ユンケルショック
「悪いニュースは―――信が潰されることで、多くの優秀なエンジニアが首を切られる。信の仮想通貨の立ち上げに絡んでいた政治家、銀行、企業も瀕死になる。中国は無視できない経済規模だ。GDP世界第2位。中国経済が揺らぐことによって余波が世界中を襲う。世界経済が荒れる」
へー。オレ、小遣いが減らないんだったらどーでもいーし。
「いいニュースと悪いニュースは表裏一体ってわけね。誰にとってのいいニュースで誰にとっての悪いニュースなんだか。ねぇ、センセ。アイキスタン国にとってのいいニュースと悪いニュースは?」
ももしおがいつもと違う。怖いくらい真剣な目でヤツをじっと見据えている。
ヤツはちょっと意外そうな顔でももしおを見つめ返す。
「いいニュースは、中国が、アイキスタンの国土の一部を買うのを諦めたこと」
ヤツの言葉に耳を疑った。
「はぁ? 国土を買う?!」
そんなことできんの? 思いっきりでかい声出たし。
「中国はアイキスタンの国土の4分の1を買おうとしていた。不思議でも何でもない。戦争の多くは領土を巡って殺し合う。血を流さないで領土が得られるなんて素晴らしいともいえる。アイキスタン国側としても、大国を相手に武力での負けは見えている。莫大な犠牲と戦費を考えたら、血を流すよりはいい。アラスカだって金で買われた。
だが、今回の元の暴落によって中国の資産が目減り。要するに、アイキスタン国の土地を買う金がなくなった」
アラスカが。知らんかった。
だからアイキスタン国は自国の領土を守るために中国を狙ったのか。そして中国政府肝入りの仮想通貨に狙いを定めた。中国を直接攻撃すると戦争になってしまう。それを避けるため日本で。
「悪いニュースは?」
ももしおが先を促す。
「アイキスタン国は中国から国債を買い戻すことができなかった。つまり借金はそのまま。中国ほどの国力があればすぐに復活する。それまでにアイキスタン国が飛躍的な成長を遂げなければ、また同じことが起こる。ホワイトナイト的にアメリカもアイキスタン国に近づきつつある。より複雑な状況になるかもしれない」
んー。なんか分かったような分かんないよーな。
とにかく、中国は元が安くなったから貧乏になってアイキスタン国の土地を買えなくなって、めでたしめでたしってことだよな。
「現状維持?」
聞いてみた。土地をレンタルってのはそのままなのかも。
「まあね。中国の実質的な軍事基地はこれまで通り。大国同士がやり合うとき、ターゲットにされる可能性は残ったままかな。戦争は局地的に行われる強者のゲームだから」
小さなアイキスタン国はなされるがまま、か。
それでもその小さな国のたった一人が立ちはだかったことは大きい。犯罪だけど。
「たーいへん!」
ももしおがすくっと立ち上がった。
「どした? ももしお」
「世界経済が荒れてるんだもん。授業なんて出てる場合じゃないよ。そろそろ8時。板見なきゃ」
パタン
ももしおはパソコンルームを出て行った。株だろーな。
ももしおのプライオリティは「ヤツ<株」なのか。最近はヤツに言われて授業に出てたのに。
閉まるドアを見ながらヤツは呟いた。
「米蔵君より、僕のイメージするメイメイ像に近い」
ぎくっ
オレは肩を揺らす。
ヤツにとって元上官が大切なように、オレにとって、ねぎまは守るべきもの。
オレは話を逸らした。
「昨日、話を聞いてしまったのはすみません。友達の一大事だったんで」
かなりプライベートな会話だったから謝罪。半分痴話喧嘩だもんな。
「まあ聞かれてしまったことはどうしようもない」
「オレはセンセが子供を撃てなかったことにほっとします。人間らしいって」
ヤツの顔が曇った。
「撃てるわけない。動きが素早くて銃の扱いが上手かった。あの子供は僕だった。僕があの子供の環境に生まれたら同じ道を歩んでいた」
子供に自分を重ねたのか。類稀な運動神経。人を殺す才能。
戦場でなければ、子供はスポーツで活躍できただろうに。
「そんなん分かんねーじゃん」
オレの言葉なんて気休めにもならない。
「軍事裁判のとき、あの人は僕を最後まで擁護した。僕の失敗のせいであの人の輝かしい経歴に傷がついた。出世の道を閉ざされた。更には捨て駒にされた」
天然ガス田の爆発事故。一人で背負うには重すぎる十字架。死者27名、負傷者20名以上。
遠い異国の戦場。
カモメ歩道橋をすかーんと渡ってパン屋併設のカフェに行く。
4人で集合。ももしお×ねぎま、ミナト、オレ。
元は連日下がり続けた。毎日のように「陽炎元」の言葉をニュースで聞く。慣れたし。
中国経済も世界経済も、一般高校生のオレの懐には関係ない。
父はげっそりやつれたが、オレの方は幸せ太り。ねぎまとらぶらぶな日々。
あの後、ねぎまとミナトもヤツにスマホをチェックされた。
その時ねぎまは、ツイッター、メイメイのアカウントを削除された。
そして訪れた平和。
ももしおは上機嫌。
「ねーねーねー聞いて聞いて。中国系列の半導体企業でめっちゃ含み益。半導体業界って波があってねー、だいたい底入れしてたんだよねー。でねー、そこへ元の暴落でしょ? サーキットブレーカーが発動するのは中国のマーケットだけ。輸出入を止めることなんてできないわけ。どれだけ関税かけられても屁でもないくらい元安で中国の半導体が安いから売れちゃって売れちゃって。とーぜんだよねー。めっちゃ安くなったのに品質自体はそのままなんだもん。もうねー、その中国系列の日本の半導体株は鰻登り滝登り」
よー分からん。なんか儲けているらしい。
ももしおがテンション上げて話すことって、金と男だよなー。あと食いもん。
「シオリン、サーキットブレーカーって何?」
どーでもいいことをねぎまが尋ねる。
「株の取引きを禁止するの。お休みにしちゃえば上がらないし下がらないから」
へー。結構な荒業じゃん? でもま、インフルエンザの学級閉鎖的なものか。
「そんなのあるんだね」
ねぎまが感心している。
「ちょっと前に債券市場が過熱して資金が流れちゃってたんだけどね、今度は株式市場。だってー、債券市場の方が大きいわけ。債券が値上がりして大量の債券を売りさばいた金融機関は大儲けしちゃってお金が余ってたの。そこに債券と仮想通貨を結びつけるってモデルの信がダメんなっちゃったでしょ? だから行き場をなくしてた資金がどどーっと株式市場に雪崩れ込んでるの。もー、上がりまくっちゃって」
あれ?
