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70円のガリガリ君が7000円

ヤツは元上官に英語で話す。徐々に聞こえてくる音量が大きくなる。近づいてきているらしい。


『勘弁して下さい。軍事裁判よりも何よりも、あなたに言われることが辛い』


『責めているわけじゃない。そういう君を好きになったんだから。きな臭く血生臭い戦場で、君が汚れないままでいてくれることが救いだった』


元上官の言葉に、ミナトが驚いている。


「は? なにこれ。できてんの?」


英語での会話が続く。


『ウソばっかり。ファッキンロック座の前で足を止めてたくせに。女の方が好きなんだろ? 僕のイリオソウァスマッスルが好きって言ったくせに。アースホール。奥さんと別れられないんだろ? 娘が娘がって言ってるけど、ホントのところはどーだか』

『別居状態だって言ってるじゃないか。仕方ないだろ。自分がゲイだって気づく前に結婚したんだから』


あれ? なんか、すっげー低次元な痴話げんかじゃね? これ。イリオソウァスマッスルって何だろ。


「英語でよかった。こんなの日本語で聞かされたら、シオリンが可哀想」


ねぎまは不幸中の幸いと思ったよう。


『センセ、私のために言い争わないで下さいっ』


ももしおが見当はずれのことを言ってるし。まるで悲劇のヒロイン。アホ。


『まあいい。で、このお嬢さんはメイメイなのか?』


と元上官。


『メイメイはこのお嬢さんの友達だと思います。(ボーイ)


(ボーイ)ってオレのことじゃん。オレは自分で自分を指差した。


『その男も君を好きなのか?』


ぜってーオレはちげーから。

なのに、ヤツはくすっと笑って上官に告げた。


『気になりますか?』


痴話喧嘩にオレを持ち出すのやめて。


『君がISIだったことがバレたのはまあいい。辞めたんだから。けれどメイメイが何をどこまでつきとめているのかは知る必要がある』


それを聞いて、ミナトとオレはねぎまを見た。


「分かってるんだ? メイメイが私って」


ねぎまがゲロった。


「ヤツ、メイメイはオレだと思ってる」


オレはねぎまに伝えた。

通話状態のスマホからは英語が聞こえてくる。再び上下関係に戻った会話。ファッキンとか入らなくって美しい発音。


『メイメイは高校生です。何もできない。何かを言ったところで世間に何の影響も与えません』


『いったいメイメイはどこまで知ってる?』


『僕が後でメイメイを締め上げておきますよ。さして頭がいいタイプじゃなさそうですし、知ってることをちょっとツイートしていい気になってるだけだと思いますよ』


え、オレ、締め上げられるの?


「ちょっとぉ、失礼しちゃう。私のことバカって言ってる」


ねぎまがご立腹。

ちげーから。それ、たぶんオレのこと。


『この口の悪いお嬢さんはどうしようか』


元上官がももしおをどうすべきか考えている。


『このまま逃がしていいと思います。警察には行かないでしょう。僕が頼めば』


おいおいおい。ももしお、舐められてるぞ。いい加減、英語のリスニングなんとかしろって。


「人を呼ばなくても、なんか、待ってればももしおは解放されるっぽくね?」


話の流れからすると。


「っぽい」


ミナトもそう思うらしい。


「シオリン、きっと大丈夫。ガンバレ」


ねぎまは拳を作る。

せめてももしおが英語を理解していれば、自分が逃がしてもらえそうだって分かるのに。


『ところで、君はどうしてここへ来た』


元上官はヤツに尋ねた。


『帰りにあなたの所へ行ったんです。そしたら不在でした。念のため、ここへ来てみたんです』


『そうか。メモといい。……私は見張られてるってことか』


『心配なんです。爆弾なんて仕掛けなくてもいいんです』


『何言ってる。コインが盗まれたことが隠蔽されているなら何も変わらない』


『時間の問題ですっ』


『私は任務を遂行するだけだ。如何なる状況においても、アイキスタン軍の司令で動く。爪を噛むのをやめなさい』


なんか、所々でいちゃついてるんっすけど。


『もうすぐです。QR決済で仮想通貨を遣うシステムに仕掛けました。様々な店に二桁多い金額が入金されているはずです。支払う方の個人側は損をしない。受け取る店は得をする。国内全土の仮想通貨支払いを認めている店が騒いでいるはずです。今度は隠せない。国内には外国人がたくさんいる。全世界に発信されるはずです』

(注:技術的なことも含め、この小説はフィクションです)


「え、二桁多い?」


ねぎまがヤツの所業に驚く。

例えば70円のガリガリ君を買ったら7000円になるってこと。1万円のザ・ノース・フェイスのリュックが100万円。円じゃなくて元だけどさ。

ヤツは毎日パソコンに向かって、そんなことまでしてたのか。やつれるはず。


『オーマイゴーッド。なんてことを。今すぐ逃げろ』


元上官は掠れた声で叫んだ。


『逃げたら不自然ですよ。海外のネットを経由しました。仮に横浜まで辿り着いても、逮捕されるのはカフェにいた中国人です。大丈夫です。世界中で仮想通貨が盗まれています。金融機関だってハッカー被害に遭っている。世界中で何千億ドルも。犯人は見つかっていないんですよ』


