いいニュースと悪いニュース、どっちを先に聞きたい?
さあ! 続き。
船に戻ろう。
すっげーいいとこまで行ったじゃん。
オレはねぎまの手を引いて桟橋を渡る。いざ、二人の愛の空間へ。
「宗哲クン、私もチャーシューたっぷりのラーメン食べたくなっちゃった」
は?
あと一歩で船って場所で、ねぎまがにっこり微笑んだ。泣きぼくろが垂れ目に埋まる。
「今?」
「うん」
なんで? これからって時に。
くーっ。
しゃーない。
がっくりと肩を落とし、オレは一人で船の中へ荷物を取りに入った。
「ほい」
船からねぎまのラケットバッグを手渡す。
チャーシューたっぷりのラーメンを食べた後は、至近距離すら躊躇うほどの豚骨臭に見舞われた。もーこの後、キスなしだな。
なんだかんだで、ねぎまとは元通り。
ズボンの裾はまだ湿って磯の臭いを放つが、そんなことはどうでもいい。
ねぎまと二人、人まみれの横浜駅周辺をぶらぶらした。
手を繋いで。
夜、家に帰ると報告された。
「あの方、ジョセフィーヌにご飯あげてた人に会えたって」
ババア(母)は老紳士と連絡先を交換したらしい。
「へー」
出稼ぎおじさん達は逃げなかったのか。
オレらとは違って、ちゃんとした人だったんだな。
親切心が仇となったなんて。事故の巨額の損害賠償なんてさせられたら辛すぎる。
「すごいことになってたみたい。強風で資材が崩れてショベルカーが海に落ちたんですって。ジョセちゃんに親切にしてた方も巻き添えになっちゃったって」
「へー」
ぜんっぜんちげーじゃん。そこまで強風じゃなかったし。
でも、その方がいいかも。山下公園から誰も動画撮影していないことを祈ろう。大丈夫。みんな船の転覆見てたし。撮影するには距離あるし。
「ジョセちゃんを心配して様子を見に来たのに事故の巻き添えになって申し訳なかったっておっしゃってた。ジョセちゃんに良くしてくださったのは中国の方々らしくて、警察に事情聴取されてたら飛行機に乗れなくなっちゃったんだって。だから、ジョセちゃんの飼い主さんが上海への飛行機と今日のホテルを手配したって」
「へー。上海?」
アイキスタン国じゃないのか。そーゆーのって、一旦本国に帰らないといけないんだっけ? それとも出稼ぎやめるのかな。
「ジョゼちゃん、本当にいい方達に巡り合えてよかったわー。お家にも帰れて」
ババア(母)は32キロの諭吉を膝に載せて「ジョゼちゃんよかったねー、よかったねー」と話しかけている。
諭吉は失恋したってのに。
「ショベルカー引き上げたりとかってすっげー金かかりそ」
かなり立派なショベルカーだったよな。堰き止めてた壁が壊れるほどの重量級。
オレが漏らすと、ババア(母)は笑った。
「だいじょーぶだいじょーぶ。あーゆーのって保険入ってるだろーし。だいたいカジノリゾート開発って大手ばっかりだもん。コレいーっぱい持ってるから痛くもかゆくもなくよ」
ババア(母)はコレのところで親指と人差し指で円を作る。
ゼネコンか。すごそ。
「あれ? お父さんは?」
祝日というのに父の姿がない。
「仕事」
「へー。珍しい」
休みの夜はいつもソファでごろごろしてるのに。
「なんか大変みたい。昨夜、帰って来てないの」
父はシンクタンク勤務。
「大変?」
「先週くらいから忙しそう。今日は日本がお休みでも海外は開いてるから」
開いているとは市場のこと。日本は祝日でも外国は平日。市場が閉じても為替は動く。世界経済は休まない。
「中国経済?」
ちょっとオレは聞いてみた。
「知らない。仕事のことは教えてくれないもん」
ババア(母)は平和そうにあくびした。
いつもは気にしないニュースをチェックしたが、船の転覆やカジノリゾートについては何もなかった。
翌朝、オレは新聞の一面に踊る文字で目が覚めた。
『元暴落! 陽炎元』
内容は、元が暴落したことについて。過去6か月の元の価格がグラフで表示されていた。昨日月曜日、元は暴落。ただでさえ2か月くらい前に比べると15%近く下落していたのに、昨日はそこから更に20%近くの下落。グラフはガクンと落ちている。
『信の仮想通貨が流出した可能性がある』と金曜日にアメリカの経済ニュースが発信したのがきっかけだと書かれていた。
例えば日本円で考えてみる。1ドル=110円が2か月前。金曜日までに1ドル=126.5円に、そして月曜日に1ドル=151.8円。
2ドルで3本しか買えなかったガリガリ君が4本買えるようになる。
(注:ガリガリ君の値段は税込み70円計算です)
オレは世界経済を気にしながら登校した。こんな日もある。
校門前でバスを降り、テニス部の後輩と喋りながら門をくぐった。朝練前。
「おはよう。米蔵君、ちょっと」
ヤツは校舎から出てきてオレを呼び留める。
「おはょっっざーっす。じゃ、オレ先行きまっす」
後輩は行ってしまった。
門から次々に入ってくる朝練参加組は挨拶しながらオレの横を通り過ぎていく。
「おはょっっざーっす」
オレも一応挨拶を返す。嫌だけど。
「レポートについて聞きたいんだ。友達も待ってるよ」
その言葉にオレの瞳孔が開いた。ねぎまを人質にしたのか?
