36 よくいう不遇という奴さ
「不遇なのだよな」
驚くべき暑い街の中へ、冷気の穴蔵からまたも出てしまった刹那、多少力んだようにして、妖怪は、そう言った。そうして続けて、
「よくいう不遇という奴なのだよな」
温度差の激しさにぐらつきそうになりながら、そう言った。
「僕が、ですか?」
「そう見えるんですよね」
こちらに目を向けずに、妖怪はそう言った。そしてまた妖怪は言う、
「しかし不遇とは一体何なのだ」
彼はきいた。「失礼ですがあなたも不遇なんではないでしょうか?」
「そんなことはわからない」
「すみません」
「すみませんことはない。ああ暑い。このまま、またへたりこんでしまいそうだ」
「大丈夫ですか」
「人はいつも私に大丈夫かいと尋ねるんだ。大丈夫でありたいのは山々なんだが。いかんせん暑い」
あの巨大な霊柩車が去ってしまった後の街の中は、それでもまだ祭りが続いていて、相変わらずの人波が揺れていた。焼け爛れた空気の中で陽炎とともに黒い人影がざわざわゆらめいていた。
「気分転換が必要だ」
毅然として妖怪が言葉を切り出した。言葉を吐いてきりりと口を結んだ。
「も少し私と付合っていただけないか」
「え。まあ」
「いやですか」
「いやなこともありませんが」
「暑い。ぐずぐず言うな」
彼は気押された。妖怪がにらんでいる。凶気が感じられる。これはやっぱり、気違いの中年男ではないのか。妖怪は言った。
「逃げるんじゃないよ」
「逃げたりしませんよ。しませんが、付合うって、何を付合うんです」
「まずいっしょに歩いて考えようじゃないか」
仕方なく彼はこの中年の妖怪とともに黒い人ごみの中を歩いた。
すぐに体じゅう汗みずくになった。ごつごつと人にぶつかりぶつかり、何故か急くように妖怪は進んで行った。
そんなに激しく動いたのでは、また卒倒してしまうのではないかと気になるほど早足だった。




