58 それは誰?
「あら、阿村さんやないの」
見ると、そこにはまたもやあの枯尾花の森下婆が座っていた。
けけ、と半分笑ったような不気味な顔でこちらを見ていた。
瞬間、彼は横に座った子女のことに気がいって、まずい、と思ったが、後の祭りだった。
森下婆は遠慮会釈なく、立ち上がってずかずかこちらに近づいてくる。ああ、またも万事休すではないか。
「偶然やね。あら、その子また…」
「いあ、はあ、気にいらないらしくて、いや、親戚の子がですね、それで」
「返されたの。それで、また、なんでいっしょに連れて歩いてんの」
「それは、つまり…」
「この子も、段々元気になってきたんと違う?」
「はあ?」
森下婆は目を細めて、子女を見つめていた。優しげな眼差し。子女は見られてやや俯いたような気がする。
「あんた、この池に何しにきたん?」
「いい眺めだなあと思ってですね」
「釣り舟の持主んとこに謝りにきたんとちゃうの」
「あ、はあ、勿論、そうです。そのためです。その上、池の眺めが素晴らしいという、その」
「ほんまかいな」
「そうですよ。それより、森下さんこそ、どうしてここへ」
「そんなん、うちの勝手やないの」
「そうですか。そうですよ。うん、それじゃあ僕はこれで」
「まだ注文したお茶も来てへんやないの。あんた、うちのこと嫌うとるんやね」
「それはもとより、いや、とんでもない」
「あんた、気いつけた方がいいよ」
「へ?」
「会社のことな、やっぱりあかんかも知れん」
「何のことです」
「噂やけど。心の準備はしといた方が。えらい堅い固い会社やさかい。まあ、ええわ、さいならいうんやね」
彼は何のことか察しがついた。また会社のことを思い出して、いやな気分になった。
「あら。悪いこというてしもうたね。でも、噂やさかい。がんばればまた、何とかなるて。そやけど、その子、ほんま、お友達なんやねえ」
「もう、ほっといて下さいよ」
「怒ったの。すまないね。でも、阿村さん?」
「何ですか」
「あんた、その子のこと、分かってはる?ほんまに、分かってくれてはる?」
枯尾花は謎のような目つきになって、彼を一瞬見て、やがてまた子女と向き合った。
「?」
この森下婆が何を言っているのか、彼には分からなかった。
僕がこの子女のことを、どう分かっていようといまいと、この婆に何の関係があるというんだ。何だってそんなことを僕に聞く?大体、この婆は何者なんだ。
「この子のことを分かってるかって。どういうことですか。あなたはこの子の…いや、この人形の、一体…・」
彼は言いよどんだ。森下婆は顔を上げて、にっと笑った。老けた顔。しかし、どこかで見た顔が、その婆の顔に重ね合わされたような気がした。
こいつは一体、誰だ?




