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ポンド  作者: 新庄知慧
71/88

71 河原のレゲエ  

誰かが立ち止まって彼に話しかけた。子供の声のよう。


しかし彼は、その誰かが何を言っているのか分からない。


誰かの方に顔を向けたが、往来に先ほどから響いていたと思われる雑踏の音、靴音や自動車の走る音を、改めて耳に感じただけで、その誰かの顔は認識できない。


その誰かは、彼と並んでそこにいた子女の前に、小銭を置いて立去った。




時間はスローモーションビデオのように、のろのろとしか動かない。

彼の目には、雑踏の眺めは、のろのろした外国の白黒映画にしか見えない。


埃と熱とにまみれて、靴音や排気ガスや車の騒音が入り混じって、時々、汗のしずくが流れて彼の目や耳を塞ぐ。

やがてまた汗が流れ去って、おかしな鈍痛のような音響が脳髄の奥のほうで鳴りやまない。



暑い。それだけは感じる。暑い、暑い。とても暑い。




頭の上の方で、大きな音がする。


身体を揺さぶられる。


黒い革靴のような固いもので、横腹のあたりを蹴られた。新しい痛みを感じる。



その痛みが続いたのは、30秒くらいか、30年くらいの間だったかは分からない。視界が大きく回転して、青空、そして太陽を目にする。太陽をまともに見て、目が潰れる。



固く目を閉じているが、腕をつかまれて、路上をずるずると引き摺られていく。慌てて子女と鞄に手を伸ばす。


突然、彼は水中に投げ込まれた。


耳と鼻に水が流れ込む。あわてて手足をばたつかせる。水の底に足がついて安心する。


彼の頭に物がぶつかる。今度は石ではない。もっと大きくて柔らかめのもの。


立ち上がると、水面を子女と彼の鞄が流れていくのが見えた。それを追いかけ、水の中を彼は歩いた。


冷たい水につかったせいで、少し目がさめた。彼はなぜか川の中で、子女と鞄が流れていくのを必死で追いかけていた。


やっとつかまえて、河原に辿り着いた。またもや河原。彼は鞄と子女を抱きかかえてうなだれて、その場に寝転んだ。


しばらくすると、また上の方で声がする。


「縄張り荒らしちゃ、だめ!」


目を開けると、彼を見下ろして、ばさばさの長髪の男が立っている。


またも浮浪者風。


しかし先ほどの工場労務者風のとはちがう。


よくいうレゲおじさんだ。


ジャマイカのレゲエ音楽のアーティスト風の長髪。肩までどころか、腰ぐらいまで届いた、油気のない脱色したような茶色い髪。黄色い出っ歯。土気色の肌。Tシャツにジーンズを音楽家風に着こなしている。


彼はだまったまま、そのレゲ男を見上げていた。相手も黙ったままだった。


しばしの沈黙。そして不意に、かすれる声で彼は言った。

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