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陽炎元(ヤン・ヤン・ユエン)

日産スタジアムから横浜駅までやってきたももしおは、いきなり、


ぽふっ


「マイマイ~」


ねぎまの胸に飛び込んだ。


「シオリン、どーしたの?」


「せっかくマリノス勝ったのにー」


ももしおが眉根を寄せる。頬には赤白青のマリノスペインティング。


「マリノス勝ってよかったじゃん、シオリン」


ももしおはねぎまの腕の中で首を横に振った。


「もう会わない」


あちゃー。玉砕か。サッカー部の誰だろ。ももしおを狙ってるヤツが多過ぎて分からん。


「そっか」


ねぎまはももしおの頭をよしよしと撫でた。


「試合の後、2、2に分かれて食事しようって言われたの。お店は予約してあるって。マイマイからのLINEで助かっちゃった。でも、食事を断っちゃって申し訳なかったかも」


うっわー。予約。予約までするってことはファミレスじゃない。小遣い吹っ飛んだ上に独りディナーかよ。


「いいんだよ。シオリンの都合も聞かずに、あっちが勝手に予約しただけなんだもん」


怖っ。女怖っ。

オレは男の味方。オレがももしおの代わりに一緒に飯を食って慰めてやりたい気分。

キャンセルしたのか、他の誰かを呼んだのか。どっちにしても涙。


「焼肉の食い放題だったの」


あ、この流れ、食いそびれた焼肉を食いたいって?




予感的中。


ウソだろ。


どーして?



オレはイスに登って火災報知器にバルサン用のビニールを取り付けた。


「宗哲、こっちも」


鉄板を出したミナトが、もう1つのビニールを手渡してくれた。それを受け取ったオレは、別の火災報知器の下にイスをずらし、再び登ってバルサン用のビニールを装着。



只今、午後7時。

男子部室棟1階の角、男子硬式テニス部に潜入。


部活は冬時間5時半まで。暗いから。グランドには照明があるが、使っていいのは夜間の定時制が体育をするときのみ。


日曜夜の高校、ほぼ無人。のハズ。


鍋の道具は揃っている。

鍋、ガスコンロ、鉄板、ボール、まな板、包丁。そういったものは、代々、駅伝の襷のように伝統ある男子硬式テニス部で引き継がれている。


ミナトは佐賀牛を2キロ持って来た。家の冷蔵庫にふるさと納税で届いたのがいっぱいあるのだそう。どんだけ納税してるんだよ、ミナトん()。セレブ。


部室に来るとき、オレは大食漢ももしおが食べるだろう大量の野菜&ドリンクを持たされた。スーパーの袋で指の血が止まるかと思ったし。



男子硬式テニス部の部室は、わりと片付いている。


カチッ

しゅぽっ


ガスコンロに点火。



「シーオリン、元気出して」


ねぎまがももしおに話しかけると、途中から合流したミナトは不思議そうな顔をした。


「何かあったの? ももしおちゃん」


オレは、小声でミナトに事情を話した。


「2×2でサッカー観に行った後、男に食事に誘われたって。で、ブッチ」


ミナトは「あー」と口だけ開けて、首を縦に数回振った。

超絶美少女ももしおはモテる。バスケ部、サッカー部が束になって狙ってる。あわよくばとヲタク男子も遠巻きから見ている。ももしおが男から逃げるのはもはや日常。


みんな、ももしおの本性を知らなさ過ぎ。


外見だけで憧れられる代物じゃねーって。ももしおが株のトレーダーだってことを知っているのは、ほぼオレ達くらい。ももしおはいつも一緒にいる女友達にすら話していない。


中身が中学生男子だってことは、女友達も知ってるだろうけどさ。見た目が清純派でカレシいない歴=年齢。「シオリンって、ちょっとエロ発言するんだよ」なんて男が聞いたら、それはそれで萌えまくる。

実際、引くぞ。


「シオリン、こんなときは美味しいお肉と楽しいお喋りだよ」


ねぎまはももしおの紙皿に焼肉のタレを入れた。

オレは油を鉄板に注ぎ、キャベツの芯で満遍なく広げる。ミナトは旨そうな色をした牛肉を鉄板の上に置いて行く。オレは玉ねぎとカボチャを置く。


このメンバーで焼肉をすると男は焼く係。鍋をすると男は野菜投入と灰汁取り係。

ももしお×ねぎまはひたすら喋って笑って食べまくる係。


綺麗でかわいい女の子が喜んでいる姿を見ると、肉は格段に旨くなる。


「ももしおちゃん、肉、焼けてる」


1切れ目の牛肉をももしおの皿に載っけるミナト。


それをぱくっと口に入れ、ぎゅっと目を瞑るももしお。


「まいうー」


オレも1切れ。旨っ。めっちゃいい肉じゃん。これ。


「シオリン、最近はどお? 出稼ぎのおじさんに教えてもらった株」


ねぎまが投資話を振ると、ももしおは紙皿の上に箸を置いた。そして両手でVサイン。


「ばっちり売り抜けたよ。やっぱ、噴いた後って反動があるもんね。業績もPERも関係なく、下がるときは下がるもん。今じゃ中国経済が下降してるから、中国関連株はぜんぜん。あの企業、シェアは伸びてるだけどなー。そのうち底値で買い戻そうかなー」


