13 ソクラテスの彼女
高校生の頃に、テープデッキの回転数を色々に変えて、同一人物の声を高くしたり低くしたりして遊んだことがある。
丁度それと同じ感じで、聞こえてくる声は高くなったり低くなったり不安定に波うっている。
その闇の女は、幻の名画の主人公のように頭にスカーフをしていた。
顔かたちは良く見えないのだが、唇がつやつやと光っているのだけは分かった。
形のよい盃を二つ合わせたような唇で、幻の名画のキスシーンにもってこいという感じの代物だった。
周囲の光線の加減で、この唇とスカーフだけしか彼には見えない。
「対応ってどんな?」
「多様な対応ですよ、お兄さん」
声は若々しく猛々しいものに変わった。しかも標準語。
ギリシャ青年のそれであると言うべきか。
ソクラテスとともに青空を眺めながらギリシャの園で寝ころび、哲学問答していた逞しいギリシャ青年。ソクラテスの恋人。
「すみませんね。あなたの声聞いてると、何かわけがわかんなくなっちゃって」
「何がよ!」
つっと斜め横に進み出て、女を観察した。
女は女だった。
唇だけではなく胸の形も良かった。ピンとはっていた。
薄いブラウスをしているが、これはノーブラなのではないだろうか。
宮廷のカーテンみたいに金色と赤い色に染められた、ヒラヒラするスカートをはいていた。
スカーフに隠れて、やはり顔はよく見えないが、美人かもしれない。
「はあ」
どうしていいのかわからず、彼は溜息をついた。
「二万円なんだよ」
女は捨てるように言ってのけた。恫喝の雰囲気を帯びている。
心理的優位に立って商談の成立をもくろんでいるのだ。
彼は心理的劣位に立つのは慣れていたし、頭はまだ酩酊していたし、たじろぎもしなかった。
「僕ははっきり言って、ほとんど久しぶりなんですよ、こんなのって。ほとんど初めてなんですよ」
「大丈夫、不安はないのですよ」
「あんたが相手して下さるのですか?」
「あら、あたしがお望みなの。それは困るなあ」
彼女の目を覗き込みたかった。
顔を傾けて、彼は必死で彼女の目を求めた。
スカーフの影から彼女の目が見えた。
彼の脳裏に火花が散った。
心臓が1秒くらい止まった。
彼女は、右が金色、
左が銀色の目をしていた。
それは杏のような形で、美術の教科書に出てきそうな模範的な美人の目だった。
その目はぎらりと光って、恐いくらい鋭い視線を彼に突き刺した。
「あんた、アンドロイド?珍しいコンタクトレンズね」
彼はぽっかり口をあけて女を見つめている。彼女はいった。
「あたしとやりたいの?」




