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誰もいない街

 ――月明かりに照らされたなまめかしい白い肌の躰、初めて、君の下着姿を見た。

 語り部の長谷川慧はテーマパークのイベンターであり、愛読書『聖野物語』の世界観の実現を目論んでいる。

 土砂降りの中、物語のヒロインの生き写したる幻想的な美女とすれ違うが彼女の落とした指輪を渡せぬまま持ち去る。後日知人に誘われたコンパでアイドルグループの女性たちと知りあう。偶然にもくだんの美女、新沼弥生がいた、指輪は持ち主へと返還される。

 芸能界を引退した弥生は慧との距離を縮め交際が始まる。同棲を始めるふたり、つながりつつあった距離が遠ざかる切なく空虚な日々には弥生の特異な恋愛観が深く影響していた。

 やがて別れの訪れ。別の女性との結婚生活から中年までの日常が過ぎていく。

 ――あのとき、君の手を離さなかったとするなら。

 誰もいない街から過去を旅する。あの日伝えた、淡いプロポーズの追憶と共に物語は幕をとじる。

 水の底を満たす深い闇を写して、端正な黒を一面にこごらせた。藍の沈黙から、すべての頭上より漏れ出した銀白の吐息に縁どられ、ひと筋が、幾通りもの素描を重ねていく。

 かろき慰撫の気配はり鷹揚にたゆたううみへ。黒漆の起伏に浮かんだつやより吸い上げて淡く伸びあがる銀糸の、ゆらゆら、高みまで結ばれては悠遠へと……ほんのり浮かぶ藍の滲んで。時はなおもほどけゆく。ぬめぬめと、宿された光輝をいっぱいに含んだ嚠喨りゅうりょうたる肌はでっぷりと太り、浮世離れの姿態で踊る。すぐに、不気味な笑みへ、ひしゃがれてはするすると、隣りあう深淵を滑り、墜ちていく。

 ザワザワと波打っては腐敗した水溶液を渡る、注がれた白金に焼かれて、節操なくメタリックな明滅でまばらに覆いつくした蟻走の痕跡。個体の一つひとつがあっけなくパチンと弾け、だらりと、やわく、ひと連なりで決壊して、銀に蕩けてひと群れの、体躯は洗いざらい、跡形もなく、漲るように結ばれては、流れていく。

 生気と闇を混在せしめ稜線が結ぶ、なおも揺らめいて。

 忍び寄る、まだらの生滅より割り込んで、影は暗く透明な尾を芽吹かせて、脚もとより、薄地からも際立つ肢体のなまめかしい曲線が、長い髪へと届いてはぬらぬら泳ぐ。

 腐敗の色香に甘い蜜を発見して、恥じらいもなく欲望へ導かれ。濡らした鼻腔へと、貪り喘ぐ声、哀しいほどの咽びと相反する活力の渦が交互に大気を揺るがせた。

 君の背後から風が流れた。深奥へ浸された夜の鳴き伝う声……散りばめられた幾重もの響きが豊潤へと連なって引きも切らず、森に渡った玲瓏れいろうの喧噪を押し潰す、無関心で頑なな低い息を漏らしつづけ、羽虫の群がりは谺となって辺りに絡めとられては不穏を伝えている。静やかな闇の青く、天上からは緩やかに流れる風を突いて、筆致はなおもたくましく生々しさを帯びていき、内奥のはてより闇を出だしてさらさらと、辺りへと散逸する光沢をゆらゆら、呼んでいる。不揃いな丈のあみだに並んでは草花ひしめいた地面へとようやく届いて、陰影に溶け合うほどわずかなざわめきが這っている、踏めば頼りなく沈みゆく、水辺に群がる砂上の楼閣。

