29 あたしの世界は
しかしなぜか彼は、自分ですすんで鋼鉄の攻撃の中へ身を投じて行く気分になった。
「これからは一枚一枚、君の着ているものを脱がしていこうかと思うんだ」
「……・」
「しかし僕は童貞だから、うまく脱がせられないだろうなあ」
食後のコーヒーを飲んで、熱帯夜の水槽に目をやり、煙草に火をつけた。この世界にどうして自分なんかが呼吸しているんだろう。
「僕は君をいろんな所へ連れていってあげたんだから、今度はいつか君が、僕をどっかへ連れって欲しい」
むしろ自分が、この娘のような人形になってしまえば、対話も成立するようになるんだろうな。でもそんなことは不可能だよ。
だって僕は人間だもの。
でも、それじゃあ、どこかで僕は確実にこと切れてしまう。明日から、いや、今この瞬間からでも、僕は絶命してしまう。
現実の中で。現実―こいつは何だかよく分からないけれど、まあ、鼻と口と耳と目をしっかり塞ぎ込んでしまうものには違いないんだ。
現実―?日常とか陳腐とか、既成概念とかがこいつ類義語か。そう思いながらグルグル頭を廻していたことがあったっけ。
あれは学生の頃だ。
壁というのも似た言葉だった。たいていの人は壁にぶつかって壁に吸収されちゃうんだ、ぬり壁みたいなもんだ。壁の同体的構成物になるんだ。そうでなくちゃ壁にぶち当たって死んじゃうのだ。
今一度、彼は小女の顔を見据えた。
瞳がやはり奥深い漆黒で、黒い穴が開いていて、四次元の幻視空間まで突き抜けてしまい、向こうの空間からこちらを覗きこまれているかのようだった。
―あたしは…―
「あたしは?」
声を聞かせてほしい。切望すればかなうこともあるのだろうか。
小女はこう言ったのだ。
あたしはまだこの世界に生まれてきてさえいない。この世の手前で行き止り。
小女にすまないことをしたと思った。
彼はこの30センチメートルの小娘を強姦してしまったようなものだ。無理やり、いたいけな小さな可愛い口をこじ開けさせた。
あたしの世界はどこにある?あたしは、あたしの生まれるべき世界をさえ、まだ見てはいない。
今度はより明確に耳に響いてきた。もっと確かなメッセージを掴み取りたいと思って娘の瞳をせがむように見つめ直した。
しかし、すでに幻になって何処かの空間へ飛び去ってしまった。彼は彼女に水を手向けた。こっくり頷いて、小女の両肩に手をおいた。
遠くでボーイが気味悪そうにこちらを見ていた。