ヤツは言い聞かせるように話した。


『ねーセンセ。英語分かりません』


ももしおが訴えている。捕まってるのに、よくそんなこと言う勇気あるよな。

ヤツはももしおに日本語で話しかけた。


『君は英語が苦手だったね。いや、興味がないと言うべきか。ちょっとは勉強した方がいいよ』


と教育的指導。


『センセ、助けに来てくれてありがとうございます』


まだだろ。ももしお、もう礼言ってるし。

英語が分からなくても逃がしてもらえそうなことを本能で嗅ぎ取っているのかも。


『百田さん、それ外してあげるから、警察には知らせないでほしい。警察に調べられると困るのは君だから。ストーカー行為、不法侵入、青少年保護育成条例違反、僕の服をドリアンでダメにした』


不法侵入は自分達もだろーがと思っても、音声オフで突っ込めない。


『警察に言いません』


『いい子だ』


その後、カチッカチッと音がした。きっと解放されている音。


『お嬢さん、もう危険な遊びはやめなさい。ピストルで脅して悪かったね』


元上官はももしおに詫びた。

そこで普通だったら一目散に逃げる。が、そこはももしお。


『スマホ、返して』


『お嬢さん、即警察に届けないって保証がないから今はダメだ。彼に預けておくよ』


元上官の声。


『うっせークソジジイ。返せ。JKがスマホ取られるなんてパンツ脱がされるよりヤバいんだから』


「シオリン、お口にチャック」


ももしおの罵声を届かない言葉で遮るねぎま。


「ももしおちゃん、センセがいるから大人しくしてると思ったのに」


ミナトが残念そうに大きな手で顔半分を覆った。


『はいはい。どーぞ。いいですよね。彼女は何もしませんよ。後ろ暗いこといっぱいしてるでしょうから』


どうやらヤツが助け船を出したらしい。


『グッドラック。お嬢さん』


元上官の別れの挨拶の後は足音。続いて何かスイッチを入れたような音。それから。


うぃぃぃぃぃぃぃん


「あ、これ、資材用のエレベーターの音だ」


とねぎま。自分も使ったんだろーな。


「ってことは、ももしおちゃん、無事生還」


ミナトがガッツポーズ。

迎えに行きたいところだが、ももしおに来てもらおう。オレ、ヤツに会ったら締め上げられっから。


「シオリンに送っとくね。『海の方にいるよ』送信」


ねぎまが嬉しそうにメッセージを送信した。


通話への集中が途切れたときにオレの耳は船のエンジン音を捕えた。海の方を振り返ると近くに2艘のプレジャーボートがいる。


1艘がこっちへ向かってくる。ゆっくりと。

え、ちょっと待った。

あの船、近くね?


スト―ップ。まだプライベートマリーナはできてませーん。

ってか、オレらのこと見つけないでほしいんだけど。

でも、祖父の船はちゃんと見つけて避けてほしい。


エンジントラブルかなんか? それともこっち見てねーの? 

小さなメガフロートに気づいていない可能性がある。お洒落スポット横浜を見ているのかもしれない。船内の操舵席に人影がない。前を見ずにデッキの方で舵とってるのかも。

え、ちょっと。


「やべえ、あの船、こっち来る」


船の向かう方向は、このままだと小さなメガフロートにぶち当たる。


「「えっ」」


「着岸するんだったら、角度変えるもん。突っ込んできてる」


マジやっべえ。


うっそ。


合図を送ろうにも、オレの場所は海からは一区画分離れている。だいたい船にこっちを見ている人がいなさそう。


「別の船が近づいてってるじゃん」


ミナトが手でひさしを作って海を眺める。


近づいているのはさっき見たもう1艘の船。

そのまま進むとぶつかるって教えにいったのだと思う。


「あ、誰か船の運転席に来たよ」


ねぎまがちょっとほっとした声を出したのも束の間。


慌てて舵を切ったのか、プレジャーボートはスピードを上げてメガフロートを避ける形で船体の下横を乗り上げてから大きく揺れた。不運にも、今日は波が荒い。バランスを崩したまま大きく曲がってゆっくりと横に倒れていく。


「うっそ」

「きゃっ」

「マジで」


プレジャーボートは見事に転覆したのだった。祖父の船はセーフ。


もう1艘の船が転覆した船に乗っていた人を助けている様子が見える。

船の周りには人と一緒に落ちた色んな荷物がぷかぷか浮いている。



「あ、シオリン」


ねぎまはきょろきょろしていたももしおに手を振った。


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