私が軽いのはお尻です
なんでこんな場所にいるのかとか、女の子だけで来るなとか、言いたいことはある。だけど、久しぶりの目の前のねぎま。それだけでいい。
ねぎまはミナトとオレの目の前にスマホを差し出した。
通話状態。
「シオリンがいつも使ってるスマホは取り上げられたの。でも、iPhone4Sを持ってて」
オレが送ったメッセージが既読にならなかったのは、ももしおと通話状態だったからか。
「ももしおちゃんが捕まったって誰に」
ミナトが聞くと「イケおじ」と返って来た。元上官。
通話中表示のスマホからは、中年のおっさんの声が聞こえてくる。
『痛くはない? 女の子を拘束なんてしたくないけれど。念のため』
ももしおは拘束されているらしい。
『まさか、君がメイメイ?』
元上官はメイメイの存在を知っている。
メイメイのツイートを見つけたのはももしお。ド素人の一般市民が見つけられたツイートを、ISIが見逃すはずはない。
I.S.I、アイキスタン・スペシャル・インフォメーション。情報を扱うプロ。
「これ、こっちの声は?」
オレは小声で尋ねた。通話状態なら、こちら側の音が相手に聞こえてしまう。
「大丈夫。マイク、オフにしてある」
「ねぎまちゃん、何してた?」
何も言えないオレの代わりにミナトが聞いてくれた。
「センセとイケおじがどっかで会うなら、ここには来ないから」
ねぎまの言ったことは答えになっていない。
スマホからは元上官の声。
『分析ではメイメイは男。10代後半から20代後半。昼間は就学中か就労中。女の子のフリをした仮想通貨ヲタクだったんだがね。色白で室内型の運動不足』
プロのはずなのに分析が間違ってる。「GOD COINS」のツイートが自分のポストに入っていた紙の「I GOT COINS」の見間違いだって気づいていねーの? そうとしか考えられねーし。
恐らく分析したのはアイキスタン軍。そして、元上官は元部下からの「I GOT COINS」のメモのことを軍に報告していない。報告なんてできねーじゃん。なんかをやらかして自分を日本の単独任務に就かせた元凶からのメモのことなんて。
オレ達は足場が不安定な小さなメガフロートから埠頭に上がった。少しでもももしおが捕えられている場所に近づきたい。
用心深く進んで行く。真昼間。休日で閑散としている巨大な工事現場は不気味。
以前上陸したときは夜だった。荒涼とした瓦礫や資材しかなかった場所だったが、月明かりだけで、暗闇が身を隠してくれた。
明るい太陽の下。今度はかなり出来てきた建設中の建物、足場や柵、移動トイレがオレ達を守ってくれる。
ねぎま、ミナト、オレはカジノホテルの海側に来た。プライベートマリーナが建設中の辺り。海水のない幅広く深い堀側。金持ちウエルカムのための玄関となる鉄骨が地下部分の途中まで剥き出しになっている。
ほーきーほーきーと鳴くカモメの声と吹きすさぶ風の音がオレ達の気配を消す。
歩きながらねぎまは自分達がしようとしていたことを教えてくれた。
「ドローンの映像だけじゃ分からなくて。あれから工事は進んでるだろうし、ひょっとしてカメラを仕掛けられるかもって」
まさか。カメラを仕掛けるならコンセントが要る。電源工事なんて建物ができてからだろう。
「電源なんてあるわけねーじゃん」
オレの言葉にねぎまが反論した。
「あったの。電線だけだけど。資材用のエレベーターっぽいのがあって、それって電動だったから」
「電線だけじゃ……」
言いかけて止めた。口に出せないことをしようとしてたって分かったから。
「ねぎまちゃん、電気を盗むなんて犯罪だよ? そんな工事、難しいんじゃない?」
ミナトがオレの言おうとしてたことを代弁した。
「それをネットで調べてたら時間かかっちゃって。ニッパーとか道具を買いに行こうと思って上に出たとき、シオリンが『炉端焼きの匂いがする』って戻っちゃったの。急いで追いかけたんだけど、シオリン、速くて」
がんがんに電気盗もうとしてたんじゃん。電気工事ってネットで調べられるのか。へー。
でもって、ももしお、動物並みの鼻。この広大な敷地の中で衣服に着いたBBQの匂いを嗅ぎ取るなんて。
それが命取りか。
「ももしお、スマホ取り上げられる状況で電話かけるなんて、すげーな」
早業。ってか見張られてたらできねーじゃん?