オレは素直にヤツに従った。
無事でいてくれ。マイ。
人の心を弄ぶかのように、ヤツはゆっくり歩いた。
「米蔵君はシアトルにいたことがあるんだって?」
ヤツはねぎまから聞き取ったらしい情報でオレを攻撃する。やっぱり、ねぎまが。
「はい」
「英語は普通に遣えるんだってね」
「まあ」
カチャ
パソコンルームのドアが開けられる。
次の瞬間、オレは膝から崩れ落ちた。
「うぃぃぃっす。宗哲君」
パソコンルームのイスに座って、くるくる回って遊ぶももしお。
「おまぇっ」
「iPhone4Sを仕掛けてたらね、見つかっちゃったの。てへっ」
「てへっじゃねーし。逃げろよ」
なんで嬉しそうなんだよ。
「囚われの身ってステキじゃなーい? 君は籠の鳥だよって病んだ心で執拗に求められるのもいっかなーって」
くるくるくるくる
ももしおはイスと共に回る。
「この口の軽いお嬢さんが教えてくれたよ」
「センセ、私が軽いのはお尻です♡」
ヤツはももしおの言葉をガン無視して話を続けた。手にはももしおのiPhone4S。
「昨日、これで僕達の会話を聞いてたんだって? その前にも盗聴。ロックもしていないiPhoneに前回の盗聴データが残ってたよ。消した。今すぐ、スマホを出せ」
ヤツはオレのズボンのポケットからスマホを勝手に取り出した。サインインさせられた後は、ヤツがデータを確認した。オレはスマホの中身はすぐ消す派。LINEのトークは残っていない。複製もなし。
これをねぎまやミナトにもするのか。せめて目の届く場所でやってほしい。
「さっきー、センセにいろいろ聞かれたの。何を知ってるのかって。でね、昨日、iPhone4Sで宗哲君達が穴ん中の話、聞いてたんですよって。だってぇ、センセが『君の秘密を知りたいな』って。きゃっ♡ だからね、私は英語苦手だけどぉ、他の3人はバリバリってことも」
またしても、ももしお。お前かよ。
「昨日聞いたことは録音してねーし」
オレは言い捨てた。
能天気ももしおは両手を前で組んで乙女ポーズ。
「昨日、チャーシューたっぷり麺多め卵2個焦がしネギラーメン食べに行くとき、ミナト君が教えてくれたの。センセってやっぱ、すっごい人なんですね。二桁増しなんて。百倍好きになっちゃいました」
優しいミナトはヤツが元上官とできてるってとこを省いたんだろーな。むしろそこだけ教えてやれ。
「昨日は派手なことしてくれたね。まあ、知らせてくれて助かった。そのことに関しては礼を言うよ」
ヤツはイスに深く腰掛け、長い脚を組む。とても礼を言っている態度とは思えない。
「水浸しにしたのはオレじゃねーし」
「あの辺りの建物は8割方やられた。運悪く満潮だったしね。これで精密機器を地下に置こうなんてバカな考えは止めたかもしれない」
精密機器とは恐らく電子金庫のことだろう。止めたのは信。そしてそのバックの中国か。
「……」
「メイメイ、『信の支社がカジノリゾートに来て外貨を稼ぐって本当ですか?』『信は外貨を稼ぎまくるでしょう』『仮想通貨の企業はパソコンだけあればスペースはいらないのではありませんか?』『仮想通貨会社は膨大なデータを格納する電子金庫が必要です。セキュリティーのためにネットを切断するのです』『金庫には容積分のお宝、電子金庫には無限のお宝』」
ヤツは造語「陽炎元」の生みの親のツイートとそのフォロワー、メイメイのツイートを暗唱していた。
「……」
「推測どおり、あのカジノホテルの地下には信の電子金庫が入る予定だった。アイキスタン軍はそこに爆弾を仕掛けようとしていた。分かって満足? メイメイ」
オレは祈るような気持ちだった。ももしおがメイメイの本当の正体をチクりませんようにって。
「……」
「君達に教えてあげよう。いいニュースと悪いニュース、どっちを先に聞きたい?」
「いいニュース!」
能天気ももしおが人差指をピンと立ててリクエスト。ついでに幻のうさぎの耳も立ち上がっている。
「もう爆弾を仕掛けることはなくなった。中国は信の仮想通貨廃止を決定した。更には、元暴落で打撃を受けたマーケットにサーキットブレーカーを発動。要するに、しばらくマーケットだけは中国抜きで世界経済が動くことになる。被害は最小限」
????
何語?
首を傾げるオレの横で、ももしおにはスイッチが入った。くるくる回っていない。
「またサーキットブレーカー。悪いニュースは?」
ももしおには、さっきの言葉が分かってるっぽい。またってことは、前にもあったらしい。