何喋ってるんだろ。全く分からん。Vサインしたってことは、儲かったってことだよな。


「中国関連株はダメなのか。おじさんら、中国では仕事がないって言ってたもんな」


株の知識が少々あるミナトには内容が分かったらしい。


「米中貿易戦争のボディブローが効いてきたんだよ」


とももしお。


こういう話になると、オレは傍観。

ねぎまはいつもこんな話を聞かされているのか。


「米中の貿易戦争って、最初、貿易摩擦って言われてたよね。それが一気に貿易戦争って言葉に変わって、また最近は貿易摩擦に戻ってて。変なの」


ねぎまは新聞やニュースも目にするタイプ。

オレは自分の皿に肉を取り、新しい肉を鉄板に並べた。玉ねぎはまだ火が通っていない。


「変だよねー。マイマイも気づいてたんだぁ」


いつもノリだけの中身のない女子トークばっか聞かされてたから新鮮。


「てへっ」


ねぎまがふざけて舌を出す。かわいー。


「なんかさー、中国って規制厳しいじゃん。他の国の企業が入って行けないようになってて。でもでもぉ、中国が他の国で商売するのはノープログレム。それって、ずるくない? だから米中貿易戦争ってお互いにやり合ってるってことになってるけど、実は公平になるためなのかなーなんて」


お。今のとこはオレ、分かった。


「だな。中国では外国の企業だけじゃ会社、作れないもんな」


と博識なミナト先生。

オレはひたすら肉を食う。そして焼く。


「ねえねえシオリン、中国元が下がって来たのはどーして? 米中貿易摩擦?」


ねぎまがチコちゃん的にももしおに質問した。「ぼーっと生きてるんじゃねーよ」って叱られたい?


「んー。個人的な意見だけど、それよりも信って会社が政府の後ろ盾で仮想通貨出したからじゃないかな」


キタ――――。出ました「信」。


「仮想通貨で?」


思わず聞いた。やっと会話に参加できたし、オレ。


「その仮想通貨のモデルはもともとアメリカ企業がやろうとしてて。でもアメリカ政府は許してなかったんだよねー。それを中国がやっちゃったからアメリカが怒っちゃって元を大量放出したんだって。ネットで囁かれてたよ。だから元が下がっちゃったって」


ももしおから一方的に金融関係の話を聞かされ続けたおかげで少しは分かる。為替は需要によって価格が変動するらしく、要らないと言ってたくさん売られれば価値が下がる。逆に欲しい人が多くてたくさん買われれば上がる。


「大量放出さ加減がハンパなさそう」


経済大国アメリカだもんな。ただでさえ米中貿易摩擦だか戦争だかで仲悪くなってるとき。


「日本在住の中国人が呟いてた。陽炎元だって」


ももしおは「ヤン・ヤン・ユエン」と発音した。


「シオリン、何? そのヤン・ヤン・ユエンって」


ねぎまに聞かれ、ももしおは紙皿の白い部分に、焼肉のタレで「陽炎元」と書いた。字が潰れて読めねーじゃん。「かげろう」と言われてやっと分かった。


「貿易には、自分の国の通貨が下がった方がいいんじゃないっけ?」


とミナトが質問。


「でもね、元が安くなりすぎて、輸入に困るレベル。中国は頑張って元を買い支えようとしてるんだって。血まみれバーツの二の舞だよ」


「血まみれバーツ?」


腰を折ってすんません。傍観しようとしてたけどさ、響きがホラーでスルーできなかった。


「アジア通貨危機のときにタイのバーツが大暴落して、タイの中央銀行がバーツを買っても買ってもどんどん下がって行ったときのこと」

「へー」


博識ミナト先生が教えてくれた。後でググっとこ。


「陽炎の方が、血まみれよりは響きがいいかも」


言いながら、ねぎまは肉をももしおの皿に載せた。


「響きは綺麗だけどさ、身を切って血が出ても生きてるじゃん。陽炎ってもはや存在してねーじゃん」


単語の意味をオレは指摘。陽炎って実体ねーじゃん。


「だーってだって、今は言い過ぎかもしれないけど、本当に元は陽炎かもしれないじゃん。新しい政府後ろ盾の仮想通貨なんて、それってもはや仮想じゃないじゃん。それぞれの国の国債を買ってその分の仮想通貨を発行するって方法だから、価格は安定してて。つまりは、元よりも信用できるものができちゃったってこと。もともとは他の国とのやりとりのための仮想通貨だったけど、今じゃ中国に住んでる人も、下がっていく元よりも、その仮想通貨のコイン貯めてるんだもん」


さすがももしお、詳しい。


「それって、中国の通貨が切り替わるかもしれないってこと?」


ねぎまが首を傾げる。


「まさか」


ミナトは肩をすくめる。


オレは中国の出稼ぎおじさんを思い出した。QR決済でも仮想通貨のコインで払えるって言ってたっけ。だいたい、仮想通貨の会社側としては、レートの計算式1個をプログラムに入れるだけで元の価格表示でも構わないんだもんな。普及させるの簡単かも。


「ねぇ、シオリン。さっき中華街でね、『信』って仮想通貨の企業がカジノホテルに入るって聞いたの」


ねぎまは最も聞きたかったことを尋ねたのだった。


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