59 世間話でもするように
翌日、いつも通り出勤した。そして、彼は課長に別室に呼び出され、解雇を宣告された。
「いやね、大変いいづらいんだが、君のこと、本社に報告せざるをえなくてね、報告したんですが」
課長が世間話でもするように口を開いた。
「…ああ、今日も暑いねえ。と、それで、君も我が社の社員だから知ってると思うけど、きまりがあってね、だめなんだな、やっぱり」
森下婆の言ったことは本当だったのだ。彼はどんな反応をしたらいいかわからず、無言で聞いていた。
「いや、支店としては、がんばったんだよ。支店長も、君のこと、気に入っていらっしゃるし」
「…」
「でねえ、まあ、君のような前途有望な青年をだな、大変惜しいことなんだが、うちのような会社では、堅苦しい決まりがあって、どうも、やっぱり無理なんだよ。
堅苦しいきまりといってもね、決まりは決まりでね、妙な前例を作るわけにはいかないと、本社の、いや、組織としての決定でね。
しかし、まあ、あまり事を荒立てないで、君の今後のことも考えてだな、君の方から、その…」
つまり、辞めて欲しい、そういうことだった。
「あ、いや、その」
何という言葉を口にしたらよいか、見当もつかなかった。
昨日みた行止まりの池のことが頭に浮かんだ。小女のこと、妖怪のこと、熱蒸気に狂わされたような最近のこと。
「まあ、そういうことなんだ。まあ、急に返事もできないかね。でも、君の方でがんばっても、きっと限界がある。
無理だよ。
組合もきっと歯がたたない。だって雇用契約にも謳って在るんだよ、これは。だからそれより、もっと別な人生を捜した方がいい。
このまま我が社にとどまるって言っても、無理だし、とどまったとしても、先は見えてる。
残酷なようだが、君、頭いいんだから分かるだろ。残酷なことは言いたくないんだが…」
課長はハンケチを取り出して顔の汗を拭った。課長の彼としても、言いにくいことには違いなかろう。
自分にとっても、いやでいやでたまらない毎日だったのだし、まあいいか、「いいっすよ」と、軽く言いたいところだが、いざ本当にクビだということになると、俄かには軽くものが言えないのが不思議だった。
昨日、森下婆からの予告編もあったし、心の準備も出来ていたはずなのに。
「まあ、心の整理も要るだろうから、この場はこれで終わりにしようか」
と、課長が言った。
はっきりした返事もせずに、部屋を出た。
職場の視線が一斉に注がれたのを感じた。しかし彼が視線の注がれた方を見返すと、また一斉に皆そ知らぬ風で顔をそむけ、書類に目を落とした。




