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ポンド  作者: 新庄知慧
74/88

74 なんだ、あれはばふんだったのか

「……・」


しかし袋の中の彼は無言である。腹がぐう、と鳴った。


「乞食」


また袋の外に声がする。


彼はかまわず、また、口のそばにあったものを食べた。べたべたした、糸をひく、柔らかくて甘いものだった。おはぎだ。これは。


なまじっかの食べ物を口にすると、空腹感は逆に増幅してゆく。彼は袋の暗闇の中で顔を動かして、ねちゃ、ねちゃ、と口に触れるものをまた頬張った。溶けかかったおはぎだ。するとまた袋の外の声。


「なんだ。あれは馬ふんだったのか。ぼたもちだと思って、食べてしまった」



ばふん?



彼は驚いて袋から顔を出して、立ち上がった。


「まだまだやな、あんた」


裸電球の上の黒い中空から声がするようだ。黒い塀の上に誰かいるのか。


しかし彼にはおはぎにしか思えない。捜すのだ。ばふんと言われないおはぎを。いや、もっと違うもの。


別のバケツを彼は開いた。今度はサラダドレッシングににた香りが漂った。黒い袋がやはり詰められており、それを開くと、野菜屑みたいなものが悪臭とともに飛び出てきた。違う。これではないだろう。


また別のバケツ、もうひとつのバケツを開ける。そして、彼はついに見つけた気がした。


彼によって引き裂かれた黒いビニールの中に、ひときわ真っ黒な物体。それは残飯の一種には違いなかった。


黒く焦がされ尽くした物体。誰もこんなもの口にしないだろう。しかしこれを食えば、捜し出すことが出来る。捜していたものを。


そう確信した。それを彼はつかもうとした。そして食おうとした。


と、空から、黒い生き物が飛んできて、彼の頭に乗り顔を引っかいた。


彼の頭をジャンプ台にして彼の目の前のバケツに飛び込むと、その黒い残飯を口にくわえ、かっさらってしまった。


口にくわえたままバケツから跳び出し、黒い塀の上に乗った。そして唸り声を上げた。


塀の上は裸電球の光が届かない闇だったから、それが何者かは本当のところは分からない。


しかしそれは黒猫だった。


さっき彼が一瞬目にした姿は、まるまると太って、まるで子熊であるかに思われる大きな黒猫だった。


ただ、顔は猫じゃない。猫にしては大きすぎる。あれは人間の顔だ。


 塀の上の暗闇から、再び呻き声がした。


 まだまだだよ、駄目だよ、これは、俺の食い物だよ、まだ駄目だよ…そう言っているように聞こえた。


 それから、口にものをくわえたまま、笑い声が洩れてきた。


 はじめは押し殺すような、ひきつったような笑いだったが、やがてそれは爆笑になり、依然として口にものをくわえたままだったから、本当の爆笑とは違うものだったかもしれない。


 しかし、心の底から彼を馬鹿にするように、笑っていた。


 その声は、猫のものではなく、明らかに人間の笑い声だった。

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