73 生きていると空腹だ
しかし、どのバケツもからっぽだった。彼は失望した。また歩いた。たまらなくなって、すれ違う人に声をかけた。
お金貸してもらえませんか。
かすれた小さい声だった。すれ違う人は、彼を無視して足早に歩き去った。
彼は力なく歩き、またすれ違う人に声をかけた。しかし、また無視される。
そうやって、何人かに声をかけているうちに、目がまわり、その場にしゃがみこんだ。ああ、腹が減った。もう夕闇がせまっている。
しばらくじっとしていると、子女の視線を感じた。
見ると、子女の着ている着物の帯にはさまった百円硬貨が見えた。
彼は大きく目を開き、子女を抱えて歩きだし、目を皿のようにしていると、小さなパン屋を見つけた。あんパンを買った。
そしてその場でむさぼり食った。餓鬼のように。本当にすごい餓鬼だった。そのむさぼり食う姿のあまりの凄まじさに、パン屋の、ど近眼の腰の曲がったお婆さんは唖然とした。
もう一つ、パンをめぐんでくれた。
これをやるから、店先からさっさと消えてくれということだった。彼はそのパンも飲込むようにして食ってしまった。胸がむせかえったが、感激のあまり涙が出た。
少し元気が出て、小さな川のほとりまで、とぼとぼと歩いた。
小さな川のほとりにしゃがむ。もう夜だった。
ぽつん、ぽつんと、彼と同じようにしてしゃがみこんでいる人影が見えた。ああ、ここは、あの金色銀色目の女がいたところかも。
ふらりと立ち上がり、一番近くにいた人影に声をかけた。
けたたましい声で怒鳴られた。
しっし、と手で追い払われた。しかし彼が立去ろうとしないので、人影の方で去っていった。
乞食、乞食、…
彼はまた呟いて歩き出す。
何時の間にかまた、あの料亭の黒い塀の前である。薄闇の中に、外灯の裸電球に照らされて、ポリバケツたちが並んでいる。また彼はそれに近寄り、蓋を開けた。
何かが詰まっている。大きな黒いビニール袋。ひきちぎると、生臭い匂いに鼻を打たれた。吐き気をもよおす臭い。
彼は、臭いの攻撃によって、どたん、とその場に倒れた。しかし、また、ふと妖怪の声が頭をかすめる。
「捜しているのだ」
そうだ、捜そう。彼は鼻をつまんで起上がり、ビニール袋の中に勇敢にも手を突っ込んだ。柔らかい、濡れた、色々なものがまじりあった。
薄気味悪い感触。しかし、思い切って彼は袋の中を覗き込み、鼻から手を離した瞬間、またも耐えられない、強烈な悪臭。
彼は体のバランスを崩し、袋の中に頭を突っ込んで、意識を失った。
それはほんの一瞬の気絶であったが、気づくと彼は不思議にもその悪臭の中で生きていた。
そしてあまり何も感じなくなり、空腹感が甦った。暗闇の袋の中で、口に触れていたものに噛み付き、頬張った。何かの肉みたいだった。
もぐもぐと少し口を動かして、それを一息に飲込んだ。
「うまいよ、それ・・・・」
誰かが袋の外の彼の近くで喋った。




