シオリンが捕まった
マリーナには人が多かった。秋はクルージングシーズン。冬になると寒くなるから、その前に乗っておこうって思うのかもしれない。
船にクーラーボックスを乗っけて、ぷかぷか揺れるデッキで寝転んだ。係留したまま。
ちょっと寒いから毛布を巻き付けて。同じようにミナトも。2匹のミノムシになって転がる。
今日は晴れていても風がある。波も高め。
「ヤツはさー。何しようとしてるわけ?」
「んー」
とミナトは整った顔を歪めて考えている。大きな手がアゴを覆う。寝転んでいても定番の仕草。
「オレさー、考えてたんだよな。アイキスタン国のおっさんがやろうとしてるのは、中国の裏を衝くことって。たぶん爆弾を仕掛けるのは地下3階。で、地下3階に何が入るのかは憶測でしかねーけど、信って中国企業の隠し部屋」
「宗哲の言う通りだと思う。神のコインが間違ってたとしても、コインを盗んだってセンセが言ったってことは、アイキスタン国が狙ってるのは信って会社だと思う」
「でさ、もし、成功したらどうなるかってーと、安定しているはずの信のコインは暴落する」
「宗哲、『Crash』。『Crash』って、暴落って意味ある。そーだって。アイキスタン国の軍とセンセがやってることは目的は同じ。信のコインを暴落させることだって」
「Crashか。信の仮想通貨は債券を買った分だけ発行して安定させてるんだろ? コインが盗まれたことを隠蔽したってことは、そのルールを破ったってことじゃん」
信の仮想通貨のモデルの根幹を揺るがすことになる。
マネーロンダリングに利用する顧客から資金を得るどころか、政府のバックなんて鳴り物入りの代物。中国経済が揺らぐんじゃねーの?
「でさ宗哲、ももしおちゃんがドローン飛ばした日、あの軍人、アイキスタン国の未来のためって言ってなかった?」
ミナトが重要なことを思い出した。
「仮想通貨が暴落することとアイキスタン国の未来がどーして関係あるわけ?」
?????
そしてオレは、中国からの出稼ぎおじさんと話したことを思い出した。中国がアイキスタン国の一等地に軍事基地を造っていることを。給油所という名目であっても、ほぼほぼ中国の軍事基地だって。
確か、出稼ぎおじさんは中国はいい国だとアピールしていた。アイキスタン国を経済的に支援していると。アイキスタン国は中国に借金があるから文句が言えない。
ミナトは警鐘を鳴らした。
「陽炎元って、日本に住んでる中国人の誰かが言ってるだけだけどさ、本当にそうなるんじゃね? 米中貿易摩擦と信の仮想通貨のWパンチで、元はただでさえ15%弱下がって来ててさ。ここに信の仮想通貨がクラッシュしたら、世界各国が外貨準備として持ってる元を大量放出するだろ」
「ミナト、元が下がったら、アイキスタン国は借金を返せるのか?」
国と国との間のやりとりはドルベースだと思う。いろんな経済支援について発表されるときのニュースはドルだったような。もしドルなら、元が安くなってもアイキスタン国は中国に借金を返せない。
「そんなこと、考えたこともない」
当然。
高校生には関係ない。
世界のどこかで何かがあっても経済がどうなっても、オレらは小遣いが減らなければいい。そんなもん。
中国の出稼ぎおじさんと話した時、オレ「支援って無償じゃねーの」って思ったんだよな。中国とアイキスタン国の間は、そもそも支援じゃない。
「あれ? 国が借金するときって、国債発行するんだよな? じゃ、全然メジャーじゃねーけど、アイキスタン国って、国債を発行して中国に買ってもらってってことじゃん? ってことは、あ"ーっ。ももしお呼びたい。分からん」
訳分からん。こーゆーことが大好物のヤツがいるってのに。今までほど気軽に相談できないって。はー。
「血まみれバーツってあったじゃん? 宗哲」
「アジア通貨危機のときにタイがバーツを買っても買っても下がった話?」
「そ。だからさ、安くなった元をアイキスタン国が一緒に買い支えるとか。そりゃさ、中国に比べりゃ小さくて貧乏な国だろうけどさ、激安になってる元を買うんだったら少しはできるかも。で交換条件を出す」
さすが、ミナト先生。
「おおー。そーゆー駆け引きもあるのか」
オレは磯臭い毛布にくるまって空を眺めた。この空が続く遥か向こうのアイキスタン国に思いを馳せる。普段は自分のことしか考えていなくても、そんな時もある。ミナトもアイキスタン国のことを考えていたらしい。
