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ポンド  作者: 新庄知慧
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5 パブロフのイヌ!

しかし社会人とはこうしたものか。


強烈な個性は疎んじられるし、全くの没個性もいけない。波が立ちそうになったところで、その波の安全性を見極めながら、その波に乗ってゆく心がけがいる。


どこかで聞いたような手垢にまみれた常識の中でしか生きられない、つまり条件反射の世界でしか生きてはいけないのである。彼はパブロフの犬になった自分を感じた。


「暑気払いでもどうですか、今日あたり」


上司が言った。


とたんに付和雷同が起った。


え、行きますか。行きましょう、行きましょう、それじゃ今、片づけからますから。


彼もまた当然それに従わざるを得なかった。彼はそれを拒絶することもできない新入社員の条件反射の動物に過ぎないからであり、本当に情けないのはこの会社ではなく彼自身だったのかもしれない。


事務所の外は終日強い陽射しに照らされて萎れてゆく向日葵に似た風情で、ぶざまにうなだれていた。しかし、これから夜半に向けて涼しくなるというわけではなかった。


この盆地都市は、夜は夜で上空に傘のようにして雲がかかるという現象が頻発する。


昼間じゅう街の建物や地面や木々に吸収された熱が放出されて空へ拡散することなく、街全体に再びこもってしまうのだ。


そして風も吹かない。


夜中はピタッと風が止んでしまう。空気も乾くことなく、不快指数は昼と同様の値を維持する。


街を歩けば、暗がりの温室の中で肥満した醜い熟女と抱擁し合っているように錯覚してしまうのだ。


暑気払いは、ビヤホールで始まった。


ミュンヘンの建物風な店の造りで、だだっ広い店内には、いやになるほど人がいて、赤ら顔に枝豆をほおばり、巨大なジョッキを傾けて、間断なく喋り、大声を出し、げらげら笑って、口の端からビールの泡と唾液の混合物を飛ばし、色々の音が、ワンワン鳴り合いながら充満していた。


暑気払いに参加した人数は5人。この喧騒に参加して、巨大な、バケツのようなジョッキを手に手に、焼き鳥に噛りつき、ポテトチップを噛み砕いて、タバコの煙をもうもうと吐き出していた。


彼の会社の面々は礼儀正しいので、人並みに騒ぐ必要があれば、そこはそのようにTPOに合わせて騒ぐのだ。


場に合った振る舞いをきちんとやれることが大切なんです。と彼の先輩は言っていた。


彼はこんな場合、飲めないといってうつむいたり、程々につき合い酒をして襟を正しているといった手合いではない。むしろ率先して騒ぎの先駆けをつとめる。


一番歳若い自分の努めだと、条件反射で悟っている。


条件反射で騒がざるを得ないのだ。寡黙にただアルコールを胃に流し込んでいようものなら、一体どうして自分がこんな暑苦しい晩餐に加わって時間をつぶさなければならないのかという考えが頭をもたげ、底知れない暗黒へと落下してゆくだけだ。


時間と胸の内の暗黒を埋めようとして、喋くり騒がざるを得ない。そして彼のそうした騒ぎようは人にうけた。


気のきいたジョークや機敏な間のとりかた、心遣いで、場を盛り上げることに長けていた。

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