「世界経済が揺れたんじゃねーの?」
ヤツはそう言ってたし、新聞でも連日「陽炎元」で持ち切り。
「揺れたよ。ぐらぐらどどーんと。ナイアガラ&マリアナ海溝。『ユエン・ケル・ショック』。『Yuan』は元。その暴落が仮想通貨失敗を『kel』覆い隠した、経済『ショック』。底値圏で仕込んだんだもーん」
ユンケルショック?!
「シオリン、勝負師!」
ぱちぱちぱちぱち
ねぎまが手を叩いて褒め称える。
ももしおは両手でVサイン。
「ももしおちゃんが言うようにユエン・ケル・ショックの元安で安い中国の部品が入って来て、日本の下請けが追い込まれてる。日本だけじゃなく、東南アジア全部。世界中不景気の嵐」
と時事問題も気に留めるミナト先生。
何が起こっても、強い所が生き残るのか。弱者は葬られる。武力戦争も経済戦争もどこかに墓が築かれる。
「そーいえばももしお、ユンケルはまだ差し入れしてんの?」
オレがももしおに尋ねると、ねぎまに足を踏まれた。痛っ。
ももしおはしょんぼりと首を横に振る。
「ううん。センセがはっきりフッてくれたの。『僕には魂が震えるような人がいる』って。『君にもいつかそんな人が現れるよ』って」
ぼろぼろぼろぼろぼろ
ももしおは涙を零し始めた。やっべぇ、やっちまった。
「シオリン、泣いていいよ。気の済むまで」
ねぎまがももしおにティッシュを差し出しながらオレを睨む。さーせん。地雷踏みました。
ぶーんぶーん
ももしおは大きな音で鼻をかんでから毒を吐いた。
「魂が震えるとか訳分かんないこと言ってんじゃねーよ。綺麗な言葉で飾ってんじゃねーよ。正直にやれないって言えよ。あーん。マイマーイ」
ぽふっ
ももしおはねぎまの胸に顔を埋める。羨ましい。
「シオリン、あんな筋肉男忘れな」
ねぎまがももしおの頭をよしよしと撫でる。
「『センセにとってのいいニュースと悪いニュースはなんですか?』って。あんな質問しなきゃよかったよー」
「シオリン、もう忘れようよ」
女子トークの内容が見えない。どーしてそこから失恋に流れるんだろ。
「『いいニュースは愛する人がファッキン任務を解かれたこと』って。もう分かっちゃったよー。でもでも涙をこらえて頑張ったんだよ。『悪いニュースはなんですか?』って聞けたんだもん。そしたらね『その人が帰国する』って。センセ、泣きそうな顔したの。泣きたいのはこっちだよー。あーん。マイマーイ。私の気持ち知ってるくせにぃ。目の前であんな顔すんなー」
「そんなこと思い出さなくてもいいの。シオリン。イケメンだったらごろごろいるんだから」
ねぎまが無責任発言。世界を見渡しても遺伝子的にヤツの国はトップレベル。あのクオリティで探せるわけねーじゃん。
「イケおじ、部下に手ぇ出してんじゃねーよ」
「そーだそーだ」
ももしおの暴言にねぎまが同調する。ああ女子トーク。
ミナトはいつの間にかイヤホンを耳にして音楽聴いてっし。
「戦場でいちゃついてんじゃねーよ」
「そーだそーだ」
「乙女の前でファッキン言うなー」
「そーだそーだ」
ん? 乙女?
「男同士の信頼関係に見せかけてんじゃねーよ」
「んー。それはシオリンが気づかなかっただけ」
「どっちがウケなんだろ」
「シオリン、お口にチャック」
おわり