 ランウェイの腰つきが斜交いの左右を驕慢に組み替えながら二度三度前方へと、湿度に濡れた野生の地面より、突き出してツルリと硬い純白の花道は、陽炎の向こうまでゆらゆらと続いては君を迎合する、ワイルドなグロスを化粧けわった背のおおよそを露わにして、扇情的な肩甲骨よりやや下方、胸もとの裏側へ、左右を申し訳程度に包んだ銀ラメの生地が、絶妙なV字を描いて腰の辺りで連なっている、上半身から膝丈までの体躯を強調するような、ピッタリと密着したわずかなしろをあそばせながらも繊細な線を浮かび上がらせている、引き締まったヒップを規則的に動かしては、君は眩い光のただ中へと溶けていく、焼き付くほどの強烈な白を踏みしめる、あの、足首にぐるりと十字を巡らした黒のピンヒールのパンプスが柔らかい湿地を踏みしめている、翻って、私はその、あまりにも目映い光景より目を焼かれるように、脳を焼かれるようにしながら、陶然とした表情で遠く逃げていく美しい魚を、すこし、恐れをなすように眺めていた、ピンヒールがなおも草木を分け、濡らしていく、硬い地面ごと、風に揺らいでは、湖面の上空へと、幻影に閉ざされた君がはらはらと、消えた。

 向きなおった君は放りだしたままの、前方の残像へと向かい合う。注がれた光輝より透かされては、うっすらととどまって、後ろ姿。左右の腕を中央へ折りたたみ、尖端を銀ラメに縁どったヌーディピンクのフレンチネイルをずらりと突き合わせて、背すじに沿いながらゆるりと器用に下りていく、パックリと中央より分かれては、肩口から崩れるようにあっさりと、草花をたわめた。生まれ出た妖精は、はかなげで芯のある白妙のゆびさきを滑らせては、ふんわりと綾なしたフリルスカートの留め具を、律動的にほどいていく、素知らぬふりをして蛹を置き去りに、その脚もとへと膨らませ、藍と黒の風合いは背後に溶けて、ぞんざいに捨てられたロリータドレス。やがて風へとさらわれて蛹ごと妖精の君も消えていく、真っ直ぐに私を見すえた君だけが映されて実体はそこに立つ。

 降り注がれた月明かりを一心にあつめてはくっきりと躰を透かして、妖しい輝きで、腰高まで、うちから横溢するほどの艶めく半身をくるんだ淡いブルーより、物知り顔で覗いた卑猥な濃い色彩のコントラスト、肩へと掛けられた細い左右を、ゆったりとした2拍子で滑らせて、するすると薄手の絹地はひと息に降りていく。墜下した反射光の、闇へと引き込まれ、いっそうの輝きが陶然とて周囲を溶かした。透きとおるほどの白い肌は光そのもので、片や迎え撃つような、複雑な刺繍に編まれた、暗紫色に分かつ二つのその領域は、淫らなほどの闇とてくらく映えた。恍惚なる対比。初めて、君の下着姿の躰を見た。

 蹂躙に耐え、密やかな発条バネの叫びの手向かいの、草木の意志を踏みにじり、女王のようにそそり立つ、蹲る海馬タツノオトシゴのような造形は艶やかな黒で腰をくねらせ口吻こうふんを鋭く落とす、ちらちらと顔を出すソール、鮮やかな紅に塗られては、黒の領域から突き出す足のゆびさきへつぶらに並んだ同様の色彩へと呼応している、白妙の肌よりくっきりと浮き出したくるぶしや腱から細く、隆起したふくらはぎへ、愛らしい膝の皺からは心なしかもっちりとした肉づきを湛えていく太ももを舐めた途端、見返りのヒップが鼠蹊そけいの渓あいににっこりほほ笑んだ。翻った君の後ろ姿が淫らさをさらに際立たせ、今一度遠ざかる、ウンウンと唸る羽虫を上空に、湖面は微かな音を立てながら複雑な波紋をつぎつぎと変容させていく。ぬらぬらと凝りが揺れる、黒に締められた足から、より鮮明に、白妙の、濃い影とて映されて、細くくびれた脚はすらりと伸び、恥部を忍ばせ暗紫色の闇へと相まってはうっとり溶けて、心なしかふくよかな腹部には愛らしく、笑窪えくぼを咲かせている、下方からはみ出した柔らかな乳房を忍ばせて暗紫色は細波に蕩け、麗しい隆起に沿っては渓を渡り、金糸の束とて長い髪がその傍らへと波打つ、扇情的な隔たりの鎖骨から、婀娜めく頸がぬうっと伸びていく、細く連なった頂点からかおの輪郭は始まって金糸の巣まで、おもてには、ぽってりと桃色の薄い半月が、二枚貝とてつがい、その隆起の中央から窪みをするりと滑って鼻先へ、小高い鼻梁の根もと、両脇へと具えた伏し目のあたまを長い睫毛が飾っている。 