「近づいて来る途中に電話かけたみたい。シオリン、iPhone4Sの方はロックの設定してないからすぐできたんだと思う。『お嬢さん、それを出して』って遠くの方で声が聞こえたの」
なるほど、そのときに、iPhone4SじゃなくてiPhone8の方を元上官に渡したのか。
ももしおは今のところ無事。
相手はISIだが、「インスタ映えスポットを探してました。てへっ」って女子高生がすれば逃げられるかもしれない。
いやいやいやいや。既に捕まってる。
『これを解けぇ、くそジジイ』
ひえぇぇっ。ももしおファンが聞いたら失神しそうな言葉が聞こえてきた。ドス利いてるし。
『何してた』
元上官は穏やかな口調。
『おじさんこそ何してんの? 働き方改革でねぇ、日本じゃお休みの日に働いちゃダメなんだからね。仕事って言ったって通用しないからっ。ばーか、でーぶ、はーげ、うんこ』
やめとけ、ももしお。それ以上喋るな。超絶美少女が台無し。
「シオリンを助けたいけどどうすれば」
ねぎまが泣きそうな顔をする。
「大丈夫。まだ何もされてない」
オレはねぎまを安心させたくていい加減な発言をした。捕まってるってのに。
「オレらだけじゃ出て行ってもやられる」
ミナトの言う通り。元上官はめっちゃ強いISI。
『あんたなんかねぇ、きっと、センセが来てやっつけちゃうんだから!』
ももしおが大声でいらんことを言う。
『”センセ”って。そうか、その制服。君は彼の生徒か。まったく。どこに行ってもモテるな、彼は』
元上官はふっと笑った。
ピシュッ
ピシュッ
『ぎゃっっ』
何かの音と喉が潰れたみたいなももしおの声。
「シオリン!」
ねぎまが肩をすくめる。
『威勢がいいお嬢さん、もう少しボリュームを下げてくれないかな。こっちも手荒なことをしたくない。これはね、玩具だ。トカレフを分解して3Dプリンタのデータで持ち込んだ。材質は大したもんじゃない。だから銃の弾丸は使えない。でも至近距離なら、お嬢さんの手足を砕くくらいはできる。次は本当に撃つからね』
ってことは、さっきのはトカレフもどきを発砲した音ってこと?!
どうすればももしおを救い出せる。
「人がこっちにたくさん来る方法ってなんかないか? そしたら、あのおっさん、ももしお置いたまま逃げると思う」
大していい方法とも思えないが提案してみた。
「そしたら、イケおじが捕まっちゃう」
ねぎまが異国の軍人を心配する。
「ねぎまちゃん、こんな時に何言ってんだよ。ももしおちゃんがトカレフで脅されてるのに」
ミナトが言う通り、ことは緊急を要する。
「人が来る方法、方法、あ"ー。思い浮かばねー」
オレは両手で頭を掻いた。
スマホからはももしおの声が聞こえる。
『センセは、センセは、すっごく強いんだから。軍にいたんだから』
トカレフもどきで脅されたってのに、ももしおはまだ頑張る。さっきより小さな声で反撃を試みる。
『はは。確かに強い。類稀な才能だ。ずば抜けた反射神経、格闘でも射撃でも彼の右に出る者はいなかった。ただね、彼には重大な欠点があった。致命的だ』
『欠点?』
とももしおの声。
『人を撃てない』
平和な社会とはまるで違う戦場。相手に如何に打撃を与えるかが求められる。悲しいことだか、より多くのものを破壊し、より多くの人を傷つける者が英雄。
人を撃てなかったら致命的だろう。
『それのどこがいけないわけ?』
ももしおは素直に自分の疑問を口にした。
『数か月前、アイキスタンの北の国境付近の天然ガス田で事故があった。犯人は国境を越えて忍び込んだ子供だった。その子供は身軽で反射神経がよく、人を殺す才能があった。瞬く間にアイキスタン兵を次々に何人も撃っていった。彼はね、殺せと言われたのに、子供から銃を取り上げ地面に威嚇射撃をしただけ。撃たなかった。撃てなかったんだよ』
『……』
中国からの出稼ぎおじさんが話していた。10歳の少年が起こした天然ガス田の爆発事故のことを。あの事故現場にヤツがいたのか。
『結果、子供は逃げるときに兵士から爆弾を取り上げてその場にいる何人もを巻き込んで自爆した。27名の兵士が亡くなった。負傷者は20名以上』
死者だけじゃなく負傷者まで。
『そんなの子供を殺せって命令する方がおかしいよ! センセのどこがいけないの? そのガキが勝手にやったことじゃん。センセのせいじゃないじゃん。他の兵士だってISIなんでしょ? なんとかすればいーじゃんっ』
あー。言っちまった。危険なワード。ISI。これでもう「インスタ映えスポットを探してました。てへっ」が通用しなくなった。
突然、少し小さく声が入った。
『口の軽いお嬢さんだね』
ヤツの声。
オレ達がいるのはカジノホテルの海側。ヤツは反対の道路の方から来たんだろう。
『きゃーセンセ。私が軽いのはお尻です♡』
やめろぉぉぉ! ももしお、ビッチ発言。




