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ポンド  作者: 新庄知慧
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1 サウナルームの茶道教室

熱い日射しに焦がされて、道路が今にも溶け出しそうだ。狂った雷が鳴り、重たい雨が降り、そして夜が明けると、夏がまたやってきた。


ここは盆地の古い街。むかし、日本の首都だった。誰がこの街首都にした?こんなに暑いこの街を。息もまともにできないじゃん!


街を歩いていると、足を一歩踏み出し、腕をひとふりするごとに、体中に汗が吹き出す。空気は蒸し暑い重量になって全てを圧迫し、身動きもとれない。そこで息をしているというだけで、生命がやせ細る。


ところが、街はいっこうにぐったりした様子を見せようとはしないのだ。別に暑さを撥ね返して活性しているというわけではない。断じてそうではない。それほどの活力が、この街にあるはずがない。


ただひたすら耐えているのだ。


いわばサウナルームの中の茶道教室だ。熱気と湿気のスチームに充たされた部屋の中で、きちんとした和服姿が正座して、舌も焼ける熱い茶をズリズリ喉に流しこんでいく。それにひたすら耐えている。そうした奇怪な忍耐が、街の其処や此処に充満している。


彼は勤め人だった。


このくそ暑い、熱と蒸気にとりまかれた夏の街に林立する建物群、その中の事務所で働いている。灰色の低賃金労働者。路傍の灰色の石。いつでもとりかえのきく歯車。けっ。


街を流れていく没個性な人々の群れに混じって、何故か生きている。本当は、彼だって隣のひとと同じように屈託して絶望しきっている。


ただそんなこと言っても、無意味の上に無意味を重ねるだけだから、そして、考えることもできないほど、消耗し切った毎日なので、訳も分からないままに押し流されていき、それでおしまいになっている。


彼は今日も出勤だ。街のはずれから、電車に乗って事務所にやってくる。道路が溶けて足に粘りつき、熱気にあてられて窒息するこんな夏であろうとなかろうと、生活は続き、お勤めは続く。


事務所の近くの駅に着いた。後から後から、勤め人が降りてくる。彼も降りてくる。冷房のきいた電車から外へ出たとたん、熱気が彼を抱きしめ、いやな音響を耳にしたような気がした。思わずよろけた。


このまま事務所に顔を出しても、始業時間前にこときれてしまいそうな気がした。実は睡眠不足だった。昨夜も暑さのせいで寝苦しく、ほとんど眠っていない。そこで始業前の小一時間を、涼しい喫茶店で休もうと考えた。


彼の事務所のあるビルのちょうど裏手、ひっそりした通りに面した建物の地階。階段を下って店の扉を押すと、「おはようございます」という少女の声がした。テープ録音の可愛い少女の声が、扉に触れると同時に鳴るしかけになっているらしい。その声は、彼が子供の頃にテレビの洋画劇場でみたロリコン映画の主人公の声に似ていた。


店内は薄暗く、そして北極みたいに寒かった。急激な温度変化に、またも音響がうなるのを聴いた。ボワーンという音で、音響がカタカナの文字になって目に見えた。


光沢のある黒い革張りの椅子に腰をおろし、アイスコーヒーを注文すると、ポケットにガサゴソ手を入れて煙草を取り出した。安物の薄荷煙草に火を点けて紫煙を吸い込み、ゆっくり吐き出すとやっと人心地がついた。


店の冷房は強烈で、北極のような寒さを感じるというのは本当だ。3分としないうちに体が震えてきた。頭が冴えわたった。すると、昨日の夜のことが、まるで突然鮮明に生き返った遠い過去の記憶のようにして回想されてきたのだ。


それはまじめな回想だった。


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