ラケットバッグの中の愛
二人でベタな寸劇を楽しんでいたのに水を差され、ももしおがムッとする。
「ちょっと、宗哲君。空気読んでよね」
「月曜の朝一はまずい」
オレが言うと、ねぎまも気づいた。
「ホントだ。シオリン。それだけはダメ」
「どーして?」
まだムッとしたままのももしおが聞いてきた。
「シオリン、センセは行きは定期を使った。帰りの駅ではないことに気づいてる。きっと学校じゃ門から一直線であの窓に向かってる。だって、靴履いてたんだもん。定期を月曜の朝なんかに渡したら、シオリンが休みの日に学校へ行ったってことがバレちゃう。最悪、見ちゃったことが」
とねぎまが説明。
「ホントだ」
ももしおが理解した。
「バレないようにするには、ちょっと経ってから。そしたらセンセ、定期なくてかわいそうかも」
ねぎまの言葉に、ももしおの口がタコみたいになった。考えているらしい。
「学校の事務の人に届ける」
そう宣言して、ももしおはがっくりと肩を落とした。幻のうさぎの耳がだらりんとヘタレて見える。
「月曜日のお昼くらいにね」
ねぎまが念を押した。
ももしおが電車を下りてから、やっとオレはねぎまと二人になった。
今日は本来ならば二人でらぶらぶな時間を過ごすはずだった。
でも、さあこれからって、らぶらぶモードは難しい。
どうしても、あれを引きずる。
「あのさ、言ってたじゃん」
「何? 宗哲クン」
「『どうして横浜に来たんだろうね』って」
「あ、センセのこと?」
「さっき、駅で」
「うん。センセは、設計図と工事計画書を見たから日本に来たって言ってたよね」
「じゃ、そのまんま。設計図と工事計画書を見たからじゃね?」
「ね、宗哲クン、辞めるんだよ。辞めるのに、残ってる人のこと心配する?」
「するだろ。そりゃ」
「円満退職だったらそうかも。でも、なんかあったみたいじゃん」
「それはそうだけど。首んなったっつってたもんな。でもさ、自分のせいで上の人がなんかキツイ仕事んなってるっぽい感じでさ」
「Last Night」
「え?」
ねぎまがいきなり英語を遣った。
「最後の夜って言ってたの」
これだ。
オレが忘れていたのは、きっとこの言葉に込められたニュアンス。
「Last Night?」
英語で聞き返す。
「うん。上下関係なのに一緒の夜。何度もあった夜の最後」
「……」
それって。
「シオリンは英語を聞き取ろうともしなかったから気づいてないけど。シオリンの恋は実らないなーって」
ヤツは元上官の恋人だったってことか。
「あの時にもう気づいてた? マイ」
ねぎまの顔を覗きこむと、目を伏せた。
「センセの恋愛対象が男ってことだったら、カフェで会ったときに気づいてたよ」
「は? そんな前?」
「宗哲君のことからかってたじゃん。それに」
「それに?」
「男の人って初めて会ったとき、私、胸にほんの一瞬視線感じるの。うぬぼれとかじゃなくって。むしろちょっと嫌。でも、きっと無意識に目が行っちゃうんだと思う」
「……」
さーせん。たぶんオレ、初めて会ったときだけじゃなく、常に盗み見てマス。
ねぎまの胸はDとかE、あるいはそれ以上。
「センセは全くナシ。会ったときは上品な人なのかと思った。でも、センセがミナト君の横顔や手や宗哲君のアゴの辺り見てる視線が、ソレで」
アゴ? オレの? ミナトの横顔と手は分かるけど。
つーことは、ヤツは神聖なる教育の場に相応しくない人間だってこと。
はーい、質問。
ねぎまは男の人って言ったじゃん? それって、学校の先生とかオレの友達とかも?
聞けねー。たぶん、オールそう。
だって人間だものー。
二人でのデートが焼肉になったから、一日の終わりだけでも有終の美を飾ろうと思った。
今夜こそ、オレからキス!
の予定だったのに。ねぎまを心配した母親が車で駅まで迎えに来ていた。
めっちゃ色っぽい美人。タレ目。
未来の婿として丁寧にご挨拶をし、遅くまで連れまわしたことをお詫びした。
「いつも娘がお世話になっております。米蔵君、家に遊びに来てくださいね」
わざわざ車を下りて頭を下げられた。丁寧過ぎ。高校生のガキに。
ねぎまそっくり。
月曜日、ももしおは3限目にやって来た。ラケットバッグを背負って歩いてくる。
ももしおのラケットバッグのショルダーが肩に食い込んでいる。
ラケットバッグは不自然に形を変えて、なんだか重そう。
何入ってるんだろ。
ももしおは細いが意外と力持ち。
それなのにあんなに前かがみになるなんて。
「ももしお、どした? こんな時間」
どさっ
ガチャガチャ
オレが呼び止めると、ももしおはリュックを下ろした。
「お買い物」
「何を?」
「センセを元気にしようと思って」
「肉とか? ww」
まさかな。どう見たって、ラケットバッグの重さは10キロクラス。
しかも、置いたときに何かが中でぶつかり合うような音がした。
「愛」
あっそ。
「かせ。運ぶから」
オレは地面に置かれたラケットバッグを持ち上げようと、し、重っ。こいつ、どんだけ力持ちなんだよ。
やっとの思いで肩に担ぎ、バドミントン部の部室前まで運んだ。
「ありがと。宗哲君」
部室前に到着すると、ももしおはラケットバッグから様々なものを出す。
バドミントンのラケット、スポーツタオル、教科書、ノート、電子辞書。
それらを全部、部室前の下駄箱に突っ込むと、再びラケットバッグを担ぐ。
「え、教科書とかどーすんの?」
「重いからここに置いておく」
は?
