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定期 拾っちゃった

真っ暗な中、男子部室棟を出た。

部室の中が焼肉臭。いいし。バレたって。3年が夏に引退して、今は2年のオレらが最上級生。

が、バレていいのは生徒だけ。教師にバレたら終わる。

代々駅伝の襷のように受け継がれた伝統を、自分の不注意で終了させるわけにはいかない。


ってことで、一応、こそこそ。


ぴたっ


前を歩くねぎまの足が止まった。くるっと振り向いて口の前で人差指を立てる。


何?


遥か前方、視聴覚室の窓から人影が地面に降り立った。ヤツ。シルエットだけで分かる。頭の小さからして日本人じゃない。


ヤツは、早足で歩いていつも開いている小さな脇の門から出て行った。


ももしおがヤツに声をかけそうになったのを、ミナトが羽交い絞め。

ミナトの大きな手で苦しそうなももしおは、ヤツが行ってしばらくしてから解放された。


「はーっ。もう、苦しっ」

「ごめんね、ももしおちゃん。センセ、強いからさ。見つかったら簡単に全員のされちゃうじゃん」


文句をタレるももしおに、ミナトが謝る。


ねぎまは視聴覚室の窓にダッシュした。


スー


ヤツが出てきた窓は施錠されていなかった。ねぎまが開けると中は真っ暗。

休みの日まで仕事かよ。違うか。仕事だったら窓から出てくるはずがない。


スー


ねぎまは一旦全開にした窓を閉めた。


「あ」


窓の下に何か落ちている。定期入れっぽい。ももしおがそれを拾い上げた。


「これって、センセの落とし物? 暗くてよく見えない」


「そこに捨てとけよ。戻って来るかも知んねーじゃん」


オレは言ったのに、ももしおは大事そうにそれをポケットに入れた。


「センセのだったら、話すきっかけになるもん」


オレ達は男子部室棟近くの垣根の間から道路へ出た。

ヤツが出た門とは方向が違う。鉢合わせる心配はない。


「何してたんだろ」


ねぎまは首を傾げた。


「こんな時間に怪しいよな」


自分達のことは棚に上げてミナトが大きな手でアゴを覆う。

それを擁護するかのように、ももしお。


「センセはね、いっぱいいっぱいお仕事してるの。赴任してすぐなのに、あっちからもこっちからもいろんなこと頼まれてるじゃん。デキル男だもん。だからだよ」


「いやいやいや。だったらなんで窓から出る? 仕事だったら堂々とするだろ」


オレの指摘にももしおは苦し紛れに言い放った。


「働き方改革のせいだよっ」


「「「は?」」」


思いっきり3人で疑問符。


「仕事しちゃいけないって社会になってきてるじゃん。だから、闇残業。きっと校長先生が教育委員会から怒られないように、陰ながら残業してるんだよ」


どんだけおめでたいわけ、ももしお。


ヤツは怪しい。真っ黒だ。

テロ組織じゃなくても、なんらかの情報を持っている。


「で、シオリン、さっきのはなあに?」


ねぎまはももしおの意見をどスルー。


「んーっとね。ああ、分かっちゃったぁ。センセが住んでるとこ」


じゃーんとももしおは定期を掲げた。


その定期は横浜市営地下鉄ブルーラインの弘明寺駅から高校の最寄り駅までの定期だった。

どーすんだよ、そんなん拾って。帰ろうとしたら定期がないなんて。自分だったらショック。


「早く返せよ。駅に届けとけって」


さすがに同情する。駅に届ければ本人に連絡が行く。失くした本人はほっとするだろう。


「ね、シオリン。履歴見ない?」


ねぎまがとんでもないことを言った。個人のプライバシーってものがあるだろう。


「そっかぁ。返す前にちょっとだけ。センセの行動を見るぞー、オー!」


ももしおは元気に右手拳を挙げた。

おいおいおいおい。


「オレのいないとこでやって。ちょっとそのノリはついていけない」


品のいいミナトはアレルギー反応。


「オレも」


オレもミナトと一緒に拒否った。

女って怖っ。きっとカレシのスマホを勝手に見るのも平気なんだろな。


「えー。そーなの? マイマイ、悪いことみたいー」


ももしおがまるで何も知らない子供のフリをする。白々しい。


「シオリン、女の子でしょ。悪に手を染める覚悟がなくて、愛する人を守れると思う?」


ねぎまはももしおの両肩に手を置いた。


「そうだよね、マイマイ。愛こそ全て。愛の前には全てが許されるの。愛は絶対なの」


つまらない寸劇を横目で眺めつつ、ミナトとオレは焼肉臭を消すべく、キシリトールガムを噛んだ。



で、横浜駅。

ヤツは高校の最寄り駅から横浜市営地下鉄ブルーラインで横浜で降りずに弘明寺駅まで行くから。定期によれば。横浜駅なら鉢合わせる心配がないハズ。


今一つ気が乗らないミナトとオレは、ドトール前で人波を眺めていた。

日曜の夜。老若男女、様々な人が横浜駅構内を行き交う。外国人も多い。観光客と思われる人もいれば、すっかり人並みに溶け込んで歩く外国人もいる。


アイキスタン国からやってきた二人の異邦人、ヤツとその元上官。

