30 祭り
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年に一度の祭りが近づいていた。
夏が本格的な盛りへと向かう頃、この街では年のうちで最大の祭りが行われる。古い街だけあって年中何がしのいわれのある祭りが至る所で行われるが、この夏祭りは最も有名なものだという。
千二百年も前から続いているのだ。千二百年前、当時街には疫病が大流行して、人々は次々と冥土へ旅立って行った。そこで疫病の撲滅という祈念をこめて、この祭りが始まった。
数メートルの高さの木製の、車輪つきの櫓を組み、古式ゆかしい飾り布を巻き付けて化粧し、櫓の上にはお囃子を演奏する人間がひしめき合って乗り込み、祭りの当日にはコンチキいう音響を発しながら目抜き通りをパレードする。
彼は初めてこの祭りを見る。わざわざ休暇をとって見物する。小女といっしょに。
祭りというからにはもっと賑やかなものを想像していた。
しかし目の前の行進は、パレードとかフェスティバルとかいった言葉とはおよそかけ離れたものである。
さすがは疫病払いが起源の祭りだ。静々、のろのろ、陽炎に揺らめくようにして行進している。
ジリジリ焦げつきそうな重苦しい空気をかき分けかき分け、絢爛豪華な車輪つき櫓が巡行してゆく。櫓の通る両サイドは黒山の人だかりだ。身動きもとれず、ただ汗を流して見つめている。
強い日射しのもとにじっとしていると、風景が熱くてまっ白けの廃虚のようになり、人のざわめきは遠のいてつんぼになり、人だかりは本当に真っ黒に焼けた影になり、目玉だけが白抜きされた影絵のように見えてくる。
お囃子の音は音楽ではなく、沈黙というものを際立たせ、ひきたてて強調するばかりだ。
時間が止まったかのようである。熱い。
要するにこれは、千二百年前の、街をあげての巨大な葬式なのだ。
この街で死んだ人間の、のべ人数は、相当のものなのだろう。さすがは古い街だ。
コンチキコンというお囃子には、二十八もの種類があるそうだが、死の夏の中で入り乱れて、こちらは幻聴になった気分であり、どの葬儀櫓からのお囃子も同じに聞こえたり、数え切れないほど無数のものに聞こえたりした。
彼は自分の故郷である港街の開港記念祭のパレードと比べて、なおのこと葬式の印象を強くした。
小女に子供の頃見に行ったそのパレードのことを話し、あの頃のことが懐かしいと感慨に耽ったりした。港町のパレードが自分の過去なら、目の前をゆく死の巡行は自分の現状を表している。
巨大な葬式。これは巨大な葬式だ。
壮絶な、空前絶後の、千年以上の永きにわたり、夏のさなかに開催され続けてきた死の祭り。葬式が祭りとなり文化になり受け継がれてきたのだ。
あの巨大な霊柩車。
しかしこんな祭りをした日には、街は普通、夏の盛りに、灰色の炎につつまれて焼失してしまうだろう。
きらびやかに装飾された、あの霊柩車たちは一体どこへ、のろのろ動いて行くのだろう。
後ろについていったら、どこか別の世界が眼前に開かれるのか。
それとも世界がめくれ返り、その場に頓死してしまうのでしょうか。