「なー。ももしおちゃん、言ってたよな。センセのアパートも古かったけど、イケおじのアパートはもっと古かったって。軍の予算、少ないんだろーな。軍事政権だから1番予算取れるとこだろうに。すっげー特殊任務なのにさ」
「映画の世界とぜんぜんちげー」
映画のスパイはグラマラスな美人とパーティに出たりする。アクションシーンはあっても基本リッチ。
「長期滞在だったら就労ビザで入国してるはずじゃん? どんな仕事してるんだろ」
「案外、カジノリゾートでホテル造ってたりして」
寝転んで見る秋空はどこまでも高くて、カモメがほーきーほーきーと鳴きながら横切って行った。
カモメは白い。そこそこ目つきが悪い。
大きさはカラスと同じ。
白くて海にいるってだけで爽やかなイメージだけど、目はカラスの方が円くて可愛いと思う。オレ的に。
小さなころ、何度もカモメにオヤツを取られた。
ウインナー、フライドポテト、さきイカ。何でも食う。ぜんぜん爽やかじゃない。
「ミナト、今日、ありがとな。慰める会」
騒ぐ口実にされただけでも、一応誰もがオレを心配してくれていた。と思う。たぶん。
「ももしおちゃんとねぎまちゃんは見つからなかったけどさ、ちょっとは元気出た?」
「出た。なんか、すっげー不思議。陽炎元じゃなくて陽炎恋だよなー。んー。中国語ってレンって読むんだっけ」
「さー」
「終わるときって、すっげーあっけないのな」
「こじらせるなって言ったのに」
恋愛上級者のミナト師匠はこんな気持ちを味わって来たんだろうか。
「はー。逃がした魚は超特大」
「宗哲、体重戻せ。じゃないと、カッコ悪い」
「そんなガリガリじゃねーけど」
「ちげーし。女で痩せたって周りから分かるのが」
「だな。あっちはぜんぜん体型変わってねーもんな」
「もう見るなって」
「うぃぃ」
返事はしたけど、それはちょっとムリかも。
そんな風に会話していたときに、オレのスマホが振動した。
ぶぶー
「男テニ?」
ミナトは寝返りをうちながら聞いてくる。オレは寝転んだままポケットからスマホを出した。
「えっ」
サインイン前の背景画面に表示された文字は
『LINE 今
マイマイ:シオリンが捕まった ***ホテル地下』
跳び起きた。
オレのただならぬ様子に、ミナトも体を起こす。
「マジで?!」
ミナトがオレのスマホを見て驚く。
オレは怖さに手が震えた。それでも心のどこかでオレを頼ってくれたことが嬉しい。
がくがくする指でLINEを立ち上げ、メッセージを入力する。
『警察に通報する』
送信。
ぶぶー
マイマイ『だったら知らせてない』
確かに。
『今そっち行く』
送信。
既読にならない。何があった。
オレが電話しようとする手を、ミナトが止めた。
「気づかれるから電源切ったのかも」
くっそー。船で行けば速いが音が響く。それでもマリーナから道路に出て埠頭の一番奥まで走るよりまし。
「どうする、宗哲」
「船で行く。ちょっと離れたとこに停める。すぐ出港届け出してくる」
オレは言いながら船を飛び降りた。こんなとき、律儀にそんなもん出したくない。が、規則。
もしも帰ってこなかったら探してもらえる。
自分の考えたことにぞっとした。
「帰ってこなかったら」。
アイキスタン軍。しかもISI。
民間人に危害を加えないことを祈るしかない。
船に戻ると、ミナトがもうロープを解いていた。しっかりとライフジャケットまで着ている。
「さんきゅ」
「乗れ、宗哲」
GO!
エンジン始動。
今日は波が荒め。湾の奥だってのに。
マリーナとカジノリゾート区域は目と鼻の先。ムーミンのニョロニョロみたいなのが海から突き出ている間を通ってカジノリゾート区域に近づく。
目的のカジノホテルは、海から見上げるくらい、もう地上部分が途中の階まで鉄骨が組み上がっている。他の建設中の建物も一緒に、塊になって要塞みたいに海の上に佇んでいる。
スピードを落とし、エンジン音を小さくした。昼間で他のレジャーボートも行き来している。地下3階部分の穴の底にいるのなら気づかないだろう。
陸の様子を見ながら、目的のカジノホテルからやや離れた場所に船を係留した。
そこは、中国からの出稼ぎおじさん達と炉端焼きをした場所に近い。埠頭の先端。荒い波が船を大きく揺らす。
前に来たときと同じ場所、メガフロートの脇に係留した。
ねぎまがメガフロートに走ってきた。無事でいてくれた!
駆け寄るねぎまが不安定によろける。
思わず手を貸しそうになって、躊躇った。もう、カレシじゃない。
オレの差し出しかけた両手は宙を掴んだ。
ねぎまはよろけたものの、すぐにバランスを取り直した。