二人はきっと、人並みに溶け込んでるんだろう。横浜市民として。



しばらくすると、ももしお×ねぎまが定期と同じくらいの大きさの磁気カードを持って来た。たぶん履歴。始めて見た。


「あーん。お休みの日の履歴がないよー」


ももしおが泣き真似。


「定期圏内の乗り降りは出てこないみたい。横浜が定期圏内だもんね。遊びに出かけてても分かんないよ」


ねぎまが慰める。

でもって、ねぎまはオレの掌に履歴のカードを載せた。いらんし。


ぽいっ


捨てた。


「ちょっと、宗哲君。こんなにありがたいものを」


ももしおが拾う。


「ねえ、ミナト君と宗哲クン、見たくないんだよね。だから言うね。センセは京急に乗って黄金町で3回も降りてるの。だいぶ前に続けて。その後はなし」

「は? 黄金町?」


横浜駅は全国最多、8社の線が乗り入れている。その全てが集まってくる横浜駅近くは線路密集地。ほぼ平行して歩けるような距離に線路が走っていたりする。


ヤツが黄金町のどこかに用があるのなら、わざわざ京浜急行線の黄金町駅で降りるのは不自然。普通に考えて、定期券内の横浜市営地下鉄ブルーラインの阪東橋駅を使う。黄金町駅と阪東橋駅は300メートルくらいしか離れていない。軍にいた人間が気にする距離じゃない。


ももしおがはっとする。


「女豹さんが住んでるのかも」


いい加減、妄想から離れろ、ももしお。


「ももしおちゃん、女豹さんが住んでるなら、もっと何回もあるんじゃない?」


ミナトがももしおに微笑んだ。


「それから、ちょっと前の日曜日に横須賀行ってる」


とねぎまが報告する。


「それは米軍基地とか観に行ったんじゃね? 一応軍人だったわけだし」


オレは何度か海から眺めたことがある軍艦を思い浮かべた。


「黄金町に何があるんだろ?」


ももしおは人差指をアゴに当てて上を見る。やっぱこいつ、超絶美少女。すっげーかわいい仕草。


「センセって、なんで横浜に来たんだろうね」


ねぎまが意味深に呟いた。その言葉はざっざっざっという横浜駅構内を歩く音の塊にかき消されることなく、オレの頭に残った。


オレは何か大事なことを忘れている気がする。


「そういえばさ、ねぎまちゃん。信についてのツイッターはどうだった?」


ミナトが尋ねた。


「信って企業はアメリカ企業にいたことのある中国人技術者が多いみたい。テクノロジー集団なんだって。成功すれば元が要らなくなるどころか、ドルも要らないって」


「穏やかじゃないな」


ミナトはゆるふわヘアーをかき上げた。


「飛躍し過ぎじゃね? ドルは基軸通貨じゃん」


オレの言葉にももしおが物申した。


「宗哲君、飛躍とは思えないよ。ドルが幅を利かせたのは第一次世界大戦よりちょっと後から。その前の基軸通貨はイギリスのポンド。その前はフランス。ポルトガル、スペイン、オランダだったこともあって、だいたい100年くらいで自然に交代してるの。そろそろドルが基軸通貨になってから100年。だから基軸通貨が変わるってありえると思う」


「へー」


ももしお、なんでそんなことまで知ってるんだろ。


ぶぶぶー


ねぎまのポケットからスマホの振動音が聞こえた。


「家からだ。心配してる」


スマホを見たねぎまが慌てた。

おーっと、もう10時半。だよな。焼肉開始が7時ごろだったもんな。


「オレ、送ってく。ミナト、今日はごちそーさま。肉。じゃ」


ばたばたとねぎまの手を引く。


「ありがと。ミナト君。お家の人にもよろしくお伝えしてね」


「じゃな。気をつけて」


ミナトが手を挙げた。


「ちょっと、待ってよー。私もー。こちそーさまでした」


ももしおが追いかけてきた。


「オレの方もご馳走様」


振り向くと、ミナトが笑って手を挙げていた。



根岸線の電車に3人で駆け込み乗車。ぎりぎりセーフ。


くそっ。ももしお、気を利かせて1本ずらせよ。

またオレは女子トークを聞かされるのか。


「シーオリン」


女子トーク、スタート。


「へへっ。定期。拾っちゃったー。運命」

「いつ返すの?」

「月曜日が待ちきれないよー。今からセンセのとこ行きたいくらい」

「ふふ」

「月曜日の朝一にね、誰もいない中庭で返すー」

「いいかも」

「校門だったら朝練に来る人が邪魔じゃん?」


悪かったな。


「で、で? シオリン」

「センセ、大事なものを渡したいんです。中庭まで来てくださいって。きゃ――――♡」


その時に渡せばよくね?


「『君が拾ってくれたんだね。ありがとう』」


なぜかねぎまがヤツの役をやっている。


「そんな。偶然見つけただけです」


あれ?


「『百田さん、お礼に君が望むもの1つプレゼントしたいな』」

「センセの心です」


「スト―ップ」


盛り上がってるとこ悪いけど。オレは2人の間に遮断器の様に腕を下ろした。


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