人を魅了する。
吉原の花魁、彼はその肩書きにふさわしい。
けれどなぜ、周りに毒だと知っていながら、彼はこの花々を同じ花瓶に生けたのだろうか。
彼は、あれのおかげ、だと言った。
という事は彼は最初から他の花を枯らす気で………?
そう思った時、
トントントン。廊下から足音が近づく。
「………ああ、お迎えが来たようだ」
「え?」
その刹那、スパーンと乾いた音を立てて背後の襖が開かれた。
みんな戸を引く力が豪快すぎやしないか、なんて、振り返ればそこには静かに桔梗を睨みつける樒兄さんがいて。
樒兄さんは部屋の敷居は踏まず1歩も入って来てはいない。それなのに、ヒシヒシと感じる冷たい視線。
「そんな顔するなよ樒、何もしてやいないさ。さあ暁月、もうおかえり」
そんな樒を挑発するように口元に弧を浮かべ、私の手を取り立たせると軽く背を押した。困惑しつつチラチラと桔梗の顔を見返りながらもゆっくりと樒のもとへ歩み寄れば、痺れを切らしたのか、樒に強く腕を引かれた。思いのほか強かったその力で体制を崩し、彼の体にもたれ込んでしまう。樒は自分の腰ほどもない身長の子供を立ったままグッと片手で抱きしめると、何も言わず、今度は静かに襖を閉じた。
無言のままぐんぐん歩き出した樒に手を引かれ、連れてこられたのは、彼の部屋だった。
えー、もうー今度はなんだよー!
なんて心中で悪態づきながら部屋に入れば、彼は悲しそうな目を向け、構わず私を抱きしめた。
突然のことで思わずびくりと体を反らせるも、彼は離さず、膝を床につけその胸に私を収めた。
いつものぎゅー!ではなく、なんというか、存在を確かめるように。
直接伝わる彼の体は少し震えていて……思わずその背に手を回した。幼すぎてどうにも抱きしめ返すとは言い難い形だが、なぜこんなに彼が怒って、悲しんで、震えているのかが分からないくて。少しでも彼の心が落ち着けばと、赤子をあやす様に背中をぽんぽんとリズム良くゆっくり叩いてやる。
そうして少し経ったあと、彼はポツリと呟いた。
「─────」
私はよくいる鈍感主人公ではないから。
その言葉を聞き逃さなかった。
聞き取ったその声を無視することも出来なかった。
けれど
「え?なにか言いましたか、樒兄さん?」
けれど、思わず、そう、口にしていた。
きっとあの子たちもそうなんだ。
聞こえなかったなんて誤魔化して、嘘をついて。
そんなわけないって、自分を疑って。
──『早く囲ってしまいたい』──
不可解で、突然の思いを伝えられて、すぐに受け止めることは出来ない。ことばの理解が追いつかない。
桔梗のこともそうだ。
彼が花を育てていたか。部屋に彼岸花など、あったか。
私が忘れていただけ?たまたま知識があってラッキーって?
……そう、追いつかない。
知らない。
私は1度、この世界をプレイして、完全攻略したはずだ。
それなのに
────この世界を、知らない
────この展開を、知らない