 いよいよ、黒の凝りに滲む絵へ、紅く塗られたソールより邂逅して被写体は、自らの窪を割り入れ、さらなる内奥へ沈む黒光りの海馬からねっとりと、密着した滑面の襞に沿いながら、白妙の闖入が粘液の闇を穿っていく、夜にむ湖面は法悦の輪を広げて。

 整然たる連なりに流れる銀白の煌きを乗せて鷹揚なる黒のうねりが遠くまで泳いでいく。

 雨……。それは同心円状の緩やかな広がりへと液態の心象よりたたく雨で、光と闇を綯い交ぜにしたおぼろげな領域に写されていた。傘も持たず、黒地のシックなワンピースをずぶ濡れにして、雨粒を含んだ束ね髪から大胆に乱れた金色こんじきが脈打っていた、洋風の顔立ちから強い視線を真っ直ぐに伸ばしてはしばらく離さずに、伏し目になった君は振り返りバスへと乗りこんだ、うねりは新たに輪を出だして。

 再会……。空のグラスを回して屈んだ君の胸もとはすこしだけだらしなく中身をチラつかせ、初めて視線が合えば振りまいた愛嬌から一瞬、真顔を覗かせ、闇へと飲まれていく。 

 鏡……。タキシード姿の君が姿見で番いになる、シャツをはだけ、ズボンを下ろし、花や蝶に飾られた黒のボディストッキングが露わになり映されては、接近した唇が暗紫色のキスマークを浮かばせて、たゆたいに消える。

 …………。夜道を進みゆく、重機のけたたましい響きだけが背後にあった、波紋がなおも節操なく生まれては、消えていく。

 腐食した粘着を気にもとめず進むばかりで、胸もと辺りまですでに飲まれていた。

「止すんだ!」

 君は意に介さずに、ギラギラと湖面が激しく揺れているばかりで。とうとう足がおぼつかなくなり、いよいよ君は泳いでいきながらますます遠ざかる、一面をまばらに遮った流木を器用に避けてすいすいと、金色のほとんどが濡れ羽色に染まり、それはそれで異様な美しさで静かに光っていた。

 私が、いたたまれぬような足どりで、前方の、闇の溜まりへと吸いこまれて、かろうじて、上着と靴だけが打ち捨てられ、ぞんざいな勢いを揺らぎへと加えながら、着衣のままに進みゆく。

 なりふり構わぬように腕をまわし脚をバタつかせて、腐食の闇を掴まんとて滑らせる、するりと逃げていく流麗な砂の感触より翻弄されては、君の在り処を手繰り寄せようとして。闇を吸い込んだ画布、けがされた君の上端だけが浮かび、暴れるごとに銀白の筆致が肌のうねりへと躍動した。

 ようやく、君の元へとたどり着く、喘鳴ぜんめいが凄まじい螺旋を書きなぐっては上空を満たしていた。柔らかく肩を抱きしめ流木へと引き寄せられる、夜の冷たさに濡れながらも、熱は帯び、伝う、相貌を汚泥に染めながら、まばらに芽吹いた白妙を辺りへと目映く広げていた、伏した睫毛が出し抜けにしなを作るや、つるりと剥き出す大きな瞳が美しい二重瞼の内側で睨むような強さでなまめいた、筆致は力強く注ぎ、乱れて、君は白妙を裡より輝かせた、見つめ合って、手繰る気勢がいや増しに、君の唇は私から貪られてしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 夜の海の波の詩的な描写から、横たわる今の現実。 視覚に訴える文章は、流れるようで美しい。 特に女性の艶めかしさが際立っていたように感じました。 [一言] 無駄な文章がないように思いました。…
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