「授業は?」
「教科書なしでもいいし」
いやいやいやいや。
「そっちの重そうなもん出しとけよ。ヤツに渡すんだったら、その時に取りにくりゃいーじゃん」
「いーの。教科書は取られないけど、こっちは持ってかれちゃうかもしれないから」
いったい何なんだ。
「じゃさ、部室ん中に入れとけば?」
取られないとしても、教科書を下駄箱はナイって。
「鍵持ってないもん」
「部長なのに?」
どこの部も、鍵は顧問と部長が1つずつ持っている。更に職員室に1つ。
「ちゃんと時間通りに部室を開けないから、マイマイに鍵の係が変わったの」
お前は部長の仕事の何をしてんだ? ま、それはいい。
「見せてみ」
オレはももしおに背負われたラケットバッグのファスナーをちょっと開けて中を覗いた。
「もーしょーがないなー。じゃ、見せてあげる」
「なになになに」
その愛とやらって。
ももしおは再びラケットバッグを地面に下ろし、中から何やら取り出して地面に並べ始めた。
「ユンケル黄帝ロイヤルプレミアムでしょ、ユンケル黄帝液プレミアムでしょ、ユンケル黄帝液でしょ、ユンケル黄帝Lでしょ、ユンケル黄帝ゴールドでしょ、ユンケルDでしょ、ユンケル黄帝ロイヤルでしょ、ユンケルファンティーでしょ、ユンケル黄帝液DCFでしょ、ユンケル黄帝液40でしょ、ユンケル黄帝L40DCFでしょ、ユンケルスーパー黄帝液Ⅱαでしょ、ユンケル黄帝ロイヤル2でしょ、ユンケルスターでしょ、ユンケルロイヤル黄帝でしょ、ユンケルファンティでしょ、ユンケル1.6.12液でしょ、スパークユンケルでしょ、スパークユンケルDXでしょ、スパークユンケルDFでしょ、ファンテユンケル3Bドリンクでしょ、ファンテユンケルでしょ、ファンテユンケルゴールドでしょ、ファンテユンケルロイヤルでしょ、ユンケルローヤル・CにユンケルローヤルD」
お前はSato製薬のまわしもんか。
「それを買うために遅刻したって?」
オレ、ももしおの時間と金の使い方、間違ってると思う。
「ねーねーねーねー、ユンケルファンティとユンケルファンティーは違うんだよ。知ってた?」
「知るか」
「センセ、元気なかったんだもん。だからね、シベット、ゴオウ、ニンジン、セイヨウサンザシ、ジオウ、ローヤルゼリー、コウジン、イカリソウ、ハンピ、カシュウ、ガラナ、サンヤク、クコシ、サンザシ、ゴミシ、サンシュユ、トチュウ、トシシ、ブクリョウ、トウキ、バクモンドウ、オンジ、カンゾウ、オウギ、エレウテロコック、タイソウ、チンピ、モクテンリョウ、ビャクジュツ、ショウキョウ、ニクジュヨウ、オウセイ、カイバ、トウチュウカソウ、リュウガンニク、ジャショウシ、トウジン、ジコッピを配合し、それらのエキスとタウリン、ビタミンE酢酸エステル、ビタミンB6、ニコチン酸アミド、ビタミンB2リン酸エステル、天然型ビタミンE、無水カフェイン、Y-オリザノース、コンドロイチン硫酸エステルナトリウム、ビタミンB12、ビタミンB1硝酸塩、ビタミンC、パンテノール、塩酸ピリドキシン、塩化カルニチンが成分として入ってるドリンクを飲んだらいいかもって。きっとこれで元気になるよ」
「……」
1番間違ってるのは、頭の使い方だな。
「まだあるよ。タフマン、タフマンV、タフマンスーパー、タフマン炭酸、アリナミンV、アリナミンVゼロ、アリナミンV&V NEW、アリナミンV&Vロイヤル、アリナミン7、アリナミンゼロ7、アリナミンRオフ、アリナミンR、アリナミンメディカルバランス、赤まむしドリンク、鹿の角ゴールド、マカマックス、すっぽんドリンク」
ずらっと並べられた中のすっぽんドリンクに目をやれば「絶倫無双」と四字熟語。超絶美少女なのになんて残念な……。
どーやって渡すんだろ。ほっとこ。




