56 日曜日のあの池は
翌日、出勤してみると、会社の連中は、まるで何事もなかったかのようにして、彼を迎えた。
課長も、蟇蛙も、人参も、枯尾花たちも、森下も、いつも通りの淡々とした仕事ぶりと彼への接し方である。
一応、支店長室に呼ばれ、昨日の事情を説明したが、支店長は豪快に笑いとばし、まあ、今後気をつけるようにと、一応彼を諭して彼の持ち場へ帰した。
しかし、何事もなかったようにしている職場の人々を見るにつけ、それが何事かであったのだという感じが逆にしてくる。
彼はいままでのように振る舞えない気がした。まあ、おとなしくしていた方が身のためだ。彼はうつむき、黙々と仕事した。
次の日曜日。
彼は子女とともにあの池を訪れることにした。その池は、この街の西北端に位置していた。
タクシーに連れていかれたおぼろげな記憶をたよりに、市街地図を広げ、やっと捜し出した。バスに乗り、池を目指した。その日曜日もまた、暑い日曜日だった。
その池は偏照寺という寺がかつて所有していた池で、広沢池という名前だった。
夏のお盆の頃には、この池で大々的な灯篭流しが行われるという。地元の人にとっては、有名なイベントであるらしい。
職場の枯尾花の一人に聞くと、その灯篭流しの晩には池のほとりの寺の家屋に、信心深い婆さんたちが何十人もやってきて、お経をあげる。
その声はスピーカーによって池全体に流される。恐るべきお盆の、お経ライブが聞けるのだという。
子女とともに、池の近くのバス停に降りた。街の中心からバスでほんの30分くらいのところだった。
バスを降りると、再び熱い陽射し。蝉たちの鳴く大音響。
池への道を示した矢印の書かれた看板が目に入る。それをたよりに、彼は歩きだした。小さな森や草むらの中を通る小道。車一台がやっと通れる狭い道だった。
ぽつん、ぽつんと思い出したように民家が現れる。
次第に記憶が甦るような気がする。外灯も何もない、真っ暗な道だった。
あの酔っ払った状態で、どうしてこんな道をタクシーに指示することが出来たのだろう?道を指示したのは、君だったのかい?彼は子女に聞いてみた。
やがて大きな看板のたった広場にでた。一応駐車場であるらしい。
看板には「広沢池」と書かれている。そして、池にまつわる色々の話が、びっしりと書かれてある。
看板はかなり古びたもので、ところどころ剥げ落ちており、書かれた文章は旧かなづかいの、彼にとっては非常に読みづらいものだった。




