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ポンド  作者: 新庄知慧
48/88

48 振り向けばそれは 

それは・・・若い女性だった。


それは、その場でこちらが悶絶してしまいそうな、あまりにも美しい女性だった。


きらびやかな和服姿の、平安の世の姫のような、恐ろしく美しい、絶世の美女・・・


映画黄金時代の銀幕に登場した、美の権化のようなお姫さま。


あまりに美しく、儚い夢をみているような、堂々とステロタイプの賛辞を献上しても何処からも批判がでない、まさにそういう、輝く古風な幻想であった。


この美女を見て、彼は、ある意味、美貌はまったく、怪物よりもよほど恐ろしい、と震えたのだが。


彼女は、心底脅えていた。真摯に訴えかける表情で、彼に言った。


・・・ぼやぼやしていると、あいつらが仲間をつれてくる。早く逃げたほうがいい。

あれらは物の怪の類です。はやく逃げましょう。さあ、早く、池のほうへ・・・


彼女はそんなことを言ったようなのだが、彼はあまりの美しさに茫然とし、彼女の言葉を言葉として聞けもせず、彼は言葉も出せずにいた。


すると、ばわーんという大きな音が、建物の奥の方から聞えた。


ざわざわ、いやな音、大勢何かがやってくるような不気味な音がした。


我に返り、たまらず、条件反射で、彼はまた走り出した。あとも見ずに。めくら滅法に。


走り出したとき、視界の端に絶世の美女も走り出したのが見えた。彼女も、彼とともに逃げようというのか。


逃げる。逃げる。


後ろから、誰かが走ってくる。あの美女のはずだが。ひょっとしてあの美女、ほんとうは邪悪な何か、だったりして。ありがちな話だ。


いや、この気配・・・追ってくるのは美女だけじゃない。何かもっと大勢が追ってくるようだ・・・


やがて池の入口のまでたどりついた。


小さな桟橋に、小舟が係留されていた。追い立てられ、追い立てられ、彼はまったく、思考能力を失っていた。


考える間もなく、彼は目の前の小舟に飛び乗った。


オールらしきものがあったので、闇雲に水面を漕いだ、漕いで、漕いで、小舟は動いた。小舟は暗闇の池の中へと、すすみ出た。


無数の足音が、背後の林の中から聞える。青白い光がぼうっと森の中に見える。かちゃかちゃ、いう音もする。何だろう。


舟は水面をすべっていく。


けっして、振り返らずに。振り返ってはだめだ。振り返ったら、あの絶世の美女は、実はやっぱり鬼だった、狸だった、狐だった、とかいうことになるのではないか、やっぱり、ありがちな話ではないか!…小女くん、僕は振りかえるのが恐い。


必死で池の中に小舟をすすめ、陸上の追っ手から遠のいたような感じがした。次第に舟のスピードは緩まった。


タクシーの運転手の言っていた天然記念物の水生植物らしき水面の群落の中を、小舟はすすんでいった。


黄色や白の美しい花々が咲いている。うっとりして、しかし背後に油断せず、小女にも勇気を求めつつ進む。しかし、小女は通常の例により、無表情で無言であった。


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